家庭教師ファースト教育コラムその他の雑学

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<小学校高学年編>大人も懐かしい!国語の教科書に載る文学作品

  • その他の雑学
  • 2024.02.22
  • 家庭教師ライター S.F

小学校の国語の教科書には魅力的な物語がたくさん。もちろん物語以外の作品だって教科書には多く掲載されていますが、なんだかんだ記憶に残っているのは物語作品が多いという人が多いのではないでしょうか。他のジャンルと異なって物語はほとんど入れ替わることなく読み継がれていますしね。

先日の低学年編に続いて、今回は小学生高学年編です。まだご覧になっていない方はそちらも是非ご一読ください!→<小学校低学年編>国語の教科書に載る文学作品

それでは、今回は小学校の4〜6年生の教科書に載っている代表的な物語について紹介していこうと思います。なお、お子様のお勉強にお困りの際は、是非私たち家庭教師にご相談ください!

小学4年生の教科書に載る文学

4年生

それではまず、4年生の教科書に載っている主な物語を見ていきましょう。

①白いぼうし 著者:あまんきみこ

<あらすじ>

タクシーの運転手の松井さんは車内に田舎のお母さんから送られてきた夏みかんをかざっていました。お客さんを降ろした後、松井さんは道端に落ちている白いぼうしを見つけました。落とし物だと思って拾うと、中から白いちょうが飛び出してきました。わざと被せていたことを知った松井さんは、このままだとぼうしの持ち主の子供が悲しむと思い、ぼうしの中へちょうの代わりに夏みかんを入れました。

タクシーへ戻ると車内に女の子が座っていました。女の子は菜の花畑に行くように言います。そこへ虫取りあみを持った男の子が、母親をつれて戻ってきました。女の子は慌てた様子で出発をせかします。タクシーを走らせながら、ちょうが夏みかんに化けて、男の子は驚いたかな?と考えていると、いつの間にか女の子は消えていました。外は菜の花畑。白いちょうが何十匹も飛んでいます。
「よかったね」「よかったよ」というかすかな声が、松井さんには聞こえました。車の中にはまだ夏みかんの匂いが残っていました。

<解説>

まるでこちらにまで夏みかんの香りがただよってくるような、爽やかで幻想的なお話です。果たして女の子の正体は?この物語、「白いぼうし」は、タクシー運転手・松井さんを主人公としたシリーズ「車のいろは空のいろ」の中の一作です。シリーズは全部で3巻、出版されています。どのお話も「白いぼうし」のようにどこか不思議な物語ばかり。心優しい松井さんは、今日も日常と非日常が交差する世界で、タクシーを走らせているのです。なお、小学生低学年編で取り上げた「ちいちゃんのかげおくり」と同じ作者の方の作品です。

②一つの花 著者:今西祐行

<あらすじ>

ゆみ子の口癖は「一つだけちょうだい」だった。戦争はいよいよ激しくなってきて、食料不足の中、ゆみ子の両親は満足に食べさせてあげる事ができず、「一つだけね」と言い聞かせていた。

そんなある日、ゆみ子の父も戦争に行くことになった。出征の日も、ゆみ子は「おじぎり一つだけちょうだい」と言って、駅に着くまでにお父さんのおにぎりを全部食べてしまった。またゆみ子はその後もおにぎりを「一つだけ」とねだったが、もうあげるおにぎりは無くなってしまっていた。ゆみ子はとうとう泣き出してしまった。

困ったお父さんは周囲を見渡し、ポツンと咲いている一輪のコスモスの花を摘んで「ゆみ。一つだけあげよう」と言って渡した。ゆみ子は喜び、お父さんはにっこりと笑うと何も言わずに汽車に乗り込んだ。

10年後、ゆみ子はお母さんと2人暮らし。すっかり成長して家の手伝いをするしっかり者の女の子になっていた。今日もゆみ子は元気におつかいに出かける。彼女が暮らす家の庭にはコスモスの花がたくさん咲いていた。

<解説>

「一つの花」は3年生で読んだ「ちいちゃんのかげおくり」と同じように、戦争の悲惨さを伝える物語です。今の平和で豊かな世界に育った私たちの目には、「一つだけ」と言いながら何個も何個も食べ物をねだるゆみ子の姿は、ともすればわがままで仕方がないようにうつるかもしれません。お父さんは何を思ってコスモスをゆみ子に渡したのか、どうして一輪だけしか渡さなかったのか。そんなことを考えながら読んでみてもいいかもしれません。「一つの花」は子どものうちよりも大きくなってからの方が泣ける物語とも言われていますから、読み返してみるのもオススメですよ。

③ごんぎつね 著者:新美南吉

<あらすじ>

ある山の中に「ごんぎつね」という小狐がいました。ごんはひとりぼっちでしたが、たいへんいたずら好きで、いつも村に下りては村人を困らせていました。ある日、ごんは川で魚をとっている兵十を見かけ、彼のとった魚やうなぎを逃すといういたずらをしました。十日ほどたって、兵十の母親の葬列を見たごんは、あのうなぎはきっと兵十の母親が最後に食べたかったものに違いないと、自分のしたいたずらを後悔しました。

ごんは贖罪のために山の中でとれた栗やキノコをこっそり兵十の家に届け始めました。それを知らない兵十は、届けられる栗やキノコをいつしか神様がくれたものだと思い込むようになりました。ごんは少し不満を感じながらも、いつものように栗を届けに行きました。しかし、その気配に気付いた兵十は、またいたずらをしに来たのだと思い、ごんを火縄銃で撃ってしまいました。撃ったごんに近づいた兵十は土間に置かれた栗に気付きびっくりしました。

「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」

ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。兵十は火縄銃をばたりととり落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。

<解説>

その悲しいラストシーンがあまりにも有名な「ごんぎつね」。この物語のテーマは「贖罪」であると言われています。一度してしまったことは取り返しがつかないものだから、そこからどう行動していくかが大切である。ごんの姿は私たちにそう伝えてくれます。死んでしまったごんですが、昔の版では最後に、兵十に自分の気持ちを気づいてもらって嬉しくなりましたという一文が書かれてあったということです。おそらくごんの気持ちを想像させるために削ったのでしょう。それを踏まえると、この物語は悲しいだけのものではなく、少しは救いもあったかのように思います。しかし、ごんを死なせてしまった兵十は、この先その罪をどのように償っていくのでしょうか。子どもが読んでも大人が読んでも深い一作です。

④初雪のふる日 著者:安房直子

<あらすじ>

秋の終わりの寒い日、女の子は地面に石蹴りの輪を見つけました。女の子がその輪に飛び込むと、女の子の体はゴムまりのように軽くなり、輪に沿ってどんどん進んでいくのです。やがて空は暗くなり、雪が降り始めました。吹雪になりそうなので、女の子が帰ろうとしたその時、女の子は前も後ろも、たくさんの白いウサギが列になっている事に気づきました。

女の子は、いつかおばあさんから聞いた話を思い出しました。初雪の降る日、雪を降らせるウサギの列に巻き込まれたら、世界の果てまでとんでいって、小さい雪のかたまりになってしまうというのです。女の子は恐ろしくなりましたが、ゴムまりのようにはずむ体をどうしても止めることができません。とびながら、女の子は、おばあさんが言っていた助かるためのおまじないを思い出しました。しかし、ウサギたちの声に邪魔されて上手く唱えることができません。偶然足元にヨモギの葉を見つけたことで、ようやく無事に「よもぎ、よもぎ、春のよもぎ」と唱える事ができました。

気がつくと、女の子は知らない町にいて、ウサギもヨモギの葉も消えていました。女の子は町の人たちに助けてもらい、バスで帰路に着きました。

<解説>

「初雪のふる日」はちょっと鳥肌が立つような恐ろしい話でありながら、最後にはホッとさせてくれるお話です。冬や雪の怖さと春の優しさがなんとも美しく描かれています。温暖化が進む現在、特に都市部に住んでいる人にとっては、冬の厳しさや春のありがたさを感じた経験はほとんどないかもしれません。白うさぎの恐ろしさも自然に触れ合う機会が少なくなっている今、伝わりにくくなっているかもしれませんね。ぜひこのお話を通して、自然の怖さとそれに基づく美しさを感じてみてください。そうそう、この作品のキーアイテムであるヨモギは邪気を払う力を持つ、魔除けの草として知られているんですよ。

小学5年生の教科書に載る文学

5年生

次は5年生で読む物語です。5年生ともなると、教科書に載っている作品は、詩や古典が多くなってきます。ここでは、数少ない物語作品である2つをご紹介します。

①カレーライス 著者:重松清

<あらすじ>

ぼくは悪くない。

ゲームをやり過ぎて、勝手に電源を切られたひろしはお父さんに腹を立てました。謝ってくるお父さんを無視し、とうとう「勝手にしろ。」とまで言われました。お母さんは、「お父さんは気にしてるわよ。そろそろ仲直りしなさい。お父さんウィークが始まるんだから。」と言います。

お母さんが仕事の忙しい時期に入るとお父さんが1週間家事をする、それが「お父さんウィーク」です。ところが,お父さんの作るカレーライスは「甘口」。6年生のひろしには甘すぎるのです。黙々と食べるひろしに,お父さんはさらに腹を立てます。数日後、お父さんが風邪をひいてしまいました。家事をしようとするお父さんの代わりにひろしがカレーを作ります。そのカレーは,甘口ではなく「中辛」。風邪を引いて喉が痛いのに,お父さんは「そうか,中辛か…。」と言って喜びながらカレーを食べます。

<解説>

「ぼくは悪くない。」という冒頭がなんとも目を引く「カレーライス」。ひろしくんが怒っているのは、ゲーム機のコードを抜かれたことだけではなく、お母さんが自分の味方をしてくれないことや、何よりもお父さんがいつまでも子ども扱いすることにあったのでしょう。結局ひろしくんがお父さんに謝ることはありませんでしたが、2人とも嬉しい気持ちになって物語は幕を下ろします。カレーライスの辛さを通して、我が子の成長を実感するお父さんと、嬉しそうなお父さんを見て(あるいはお父さんに大人として認められて)嬉しくなってきたひろしくん。このお話は終始ひろし少年の一人称視点で進んでいきますが、お父さん側に立ってみるとまた違ったように見えてくるはずです。

②大造じいさんとガン 著者:椋鳩十

<あらすじ>

大造じいさんは沼地を狩場にする狩人です。しかし、その沼地にやってくるガンの群れを「残雪」と呼ばれるガンが率いるようになってからというもの、じいさんは1羽もガンを手に入れることができなくなりました。

大造じいさんは、知恵比べとばかりにさまざまな作戦を仕掛けました。ガンを生け取りにする罠を作ったり、タニシをばらまいて待ち伏せしたり…。しかし、全て残雪に阻まれてしまいます。

その年、大造じいさんは、前もってなつかせていたガンを利用して、ガンの群れをおびき寄せようとしました。そこに、ハヤブサが奇襲を仕掛けてきました。おとりのガンは野生の勘が鈍っていたのか、群れの中で唯一飛び遅れてしまいます。ハヤブサが攻撃を仕掛けようとしたその時、残雪が舞い戻ってきました。大造じいさんは一度は残雪に向けた銃口を下ろしました。沼地に落ちた残雪とハヤブサに大造じいさんが近づくと、ハヤブサは逃げましたが、残雪は威厳ある姿で睨みつけます。大造じいさんは残雪を手当てし、春になると残雪を逃がしました。大造じいさんは、「ガンの英雄」をこれまでの卑怯な作戦ではなく、正々堂々と戦って捕まえようと、その姿が見えなくなるまで見送りました。

<解説>

「大造じいさんとガン」は、「わたし」が大造じいさんから聞いた、数十年前の物語として進行していくという少し面白いかたちをとった物語です。勇敢な残雪の姿を見て、大造じいさんの心境はどのように変化して行ったのか、これからふたりはどのように関わっていくのか。特に後者については現在(=「わたし」がいる時代)には答えが出ているはずではあるのですが、なんとも考えさせられる題材です。

作者の椋鳩十さんは動物文学の第一人者として有名な方で、たくさんの動物にまつわる物語を書かれています。教科書でこの物語を扱ったときに、「マヤの一生」などの他の作品を読むように言われたという方もいるのではないでしょうか。どの作品も力一杯今を生きる動物の姿やその尊さを感じさせられる名作ばかりです。

小学6年生の教科書に載る文学

6年生

最後に6年生の教科書に載っているお話を紹介します。ここでもご紹介できるのは2作品だけですが、どちらも記憶に残る名作です。

①やまなし 著者:宮沢賢治

<あらすじ>

 「小さな谷川の底を映した二枚の青い幻燈です。」

5月、「クラムボンはわらったよ」「クラムボンはかぷかぷわらったよ」とカニの兄弟が話しています。2匹が天井を眺めていると、とつぜん何かが水の中に飛び込んできました。次の瞬間、魚は跡形もなく消えてしまったのです。2匹は恐怖に震えました。父親は、それはカワセミだから安心しろと言いました。

12月、カニの兄弟は大きくなりました。夜の川底で、2匹が泡の大きさを比べ合っていると、突然黒いものが水中に飛び込んできました。2匹はかわせみかと怖がりますが、父親はやまなしだと言いました。流れ行くそれはやがて、木に引っかかって止まりました。良い匂いがするやまなしは、いずれ美味しいお酒になると父親は言います。そして3匹は、自分たちの家に帰っていくのでした。

<解説>

この物語を読んだ人の多くが、クラムボンとは結局何だったのだろうかと疑問に思うことでしょう。教科書の注釈には「作者が作った言葉。意味はよく分からない」と書いてあることからも分かるように正体は不明、研究者の間でもさまざまな議論が繰り広げられています。教科書には「水中の小さな生き物」と書かれたこともあるそうですが、他にもアメンボ説、泡説、光説、母ガニ説、人間説など、解釈は人によってさまざま。みなさんもぜひ、自分なりの解釈を見つけてみてはどうでしょうか。

②海の命 著者:立松和平

<あらすじ>

太一の父はもぐり漁師でした。太一は海が好きでした。子どもの頃からいつの日か父と一緒に漁に出ることを夢見ていました。ある日、父は夕方になっても戻ってきませんでした。岩のような魚である瀬の主にひとりっきりで立ち向かい、そして死んでしまったのです。

中学を卒業した太一は、与吉じいさに弟子入りしました。与吉じいさは太一の父が死んだ瀬で一本づりをする漁師でした。「千匹にー匹でいいんだ。千匹いるうちー匹をつれば、ずっとこの海で生きていけるよ」。与吉じいさはひとりごとのようにそう語りました。

弟子になって数年たち、与吉じいさも父と同じように海に帰りました。その頃には太一はすっかり村一番の漁師となっていました。父が死んだ瀬にもぐり続けているうちに、ついに太一はあの瀬の主に遭遇しました。大魚は穏やかな目をしていました。葛藤の末、太一は大魚を殺すことはありませんでした。大魚こそこの海の命であると思ったのです。

太一は結婚し、子どもが生まれても村一番の漁師であり続けました。千匹に一匹しか取りませんから、海の命は全く変わりません。あの日瀬の主と出会ったことは、もちろん生涯誰にも言いませんでした。

<解説>

「海の命」は、海と共に生きていく生き方、ひいては人間が自然の一部として生きていくということの尊さを教えてくれる物語です。太一は父の敵討ちのために与吉じいさに弟子入りしますが、そこで命の大切さや繋がりを教えられます。そして、その教えが太一に復讐という命の無駄遣いを抑制し、太一は瀬の主を許すことができたのです。自然は太一から父を奪いましたが、同時に生きるための糧を与えてくれています。命は全て繋がっているのです。自然との関わりが薄れてしまっている今だからこそ、深く感じ入るものがある物語であるように思えます。

まとめ

いかがでしたか。高学年になるにつれ掲載されている物語は少なくなりますが、その分印象に残っているものも多いのではないでしょうか。これらの物語の多くは、これまで教科書の題材として長く読まれているのと同じように、この先も読み継がれていくことでしょう。

ぜひ、今回紹介した物語にとどまらず、同じ作者の作品や教科書で推薦されている作品にも触れてみてはどうですか。きっと、より深い物語の世界にあなたをいざなってくれますよ。

なお、お子様のお勉強にお困りの際は、是非私たち家庭教師にご相談ください!

この記事を書いたのは

家庭教師ライター S.F

家庭教師ファーストの登録家庭教師。お茶の水大学文学部在学。小学校教員を目指しています。

著作・制作

家庭教師ファースト/株式会社エムズグラント

『質の高いサービスを、良心的な価格で』をモットーに、全国で20年以上家庭教師を紹介しています。実際に担当する教師による体験指導受付中。教育に関する相談もお気軽に。

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