家庭教師ファースト教育コラム理科・科学の雑学
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みなさんは南極についてどんなイメージがありますか?とても寒い地域、というのは正解で、南極は赤道から遠く離れているため極寒で2018年には-89.2℃ほどの気温に達したこともあるようです。しかし、南極は現在地球温暖化の影響を大きく受けている地でもあります。
この記事では、南極大陸の概要や歴史とともに、現在南極大陸で行われている研究や地球温暖化についても触れていきます。
なお、お勉強の事でお困りごとがありましたら、是非私たち家庭教師にもご相談ください!また、家庭教師の仲間も募集中です。ご興味のある方は下記リンクより是非ご検討ください。

南極とは、南極大陸を中心とした周辺の島や南極海を含む地域のことを指します。また、南極大陸は、地球の中でも最南端の大陸です。南極大陸の面積は1420万平方キロメートルで、日本の約36倍です。世界の中で5番目に大きな大陸です。南極大陸の大部分は氷に覆われており、その厚さは平均1.9キロメートルです。
南極大陸は大陸の中で平均的に最も寒く乾燥し、風が強い地域です。南極の中でも地域によって異なりますが、内陸部の平均気温は-57℃です。また、平均標高も最も高いです。年間の降水量は沿岸部で200mm以上といわれていますが内陸部ではもっと少なく、極地の砂漠地帯ともいえます。
また、世界の淡水の約70%が南極で凍結していて、これが溶けると世界の海面が約60メートル上昇するといわれています。
また、南極大陸は、1959年に締結された南極条約に加盟している約30カ国によって統治されています。つまり、南極大陸はどこの国のものでもない唯一の大陸です。この条約では、南極での軍事活動、採掘、核実験、核廃棄物の処分はすべて禁止されています。
南極大陸では、石炭や石油、天然ガスが発見されています。また、コバルト、ニッケル、銀プラチナなども発見されています。宝石に関しては、ルビー、サファイアガーネットなどが発見されていますが、昭和基地周辺でしか見つかっていません。1991年の南極環境保護条約により採掘が制限されて、1998年の議定書では2048年まで一切の採掘や商業利用を禁止しています。そのため南極大陸では漁業と国際貿易が主な経済活動となっています。2000年から2001年にかけて、112934トンの魚が捕獲されました。
夏期には5,000人が研究施設に滞在しますが、冬期には1,000人程度に減少します。
小規模な観光は1957年から行われていますが、国際南極旅行業協会の規定や南極条約議定書による制限がかかっています。大体の南極観光活動は国際南極旅行業協会によって行われています。ほとんどのツアーは中型または小型のボートで運行され、特徴的な野生動物を観察できるような場所に行くことができるようです。2006年から2007年の夏には3万人を超える観光客が島を訪れ、そのほとんどがボートを利用した観光客でした。
これらの観光客の流入が環境や生態系に悪影響を及ぼす可能性が懸念されています。科学者達が船舶や乗客に対する規制を強化するよう求めたため、南極条約加盟国は国際南極旅行業協会と協力して観光客に対するガイドラインを作成しました。このガイドラインによって観光地での着陸時間の制限や立ち入り禁止区域の導入が行われました。

古代ギリシャの時代から、哲学者や科学者ははるか南方にある陸の存在を予言していました。この予言は伝聞によるものではなく、北極と南極に同じ大きさの陸地があるからこの世のバランスが保たれるという純粋な予言であったようです。
1473年にロペス・ゴンザレスというポルトガル人が、ヨーロッパの人として初めて船で赤道を越えました。彼らはその時初めてヨーロッパが北の法にあることを実感したと言われています。彼らは南にはもっと別の大陸があるに違いないと考え始めました。
1487年にはバルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達し、1520年にはマゼランがマゼラン海峡を横断しました。これにより、未知の南にある大陸がアフリカ大陸や南米大陸とつながっていないことが証明され、ヨーロッパ人は「まだ見ぬ南の大陸」を「Antártida」と呼ぶようになりました。
諸説ありますが、オーストラリアは1606年にスペイン人のペドロ・フェルナンデス・キ・ロスによって発見されました。その後、1642年にオランダ人のアベル・タスマンがタスマニア海峡を発見しました。タスマンはさらに南下して氷の海にたどり着きましたが、それ以上進むことはせず南極大陸を見ることはありませんでした。1774年に南極圏を探検したジェームズ・クックも南緯60度線という南極にとても近い位置に到達しましたが、大陸があったとしても氷と雪で行くことができないし経済的価値がないと考えてそれ以上進むことはありませんでした。
南極大陸は、1820年に発見されました。しかし、1番初めに発見したのが誰かは議論があり、ブランスフィールド(イギリス)、パーマー(アメリカ)、ベリングスハウゼン(ロシア)の3人の中のだれかだと考えられています。そして1821年2月7日、南極大陸に最初に上陸したとされるのはアメリカ人船員のジョン・デイヴィスです。その後、フランス、アメリカ、イギリスの探検隊が数十年にわたり、さらに探検を続けました。最初に上陸が確認されたのは、1895年のノルウェーの探検隊によるものでした。20世紀初頭には、南極大陸の内陸部へのさまざまな探検が行われました。
1911年12月14日にはノルウェーの探検家アムンセンが現在設定されている南極点に初めて到達しました。現在この日は「南極の日」となっています。同じ頃イギリス人のロバート・ファルコン・スコットも南極点の到達に挑戦していましたが、スコット隊はアムンゼン隊より1ヵ月遅れて到達しました。1956年にアメリカは南極点近くに観測所を建設し、この建物をアムンセンとスコットにちなんで「アムンゼン・スコット観測所」と名づけました。
南極点に最初に到達したのは、ノルウェーのロアール・アムンセン隊でした。アムンセンの当初の目標はノルウェーから地理的に近い北極点への到達であり、そのためにスウェーデンとノルウェーの国王からスポンサーを受けることになっていました。しかし1909年9月、北極点到達のための資金や計画、人員配置のプロセスが始まった矢先にアメリカ人のクックとピアリーが北極点に到達したとの知らせが届きました。この時点で、アムンセンは計画を北極点到達から南極点到達へ変更したようでした。しかしこの変更を発表するとスポンサーから抵抗される可能性がありました。そこで、「北極に行く前に南極に寄る」と嘘をついて南極を目指しました。乗組員でさえ、目的地が南極大陸であることを知りませんでした。
最初のシーズンは、食料と燃料を供給するためのベースキャンプをクジラ湾に建設しました。そして1911年9月に犬ぞりで南極点を目指しました。
アムンセン隊には経験豊富なスキーヤーと犬ぞりが得意な人が集まっていました。犬は雪道を歩くための重要なサポート役であり、また人間の食料でもありました。アムンセン隊は途中で傷ついたイヌを食べながら過酷な探検を続け、1911年12月14日に南極点に到達しました。彼らは「ノルウェー王ハーコン7世の台地」と名付けてノルウェーの国旗を掲げました。彼らは1912年1月30日にクジラ湾から撤退し、3月7日にオーストラリアのタスマニアに上陸しました。彼らはスコット隊がまだ南極点に到達していないことを確認すると、ホーコン国王に電報を打ちました。ノルウェー全土で歓喜の声が上がり、国王は世界初の快挙に喜んだようです。
スコット隊は、アムンセン隊と南極点到達を競ったことで有名です。しかし彼の主な目的は科学実験と標本の採集でした。スコットは南極点到達を強く望んでいましたが、それだけではあまりスポンサーをつけることができませんでした。よって「科学の進歩を前提としたプロジェクトであり、南極点到達は二の次である」と言い、ようやく資金調達に成功しました。
スコット隊は1911年1月に南極大陸に上陸して、南極点攻略の計画や準備とさまざまな科学実験を約8ヵ月間行いました。
1911年9月、スコットは南極点到達の計画を発表しました。当初の計画では、モーターやポニー、イヌ、人間の力を組み合わせて荷物を運ぶ予定でした。しかしポニーはすぐに死んでしまい、モーターも故障して使えなくなってしまったためイヌの力に大きく頼ることになりました。1912年1月17日にスコット隊は南極点に到着しました。しかしアムンセン隊が34日前にすでに到着していたことを残した旗によって知ったようです。スコット隊は3月上旬の帰還時に悪天候に見舞われて食料も燃料も尽き、1912年3月29日を最後に日記が途絶えてしまいました。
スコット隊の敗北は当時の覇権国イギリスのプライドを揺るがす大打撃となったようです。よってイギリスはアーネスト・シャックルトンを南極に送り、「南極大陸横断」に挑みました。1914年8月にエンデュランス号に乗り込んだシャクルトン一行は、ブエノスアイレスに立ち寄った後、12月5日に南極大陸に向けて出航しました。しかし、1月になると航路が氷に閉ざされて船が前に進めなくなりました。その後船は氷に行く手を阻まれてしまい、乗組員は船を降りなければいけなくなりました。そして11月にエンデュランス号は浸水し、海底に沈んでしまいました。船を失ったことで南極に行くことはは困難になったため、シャクルトンは南極横断を断念して帰国しました。
日本はヨーロッパ以外の国ではじめて南極に探検隊を出した国です。日本の南極探検隊が初めて南極を訪れたのは1912年1月のことでした。隊長は陸軍中尉の白瀬轟で、彼はもともと北極点到達を夢見ていました。彼は1893年に樺太・千島探検に参加してその後日露戦争に参戦します。しかし1909年にアメリカ人のロバート・ピアリーによって北極点が到達されてしまいます。そして白瀬は南極点を目指すようになりました。
白瀬を隊長とする白瀬隊は、1911年11月29日に木造漁船を改造した「開南丸」で芝浦港を出港しました。しかし南極大陸に着くまでの道中でほとんどの犬が死んでしまうのに加えて隊員同士の中が悪くなってしまいます。また、南極を目指しましたが氷に阻まれ危険であったため一度シドニーへ向かっています。
彼らは結局1912年1月26日に南極大陸に上陸しました。そしてその上陸した地を「開南湾」と名づけました。開南湾は基地としては適さなかったため船を再出発させて「クジラ湾」という場所に再び上陸させました。この際、南極探検から帰ってきたアムンセンの船「フラム号」と出会っています。彼らは上陸後、南緯80度5分、西経165度37分の地域を「大和雪原」という名前で日本領と宣言して帰国しています。しかし、この地域は大陸ではなく、単なる棚氷であることが後に判明しました。
開南丸は2月4日に南極大陸を出港し、6月20日に芝浦港に帰港しました。白瀬隊は南極点には到達できなかったものの、学者として参加した武田輝太郎が南極の詳細な科学的調査を行い、現在の南極観測の基礎となる貴重な研究結果を残しています。しかし、第二次世界大戦によって日本は南極探検の権利をすべて失ってしまいました。
日本が南極探検を再開できるようになったのは1956年のことでした。1957年1月24日、南極観測船「宗谷」で南極地域観測隊が45年ぶりに南極大陸に上陸しました。1968年12月19日、村山正美が率いる第9次冬期極地観測隊が日本人として初めて南極点に到達しました。この際アムンゼン・スコット基地に到達するために、雪上車が使用されました。雪上車で移動ができたため、アムンゼンやスコットの遠征に比べれば楽な旅であったとはされています。しかし凍傷や怪我、雪の中で立ち往生した車の掘り起こしなど、困難は山積みでした。

ピリ・レイスの地図はオスマン・トルコの提督ピリ・イブン・ハジ・メムドが1513年に作ったといわれている地図です。彼は、紀元前4世紀ごろから存在していた33枚の古い地図や書類をもとに地図を作ったとされています。これらの地図の中にはアレクサンドロス大王の時代のものも含まれていたようです。このピリ・レイス地図はガゼルの羊皮紙で作られていて、右側を失い全体の30%しか残っていません。
不思議なことに、この地図には南極大陸が描かれています。先述したように南極大陸は1820年まで発見されていなかったにもかかわらず、この地図には南極大陸の海岸線や北西部にあるクイーンモードランドが描かれています。
この地図は、氷に覆われていない南極大陸を描いています。現在の地質学的な研究によると、紀元前4000年ごろまでは南極に氷がなかったようです。つまり、南極を発見して地図を作成する技術は、今から6,000年前には既に存在していたということになります。はたして紀元前4000年に大陸を描く技術はあったのでしょうか?
また、衛星で撮影された写真とピリ・レイスの地図は類似点が多いようです。つまり、ピリ・レイスの地図のもととなった紀元前の地図は非常に高い位置から観察して作られた可能性があります。地球は丸いため、たとえカメラのレンズの真下に被写体を置いても、写真の中心から離れるほど国や大陸が歪んでしまいます。しかし、ピリ・レイスの地図の中心部でない部分の歪みを見ると、アメリカの衛星が記録したものと一致する場所が多いのです。等高線にいたっては、衛生施設の写真と一致するほど正確です。一説ではこの紀元前の地図は何らかの航空技術によって南極を観察して作られたと考えられています。もしこのそうではなかったとしても、古代の人々が南極大陸の地質調査をこれだけ正確に行えたというのは不思議ですね。地球の丸い形をどうやって理解し、地図にしたのでしょうか。

地球温暖化により、南極の氷は急速に溶けています。一般に地球の大気や海洋の温暖化により氷や山の氷河が融解して、それらが海に流れ込むことによって海面が上昇していると考えられていますが話はもっと複雑であるようです。地球温暖化によって南極の氷が溶けていることは分かっていますが、この現象はどのようなメカニズムで起きているのでしょうか?
水の性質として見逃せないのは他の液体と同様、温度が上がると膨張することです。つまり海面上昇の主な原因は地球温暖化によって海水の温度が上昇して海水が膨張することにあります。これを熱膨張といい、一般に暖かい水は冷たい水よりも膨張の速度が高いです。この熱膨張による海面上昇は、南極の氷が溶けてしまうという大きな問題にもつながっています。
これらの大陸は、氷床と氷冠によって形成された大陸です。地球温暖化にもかかわらずこれらの氷は現在も絶えず形成されています。氷床は常に動いていて雪が凍り何層にも重なっています。そしてその層が自らの重さに耐えられなくなり海に滑り落ちていきます。
このように陸地が大量の氷でできているので、それが海に溶けたり氷山として流れたりすると海面がさらに上昇することになります。
氷河はゆっくりと海に向かって移動しています。南極大陸やグリーンランドの氷河は海側にあります。氷が溶け始めるのは中心からではなく水と接している薄い部分からであるため、地球温暖化によって温められて水温が上がった海の水が氷河とぶつかると、氷河の海と接している部分がだんだん溶けていきます。この溶けだしている部分は自らの重さを支えることができず、氷河本体から切り離されて海に浮くことになります。この本体から切り離された部分は凹凸があり、海水が浸透しやすくなっているため氷河の動くスピードが速くなり、より多くの氷が海に入ってきて海面が上昇します。
南極大陸とグリーンランドを覆う氷床と氷冠は、地球上の淡水の70%以上を占めています。科学者たちは既存の氷の量の推計から、もし地球温暖化によってこれらの氷がすべて海に溶けだしたとすると海面が60m上昇すると予測しています。また、南極の氷が全て溶けてしまうのは地球温暖化によって地球の気温が高く保たれて数千年が経過したときと予想されています。意外に遅いと感じられた方もいるかもしれません。しかし地球温暖化は現在も起こっており、南極の氷冠が縮小しているのは事実です。地球温暖化を放置すれば、気温はどんどん上昇して海水はさらに膨張し、その膨張した海水は南極の氷床にしみ込んで氷を削って海面を上昇させます。これにより、将来人間をはじめとする動植物の陸上生息地の面積が減少することが予想されます。南極の氷が全て溶けることによる実害は私たちの生きる時代にはないかもしれません。しかし、未来の世代のために地球温暖化を意識して生活していくことが大切です。

東京には国立極地研究所、通称「極地研」と呼ばれる研究所があります。ここには南極に加えて北極の研究データが集められています。また、南極研究では国際的な協力体制が整っています。国が技術を開発する場合、技術者や企業は技術の共有や即時調達など国際協力の機会を得ることができます。
極地が貴重なのは地球の歴史が氷によって凍結されていて、原始的で文明の手が入っていないからです。つまり最も重要な研究源のひとつが「氷」です。そのため、極地研の主な仕事のひとつは氷を保管することです。極地研究所にはアイスコアという極地から採取された氷が貯蔵施設にマイナス50℃で保管されています。アイスコアは一般に深く掘れば掘るほど年代が古くなります。この古い氷からはより多くの情報を得ることができます。そのため各国の研究機関では掘削方法の改良を常に模索しています。
現在世界をリードする掘削方法は、ロシア・フランス・アメリカの共同チームである「ボストーク」が開発したものです。ボストークは氷を深さ3,768mまで掘削しています。しかし、その採掘した場所の氷はあまり古いものではなく、古いもので42万年前のものであったようです。世界2位の欧州チーム「EPICA」は約80万年前の深さ3,270mまで、日本チーム「ドームふじ」は約72万年前の深さ3,035mまでアイスコアを掘削しました。このドームふじが使用した世界最高水準の採掘装置は、名古屋にある日本企業の地球工学研究所が開発したものです。
昭和基地は日本から600hlの石油を輸入してディーゼルエンジンで自家発電をしています。しかし、地域によっては効率が悪く、環境に影響を与えることもあります。よって南極では自然エネルギーの開発に力を入れています。
よって昭和基地は日立製作所と共同で、自然エネルギーである風力から電気を蓄える技術の開発を考えました。まず水を電気分解して水素を取り出して液体に変換して貯蔵します。そして必要な時に液体から水素を取り出して、ディーゼルエンジンの燃費向上に利用できるようです。このシステムは環境に配慮されている発電システムで、南極だけでなく他の地域のエネルギー問題の解決にも貢献することができます。
極地研の研究対象は、地球だけでなく宇宙も入っています。ほとんど知られていませんが、日本には世界最大級の17,000個を超える隕石が保管されています。南極の氷床に衝突した隕石は氷床に閉じ込められ、標高の低い位置に移動します。移動の途中に山脈が立ちはだかると氷の流れが止まり、それによって隕石は氷から溶けて蓄積されます。この仮説は日本の科学者によって立てられ、南極探検隊によって証明されました。それ以来、極地で状態の良い隕石を効率的に採取することができるようになったようです。
ハヤブサが宇宙から持ち帰ってきた砂粒がどこから来たのかをめぐる論争は、極地研のデータベースによって決着しました。極地研は本物の隕石サンプルを多数保有しているため、「はやぶさ」が発見した砂粒の同定に役立てることができたのです。この隕石サンプルは南極の氷床に保存されていた隕石であるため保存状態がよく、惑星科学の研究材料に適しています。

北極と南極はともに極地です。極地というのは北緯・南緯ともに66度33分以上の高緯度に位置する地域のことを指します。この緯度は極線と呼ばれ、地球の地軸の位置にあります。この地軸の北側を北極点、南側を南極点と呼んでいて、それぞれ周辺が北極、南極と呼ばれています。以下では北極と南極の共通点や相違点について述べていきます。
北極は地表の8割が海であり北極点も地表が海です。
一方南極大陸は前述の通り、南極点を含む南極大陸と、その周辺の南極海までの海域を指します。つまり北極は表面の一部が海であるのに対し、南極は大陸にあるという違いがあります。
北極はほとんどが海であるのに加えて寒さも厳しいため、流氷が多く存在します。海で氷が溶けるため水面の氷の厚さは平均数メートルで最大でも10メートル程度になります。
南極は大陸があるため、陸上の氷は溶けることなく蓄積されます。よって厚さは平均2,500メートルにもなり、北極よりも氷の量が多いです。最も厚い氷の部分は約4,000メートルにもなります。
つまり、北極の氷は海に溶けていくのであまり厚さはありませんが、南極の氷は大陸にたまっていくため非常に厚くなります。
南極は氷が蓄積されていることに加えて標高が高いため非常に寒いため平均気温は北極よりも寒く-57℃となっています。一般に標高が高くなると気温は低くなります。最低気温-89.2℃を記録したのは、南極大陸の標高3400メートルほどの場所にあるロシア基地で記録されたようです。それに対して北極はあまり標高が高くないため平均気温は-25℃と言われています。
日本の最低気温の記録は、北海道の旭川で-41℃であるため、南極の平均気温は日本の最低気温と同じであるようです。
北極は南極ほど寒くないことに加えて北米大陸などの大陸にも囲まれているため、地表にはさまざまな生物が生息しています。例えば陸上に住む哺乳類では、ホッキョクグマ、トナカイ、ホッキョクギツネなどがよく知られています。また、水中ではセイウチ、アザラシ、クジラなども生息しています。
南極大陸は大陸ではありますが表面は氷に覆われているため、陸上の哺乳類が生息していません。しかし、水中ではペンギンのように海中を移動できる鳥類や、アザラシやアシカなどの哺乳類が生息しています。また、植物は藻やコケが生えています。
北極に領土を持つ国は、アメリカ、カナダ、ロシア、ノルウェー、デンマークの5カ国です。これらの国を合わせて北極海沿岸国と呼ぶことがあります。また、北極海沿岸国にフィンランド、アイスランド、スウェーデンの3カ国を加えて「北極圏国」と呼ぶこともあります。
南極は、1959年の南極条約によりすべての国は領有権主張ができなくなりました。よって南極では科学調査の自由と国際協力の推進が奨励されています。

いかがでしたでしょうか。南極には長い歴史があり、人類は到達するのにとても苦労したようですね。また、南極は地球温暖化の影響を大きく受けている地でもあります。地球の未来のためにも節電をする、できるだけ公共交通機関を使うようにするなど自分のできることから地球温暖化の進行を止めていきましょう。さらに南極は多くの研究対象になる試料が残されている場所でもあります。さらなる南極の研究にも目を向けていきたいですね。
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大学生家庭教師ライター R.K
家庭教師ファーストの登録家庭教師。関西学院大学 国際学部。家庭教師だけでなく塾講師の経験もあり。