
家庭教師ファースト教育コラム理科・科学の雑学
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皆さんは、進化の過程では我々人類もいくつかの種類があったということを知っていますか。
現生人類に至るまでに現在見つかっているだけでも約20種類の「ヒト科の種」が存在していたことが分かっていますが、現在も存在するのは我々ホモ・サピエンスのみです。
現代に至るまでどのような出来事や進化があり、現生の人類に至ったのか歴史を追ってみましょう。
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そもそも私たちホモ・サピエンスとはどんな生き物なのでしょうか。
ホモ・サピエンスは、ラテン語で「賢い人間」という意味で、現生の人類が属する種の学名です。分類学の父と呼ばれるカール・フォン・リンネが分類しました。実はホモ・サピエンスには現生人類以外にも旧人類が含まれるので、詳しく言えば現生人類はホモ・サピエンス・サピエンスに分類されています。
皆さんも知っているとは思いますが、ヒトは直立二足歩行を行い、道具を使用します。脳の容積は大きく発達し、多様な言語を用いて意思疎通を行います。また、学校や会社など社会生活を営んでいます。地域によって様々な文化を伝承し、地球上で最も栄えた文明をつくり上げている生物と言えます。
ヒトとサルの遺伝子は99パーセント同じだといわれていますが、異なる1パーセントが脳の容積に関わっており、ヒトとサルの大きな違いを作っています。ヒトは哺乳類に属し、他の多くの哺乳類と同じで有性生殖を行い、約10ヶ月の妊娠期間を経て、2000~4000g程度の子供を胎児の状態で産みます。
ヒトは意外にもサル目の中で最も多産です。現在では経済的に恵まれた国や地域では少子化傾向が見られます。また、数年前まではアジアやアフリカの人口増加の勢いは先進国の人口減少の勢いをしのぎ人口は近いうちに急増すると予想されていましたが、2019年に国連で発表された報告書によると世界人口は現在は約78億人ですが、2050年には97億人と増加しますが、今世紀末頃に約110億人になり、そこで頭打ちになる可能性があると考えられています。
しかし、生物学上はヒトの雌は生涯で、最大で15人前後の子供を産むことができます。そして、双子や三つ子などヒト以外の霊長類では比較的珍しい多胎児の割合も高いです。
ヒトが生存に理想的な環境で過ごせば、寿命は最大で120歳を少し超える程度と考えられています。実際はそれ程長く生きれる人は珍しく、平均寿命が最も長い国である日本でも男性の平均寿命が79.64歳、女性の平均寿命は86.39歳となっています。
我々とは何かを知ったところで、今後は人類の歴史について詳しくみていきましょう。
人類は、霊長類、類人猿、猿人、原人、旧人、新人の順に分化しました。一般的に人類とされるのは猿人~現生人類である新人までです。
霊長類は、中生代に繫栄したは虫類が衰退した新生代に哺乳類が急速に多様化する中で誕生しました。新生代新第三期の初め頃には、霊長類の中から類人猿の仲間が現れました。類人猿は尾を持たず、現生のものにはテナガザル類、オランウータン、ゴリラ、ボノボ、チンパンジーがいます。
そして、猿人は約700万年前に、原人は約200万年前、旧人は約60万年前、新人は約20万年前と、新生代新第三期から第四紀の2つの「紀」という地球の歴史中では非常に短い間に誕生し、進化しました。
地球は今から約46億年前に誕生したと考えられています。地球誕生から現在までを地質学的に分けた区分を地質年代と言います。厳密に言えば、記録が残りだした直近の数千年の有史時代は地質年代には含めないのですが、有史時代の長さは地質時代と比べるととても短いので有史時代も地質年代に含めて扱うことも多くあります。
地質年代は、「累代」、「代」、「紀」の順に細かく分けられています。
「累代」は、地球誕生から冥王代、太古代、原生代、顕生代の4つの名前がついています。累代は、太古代は原太古代、古太古代、中太古代にわけられ、原生代は古原生代、中原生代、新原生代、顕生代は古生代、中生代、新生代と言う「代」に分けられます。
人類が誕生した新生代新第三期から第四紀は新生代に属します。新生代は古い順に古第三期、新第三紀、第四紀に分けられているので、地質年代の中で新しい2つの「紀」に人類は誕生したということになります。
猿人は約700万年前から約130万年前に存在していたとされる人類で、身長は140~150cm程度でした。
化石がアフリカ大陸に集中して見つかることからアフリカ大陸で出現したとされています。アウストラロピテクス属、アルディピテクス属、オロリン属、ケニアントロプス属、サヘラパラントロプス属の6つの属があります。アウストラロピテクス属から私たちである現生のホモ属が分化したとする説が有力ですが、確かなことは未だ分かっていません。
類人猿との大きな違いは、直立二足歩行ができるようになったということです。直立二足歩行をすることで、両手があいたため道具を使えるようになりました。石や木などの原始的な道具を使用していたと考えられています。
また、この時点では脳の容積は500mlと現在の人間の脳容積1350mlと比べるととても少ないのですが直立二足歩行は脳の容積の増加にも貢献しました。四足歩行の場合、頭部は前方にくるため容積が増加すると前が下がり歩きにくくなりますが、直立二足歩行の場合は頭の重さは重力方向にかかるので進行方向の邪魔にならなかったと想定されます。
ルーシーは1974年にエチオピアのアワッシュ川下流域で発見されたアウストラロピテクス属の女性で、400万年から300万年くらい前に存在していました。アワッシュ川下流域はルーシーが発見されたことで、1980年に世界文化遺産に登録されました。
ルーシーは早い時期に見つけられたということと、全身の約40%という多くの部分の骨が発見されていることから進化学的に重要な資料である為広く知られています。2014年にはアメリカ合衆国の女優であるスカーレット・ヨハンソンを主演とする、フランスとアメリカ合衆国の合同で制作されたSFアクション映画である「LUCY」にも登場しました。
原人は別名ホモ・エレクトスと言い、身長は160~180cmくらい、脳の大きさは900~1100mlでした。180万年前くらい前にアウストラロピテクスから進化したと考えられています。原人として有名なのは、ジャワ原人、北京原人、フロレス原人などです。原人で初めて見つかった化石は、インドネシアのジャワ島で発見されました。このことから、原人が生存していた時代にアフリカからアジアにまで広がっていっていたとされています。
原人の一番の特徴は火の使用が出来るようになったことです。火を使えるようになったことで、狩りや食事に大きな変化をもたらしました。狩りでは、火を使って動物を追い込みけがを負わせて捕まえたり、棒の先を火で加熱して固くして槍のように加工して武器として使ったりしました。
食事では加熱によって、それまでは消化が難しかった小麦や米を食べられるようになりました。また、加熱は病原となる寄生虫や細菌を減らすことができ病気になるリスクを低下させました。そして、食事の変化によって引き起こされた食事の消化に割くエネルギーの低下は、結果的に脳などのエネルギー使用を増加させて脳の容積を増加させるのに一役買ったと考えられています。
また、原人になると全身の体毛は猿人と比べると薄くなりました。体毛が薄くなった理由は、火を使えるようになったことで自由に暖が取れるようになったなど諸説有ります。体毛の減少により、素肌の露出が増えたので原人は腰巻などで体の一部を覆い隠すなど服の走りを着用しだしました。
旧人は、今から約60万年前から3万年前までアフリカとユーラシアにいた人類の総称です。脳の大きさは1300~1600mlになり、現在の人間より脳の容積は大きかったとされています。旧人には、ネアンデルタール人、ローデシア人、ハイデルベルク人などが属します。
旧人として一番有名なのは、1859年ドイツのネアンデルタールで発見されたネアンデルタール人です。ネアンデルタール人の骨は太く頑丈で、額は後退し、眼窩上に大きな隆起があるという骨格上の特徴を持っていました。洞窟に住み、石器は獣の皮を剥ぐのに使う鋭い掻器や、尖頭器を作って使っていました。小屋を作って集団でマンモスなどの大形獣を捕まえたり、貝も食べ始めたりと食事の幅も広がりました。
また、ネアンデルタール人は死者を埋葬し花を手向けて弔っていたと考えられています。その証拠に、イラクのシャニダール洞窟で発見されたネアンデルタール人の骨の周りから花の花粉が見つかっています。
新人とは、ホモ・サピエンスの俗称です。ホモ・サピエンスはラテン語で賢い人間という意味で、現在も存在する唯一のヒト属です。新人は約20万年前に登場しました。その頃には、まだ旧人も存在していましたが次第に新人へと入れ替わっていきました。
新人としては1868年にフランスで発見されたクロマニョン人や、1929年に中国で発見された上洞人などが有名です。新人は狩りで得た骨などを道具として使い、壁画を描いていました。スペインのアルタミラ、フランスのラスコーにはクロマニョン人が描いた洞窟壁画が残っています。
洞窟壁画についていくつか紹介します。
アルタミラ洞窟壁画は1879年に発見されたスペイン北部のカンタブリア州のアルタミラ洞窟に描かれた壁画のことです。1985年に世界文化遺産に登録されました。パイソン、イノシシ、馬、トナカイなど、動物の絵が描かれており、特にバイソンが描かれた壁画は有名で、日本の教科書にも掲載されています。
アルタミラ洞窟の入り口は落石によって長年の間塞がれていました。そのため、壁画は外気に触れなかったので、色鮮やかな状態で保存されていました。しかし、現在は外気に触れて壁画の状態が悪くなってしまったので公開されていません。
現在はアルタミラ洞窟近くにあるアルタミラ博物館やマドリードにある国立考古博物館などで壁画のレプリカを見ることができます。
ラスコー洞窟壁画はフランスのヴェゼール渓谷にあり、1940年に発見され、1979年に世界文化遺産に登録されました。雄牛やバイソン、馬やシカ、現在は絶滅してしまった動物たちや人間などが約600体も描かれています。一番有名な壁画は黒い牝ウシで、約2メートルもあり存在感が有ります。赤土や木炭を、獣脂・血・樹液でのばして、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作って洞窟の側面から天井にかけて色鮮やかな壁画を描きました。
アルタミラ洞窟と同様に壁画保護のため1963年にラスコー洞窟は閉鎖されましたが、その代わりとしてオリジナルと同じ規模の複製洞窟が作成され一般公開されています。
前章まででは、人類は原人のいた時代にアフリカ大陸からアジアにまで移動していったということに触れました。アフリカ大陸で発生した人類がどのようにして居住範囲を広げていったのか紹介します。
150万年前〜3万年前にかけてアフリカ大陸で誕生した人類は、数回にわたってアフリカ大陸からユーラシア大陸へと移動し、ヨーロッパ、アジア、南北アメリカ、そしてオセアニアへと広がっていきました。それ以前にも人類は移動を行っていましたが、現在のように世界全体に暮らすようになったのはホモ・サピエンスの登場以降のことだと考えられています。
アフリカ大陸から出た人類は、まずアラビア半島沿岸部を経て現在のイラン付近にたどり着きました。そこから、インド、東南アジア、オセアニア方面など南の方向に向かうルート、中央アジアを通ってアルタイ山脈や東アジア、北アジア方面など北の方向に向かうルート、中東やヨーロッパなど西の方向に向かうルートの3つのルートを取り地球全土に移動していきました。これらの経路は、ゲノムを高速で解読する技術の広がりによりDNAに蓄積された突然変異の比較やミトコンドリアDNA、ピロリ菌、形質的な人類学的特徴を基に導き出されました。現在の分類では、南に向かった集団がオーストラロイド、北がモンゴロイド、西がコーカソイド、アフリカ大陸に留まった集団がネグロイドとなりました。
3つのルートで移動していったことを紹介しましたが、実際は移動には環境の変化など数多くの困難があり、ある場所で停滞したり後退したりしながらの移動でした。そのため、当時は今よりも海水面が低くユーラシア大陸と北米大陸は陸続きでしたが、人類が北米大陸に上陸するまでに3万年近い月日を要しました。
皆さんは、オーストラロイド、モンゴロイド、コーカソイド、ネグロイドという言葉を聞いたことはありますか。
これらは、人種概念の1つで四大人種と呼ばれます。
オーストラロイドは、インド、東南アジア、オセアニアに昔から住んでいるアボリジニ、パプア人、メラネシア人などの集団のことです。
肌の色は極めて濃いのでかつてはネグロイドに含まれていましたが、遺伝的には遠いため独自のグループに分類されるようになりました。肌の色は濃いのですが、髪の色は金髪など明るい場合が多いですが成長するにしたがって黒くなっていきます。
モンゴロイドはアルタイ山脈や東アジア、北アジアに古くから住む集団のことで、多くの日本人はモンゴロイドに属しています。
モンゴロイドは黄色人種とも呼ばれ、ヨーロッパ人と比較したとき肌の色が黄色いことに由来しますが、実際は淡黄白色から褐色まで広い幅があります。
髪の色は暗い色で直毛が多く、太くて硬いです。顔は平面的で、比較的低身長な人が多いです。
コーカソイドは中東やヨーロッパ方面に長く住む集団のことで、ヨーロッパ人やアラブ人はコーカソイドです。コーカソイドは白色人種とも呼ばれ、肌の色は明るい人が多いです。髪も明るい色をしている人が多く、髪質は細くて丸いためウェーブがかっている人もいます。顔の彫りは深く、比較的高身長な人が多いです。
ネグロイドはアフリカ大陸から出ず、アフリカ大陸にとどまった集団の直系の子孫のことです。伝統的にメラノ・アフリカ人種、エチオピア人種、ネグリロ人種、コイサン人種などに分けられます。
ネグロイドは黒色人種とも呼ばれており、肌の色が濃いことに由来します。また、虹彩や髪の毛も黒く、髪の毛は縮れており発達した汗腺を持つという特徴があります。
「多地域進化説」というのは新人の起源に関して「アフリカ単一起源説」と対立する仮説のことで以前は広く支持されていましたが、現在はあまり支持されなくなりました。
「多地域進化説」は、原人の時代である180万年ほど前にアフリカ大陸からユーラシア大陸に拡散して各地で各々の進化を遂げて新人になったという説です。一方「アフリカ単一起源説」は、今まで紹介してきたアフリカ大陸で旧人から進化した新人が、約6万年前から世界各地に広がっていったという説です。
1987年の細胞内小器官であるミトコンドリアのDNA解析の結果によって、「アフリカ単一起源説」は優勢になりました。ミトコンドリアの遺伝子は母親からだけ受け継がれるという性質を用い、世界各地の人々のミトコンドリアに蓄積した突然変異を解析しました。
そして、人類が世界に広がった時期を推定すると、12万~20万年前ごろアフリカに生存していたであろう1人の女性にたどり着きました。この分析は認められ、現在では「アフリカ単一起源説」が常識になりました。
そもそもなぜ人類はアフリカ大陸にとどまらず世界各地に進出したのでしょうか。考えられる理由はいくつかあります。
氷河期を迎えたことでアフリカの森が減少しことにより食料を確保できなくなったことや、森が無くなったため敵から身を隠せなくなったことなどが考えられます。まだ正解は分かっていませんが、気候変動による環境の変化がアフリカ大陸での生活を難しくしたと想定されています。
今までは現生人類までの人類の進化の歴史や移動についてみてきました。続いては、人類の祖先である類人猿と我々ヒトとの骨格の違いについて見ていきましょう。
類人猿とヒトでは、前肢、後肢、背骨、骨盤、大後頭孔、土踏まずなのどの点で構造が異なります。類人猿の前肢は四足歩行を行っているためヒトと比較すると長く、後肢は短いです。ヒトは二足歩行を行っているため前肢は短く、後肢は体を支えるため長くなりました。
類人猿の背骨は弓状に湾曲していますが、ヒトは重い頭蓋骨を支えるために上下運動の衝撃を吸収するS字型になりました。また、類人猿の骨盤は縦に長い形をしていますが、ヒトの骨盤は横に広い形をしています。
ヒトは直立二足歩行になったことで、骨盤に内臓が収納される形になったため内臓を入れるために横に広がっていきました。大後頭孔は頭部と背骨をつなぐ場所のことで、類人猿は斜め後ろ方向に位置していますが、ヒトは真下に位置しています。ヒトは類人猿と比べて脳の容量が大きいため重く二足歩行なので真下に重力がかかるので、頭部が背骨の真上にくることで、重い頭を支えています。
また、ヒトは類人猿にはない土踏まずが有ります。土踏まずは、走ったりジャンプしたりする時の着地の衝撃を緩和してくれるので足の裏で全体重を支えるために発達した構造であると考えられます。このように、二足歩行をするようになったことで類人猿とヒトの身体の機能的なつくりに様々な違いができました。
また、類人猿は眼窩上が隆起した眼窩上隆起がみられるがヒトにはなく眉にあたる部分の下だけが隆起しています。そして、ヒトは類人猿が持たないオトガイを持つという特徴も持っています。
今まで人類は二足歩行を始めたことで派生して、様々な変化が起きたことを紹介してきました。そもそも、なぜ人類は二足歩行を始めたのでしょうか。
未だに答えは出ていませんがいくつかの説の中から2つの説について見てみましょう。
1つ目は、人類が物を運ぶようになったからという説です。重い物を長く運ぶには、四足歩行の前かがみの姿勢ではバランスが悪く負担がかかる為二足歩行を始めたと想定されています。
2つ目は、森林の減少によって効率の良い移動を行う必要が出てきたという説です。食料確保のために森林と森林の間の草原を移動するには直立二足歩行の方が適していたと考えられています。
このほかにも、いくつかの説があるので興味のある人は調べてみてください。
コラムを読んでみていかがだったでしょうか。普段なかなか意識することのない私たち人類という存在について知れたかと思います。歴史や進化の過程を知り感慨深い気持ちになった人もいるのではないでしょうか。このコラムを読んで、人類の歴史について少しでも興味を持っていただけると幸いです。
現役医学部生ライターY
家庭教師ファーストの登録家庭教師。徳島大学 医学部 医学科在学。小学校、中学校、高校、大学受験を経験しているため全ての受験に対応できます。