
家庭教師ファースト教育コラム子育てのヒント
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家庭教師ファースト教育コラム子育てのヒント
学校に通うお子さんを持つ人であれば、自分の子どもが学区でうまくやれているかは非常に気になるところであると思います。子どもたちは様々な個性が寄り集まる学校という場所で日々いろいろな状況にさらされますが、不幸にも「学校に行きたくない」と思うに至る子どもも少なからずいます。今回は、お子さんが不登校になってしまった場合の声のかけ方を中心に見ていきましょう。
なお、お勉強の事で何かお困りごとがありましたら、私たち家庭教師にもご相談ください。
この記事の目次
不登校は、日本の教育現場における重要な課題の一つであり、長年にわたって研究と議論が行われてきました。その定義や理解は、時代とともに変遷し、さまざまな観点から捉えられてきました。
文部科学省の定義によると、不登校とは「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的な要因や背景により、登校しない、あるいは登校したくてもできない状態が継続し、年間30日以上欠席する児童・生徒」とされています。
この定義は、単なる怠学(たいがく)や学校への拒否反応だけでなく、複雑な心理的・社会的背景を抱えているケースが多いことを反映しています。
この定義に基づくと不登校は、児童・生徒が登校に対する強い抵抗感や不安を感じているため登校できない状況、学校環境や学業のストレスから体調不良が続き結果として登校が難しい状態、家庭内での問題、例えば親子関係の葛藤や経済的問題などが原因で学校に行けない状態などを含みます。
こうした継続的な不登校状態は、学校に行けない理由が一時的な体調不良や家庭の事情による欠席とは異なり、登校に対する持続的な心理的ハードルが存在することが多い点で特徴的です。
不登校の原因や背景は多様で、同じように見える不登校状態でも、その根底には異なる理由が存在する場合が少なくありません。以下に代表的な不登校の例を挙げます。
これが最も典型的でわかりやすいものでしょう。クラスメイトからのいじめや疎外感、友人関係での不和が原因で登校に対する不安や恐怖を抱き、登校を避けるようになるケースです。この場合、子どもは学校に行きたくても恐怖が勝り、学校生活に対する拒否反応が強まることがあります。
「こんなことで?」と思うかもしれませんが、学業成績へのプレッシャーや試験への不安感が、学校への嫌悪感や自己否定感を引き起こし、登校を避ける原因となるケースもあります。特に学業での努力が強く求められる場面(受験期など)には、不登校が増加する傾向があります。
両親の不和や経済的問題、虐待など、家庭問題が影響する場合もあります。家庭内でのストレスや心理的負担が、子どもにとって学校生活の妨げとなり、不登校につながることがあります。このような場合には、子どもの不登校は学校に原因があると考えてしまいがちであるため、親や保護者が見落とすことが多いです。
不登校という現象が社会的に注目されるようになったのは、1960年代後半以降のことです。それ以前は、「学校を休む」という行動は単に欠席として扱われ、特別な問題として捉えられていませんでした。しかし、経済成長とともに義務教育が重視される時代に入り、「学校に行かないこと」が子どもや家庭、そして社会にとって重要な問題として扱われるようになってきました。
以下、時系列を見てみましょう。
1960年代後半 – 1970年代:不登校への認識の始まり
1960年代後半になると、「登校拒否」という言葉が教育現場やメディアで使われ始め、学校に行けない子どもたちが増えていることが社会的に問題視されました。この時代は、高度経済成長の影響で都市部の人口が急増し、学校生活の競争が激化する時期でもありました。教育現場では一部の子どもたちが競争についていけなくなり、今では問題としてすぐに認知されるような心の問題が顕在化することが増え始めました。
1980年代 – 1990年代:不登校問題としての顕在化
1980年代になると、「登校拒否」という言葉が定着し、「不登校」としての問題が教育政策の中で議論され始めます。この時期、経済成長は落ち着き、社会全体で子どもへの教育負担が注目され始めました。また、この時期にいじめや校内暴力が社会問題化し、それに伴って学校への不安やストレスが原因で登校しない子どもが増加しました。
1990年代には、不登校の子どもたちに対する理解が深まり、学校に行くことができないという状態を単なる怠学とする見方が薄れ、「学校に行けないことには心理的な背景がある」という認識が広まりました。学校側も、いじめや学業の負担が原因で登校できなくなるケースが増えていることを把握し、不登校の子どもたちへのサポートを行うためのシステムづくりが進みました。
2000年代以降:不登校支援の充実と社会的理解の進展
2000年代に入ると、不登校に対する支援がさらに充実しました。文部科学省は、教育カウンセラーやスクールカウンセラーを制度として導入し、心理的支援を提供する取り組みを拡大しました。
教育現場では多様な学びの場が設けられ、特別支援学級や適応指導教室、通信制学校、フリースクールなどが次々と設立されました。
さらに、不登校に対する社会的理解も進み、「不登校は一時的な状態であり、子どもの成長に応じて乗り越えられるものである」という認識が広まりました。また、IT技術の発展により、オンラインでの学習支援が行われるようになり、学校以外の学びの場が選択肢として提供されるようになりました。
現代の不登校に対する理解は、多様化しています。不登校は子どもが自分の気持ちを見つめ、成長するための一時的なプロセスであると捉えられるようになりつつあります。また、学校に通えない理由も以前より複雑化しており、社会的なプレッシャーや心理的な要因が絡むケースが多く見られます。
さらに、SNSの普及や情報社会の発展に伴い、いじめや人間関係の問題もオンライン上で発生することが増えています。このような環境変化は、不登校の新しい要因となっており、現代では、学校環境だけでなくインターネット上の問題にも対処する必要性が高まっています。
2020年代に入っても、不登校の児童・生徒数は増加傾向にあります。特にコロナウイルスの影響で登校に対する不安やストレスが高まり、不登校の要因も複雑化しています。教育現場では、オンライン教育の導入やフリースクールの支援が強化されていますが、子ども一人ひとりの状況に応じた柔軟な対応が求められています。
今後も、不登校に対する理解を深め、子どもたちの多様なニーズに応えられる社会の構築が重要です。社会全体で不登校への理解を促進し、個々の子どもたちに合った学びの場を提供することが、現代の不登校問題解決において求められるアプローチとなります。
自分の子どもが不登校になってしまった場合、多くの親御さんがとても悩むことだと思います。これまでの経緯でみてきたように、昨今の不登校の原因は非常に複雑で現代社会特有の環境要因も相まって一筋縄ではいきません。気持ちだけは強くても、具体的な行動として何をすればよいのかもわからないことが多いです。
また、不登校の児童・生徒への親の声掛けは、慎重で思いやりのあるアプローチが求められます。以下より専門的な見地に基づき、効果的な声掛けのしかたについて述べます。
親がまず行うべきは、子どもの気持ちや状況に共感し、理解しようとする姿勢を示すことです。子どもが感じている不安や苦しみに共感し、無理に学校に行かせようとするのではなく、現状を認めることで、子どもが安心して話せる環境を作ることが重要です。
これは実際には非常に難しく、同じような経験をしたことない人にとってはたとえ親であってもそのような子どもの心を推し量ることはできず、物事を図る尺度は主観的になってしまいがちです。ですから、大人はつい、そのような子どもには自分の考えで諭そうとしてしまいがちです。
たとえ自分の考えが仮に非の打ち所のない正論であったとしても、子どもにとってはそのような大人は安心して甘えられる存在とはなりえません。ここが非常に重要なポイントです。
このように言うと反発を感じてしまうかもしれませんが、共感するという行為にも、相手を安心させるためにある程度のテクニックのようなものが必要です。この問題には、思いの強さだけでは解決できないこともあるという難しさがあるのです。
また、これまでに多くの研究で共感的な態度を示すことは、不安や抑うつの軽減に寄与し、親子間の信頼関係を強化する効果があることが示されています。共感が難しいようなこともあるとは思いますが、そのような場合でも共感できるポイントを慎重に探すことが大切です。
具体的な声掛けの例としては、「学校のこと、何か心配なことがあるのかな?」や「今、つらい気持ちでいっぱいなんだね。話せるときでいいから、少しずつ教えてくれると嬉しいよ。」などがあります。
不登校の子どもには、学校に行くことを強制せず、焦らずにその気持ちを受け入れる姿勢が求められます。昨今、インターネット上では様々なアドバイスをする人がいますが、様々な段階と視点があるため部分的に「これはよさそうだ」と思われる対処法だけを探ってもうまくはいかないものです。
例えば、子どもが社会とのかかわりを持つことが重要であるということは言うまでもありませんが、その部分だけを切り取ってしまい急いで社会生活の場である学校に戻ることを準備もできていない段階で求めてしまうと、子どもは圧力を感じ、さらなる不安や抵抗感を抱きやすくなります。
現在のステージを無視して結果ばかりを求めるのは、親としては良かれと思ってやってしまいがちなことです。しかし、親ができるのは子どもにきっかけを与えるくらいのもので、事態を飲み込むのは子ども自身なのです。子どもの自主性を尊重する親の態度が、長期的な回復において重要な役割を果たすことはこれまで研究によっても明らかさにされています。ゆっくりでも子どものペースを尊重しましょう。
具体的な声掛けの例としては、「今はゆっくりでいいよ。あなたの気持ちが大事だからね。」や「いつか学校に行きたいと思えたときに、その準備を一緒にしていこうね。」などが良いでしょう。
不登校からの回復には小さな一歩が大切です。部屋から出ること、家族と一緒に過ごす時間を増やすこと、友達と連絡を取ることなど、日常生活の改善に向けた行動を少しずつ評価し、褒めてあげることで、自己肯定感が育まれます。
これは心理学的にも検証されており、こうしたポジティブな声掛けによる行動の強化は子どもが自信を持つための重要な要素であり、次の一歩に進む原動力になるとされています。
具体的な声掛けの例としては、「今日は部屋から出てきてくれて嬉しいよ。」「一緒に食事をできて良かったよ、ありがとう。」など、声をかける側の気持ちも添えてあげると良いかと思います。
不登校の子どもが抱える感情や考えを表現することができるよう、自己表現を促す質問を投げかけることも効果的です。無理に話を引き出そうとせず、適切なタイミングで優しく尋ねることで、子どもが自分の気持ちを整理しやすくなります。これは自己効力感や自己理解を促進し、回復の助けとなると考えられています。
声掛けの具体例としては、「どんなことが気持ちを重くさせているんだろう?」、「今日はどうだった?話したくなければ大丈夫だよ。」などが考えられます。不安やストレスに関して、子どもがそれに触れられたくないという場合も考えられるので、質問に対しての反応が悪いようなら踏み込みすぎないようにしましょう。
不登校が長期化する場合、心理的な支援を受けることが回復の助けになることがあります。カウンセリングや専門機関を利用することを提案し、子どもが気軽に相談できる選択肢を示すことも有効です。日本では、教育機関や心理カウンセラーによる支援が広がっており、保護者と専門家が協力して支援する体制が整えられています。
しかしながら、提案をするところまではいいとして、子どもによっては専門機関に行くことを受け入れられないことも考えられるので、無理強いという形になってはいけません。
声掛けの例としては、「学校の先生やカウンセラーの人と話してみるのも、一つの方法かもしれないね。」、「少しでも気持ちが楽になるなら、話してみると良いかもよ。」などと言ってみるのが良いでしょう。
以上が声掛けの際の方針として考えられますが、間違っても「〇〇しないと…」というような含みのあるように聞こえる言葉には注意しましょう。次章でもみていきますが、何気ないようで脅しっぽいプレッシャーのある言葉になってしまいます。このことを念頭に、次章からはやってはいけない声掛けについてみていきましょう。
保護者が不登校や引きこもりの子どもに対して無意識に使ってしまいがちな声掛けの中には、子どもにとってプレッシャーとなり、かえって状況を悪化させてしまうものもあります。以下に、よく見られる悪い声掛けの例と、その問題点を挙げます。
不登校や引きこもりが長引くと、親としては将来への不安が募り、「いつまでこうしているの?」といった焦りを子どもにぶつけてしまいがちです。しかし、このような言葉は、子どもに対するプレッシャーを強め、自信を失わせたり、将来に対するさらなる不安を抱かせたりすることになります。
悪い声掛けの例としてありがちなのは、「いつまで休むつもりなの?このままだと大変なことになるよ」や「学校に行けないと将来がどうなるか、考えたことがある?」というものです。
こうした声掛けは、子どもが抱える焦りを増幅させ、さらに自分を追い詰める原因となります。将来への心配は、今この瞬間に不安やストレスを抱えている子どもにとっては「どうでもいい」ことだと理解することが大切です。子どもには安心な足場が必要で、それがなければ何に対しても踏み出すことができません。将来について不安を煽るのではなく、今できる小さな一歩を見守る姿勢が重要です。
これは子育て全般にも言えることですが、他の子と比較する声掛けは、不登校や引きこもりの子どもに対して大きなダメージを与える可能性があります。特に、他の兄弟姉妹や友人と比較されると、自己評価がさらに低下し、親からの信頼を感じられなくなります。
ありがちな悪い声掛けの例は、「お兄ちゃん(お姉ちゃん)はちゃんと学校に行っているのに、どうしてあなたはできないの?」や「○○君(ちゃん)は毎日ちゃんと頑張っているみたいよ」というものです。
このような発言は比較は子どもの劣等感を助長し、かえって心を閉ざしてしまう原因となります。子どもが他者と比べられていると感じると、自己肯定感がさらに低くなり、親に対しても不信感を抱く可能性が高まります。何より、不登校という形で問題と自分なりに向き合おうとしている子どもにとっては、自分なりの戦いを戦っているわけですので、そこに問題にかかわりのない他者のことを持ち込むのはフェアではありません。
不登校の理由がはっきりしない場合、親としては何度も理由を尋ねたくなりますが、無理に確認することで子どもに対してプレッシャーを与えかねません。特に、子どもには自分の気持ちを整理できないことも多く、それを言語化するとなるとさらに困難を極めます。このような場合ではこうした質問は逆効果です。
悪い声掛けの例として挙げられるのは、「なんで学校に行かないの?本当は行きたくないわけじゃないんでしょ?」、「理由が分からないと何もできないから、ちゃんと言ってよ」というようなものです。
無理に理由を確認しようとすると、子どもは「答えなければならない」というプレッシャーを感じ、追い詰められてしまいます。理由を明確にできないことが子どもにとってもストレスである場合が多く、そっと見守ることが大切です。
実は、これはどんな人間関係に置き換えても当てはまることですが、問いただすという行為は、それなりの関係性や絆を構築しないとするべきではありません。ただの尋問になってしまいます。恋愛が始まって間もない頃、恋人に対して言葉を選んでいたことを思い出してみると良いかもしれません。
不登校や引きこもりの背景にはさまざまな要因があるにもかかわらず、「甘えている」「怠けている」と決めつけてしまうと、子どもは理解してもらえないと感じ、さらに自分を責めることになります。
悪い声掛けの例としては、「ただ甘えているだけじゃないの?少し頑張ればいけるでしょ」、「そんなに大変なことじゃない、怠けているだけだよ」というものがあります。厳しく育てられた人はこういうことを言ってしまいがちですが、それは厳しさが当たり前だった環境があったから受け入れられたのであって、今はそうした環境がないのだと理解する必要があります。
このような決めつけは、子どもに「自分の気持ちは分かってもらえない」という孤独感を与え、信頼関係を損ねる原因になるという問題点があります。理解しようとする姿勢を見せることで、少しずつ子どもが心を開くきっかけを作ることが重要です。
また、発達心理学的な見地でみてみると、人間は発達の過程で甘えるということが必要な時期があります。特にこのような時期に甘えるということをさせてもらえていない子どもは厳しさや困難に対して弱くなりがちになるとも言われています。
「これをしてくれれば、何でも買ってあげる」といった物で釣るような声掛けも避けるべきです。このような声掛けは、一時的に子どもを学校に向かわせることができても、根本的な解決にはなりません。
悪い声掛けは、「学校に行ってくれたら、欲しいもの何でも買ってあげるから」や、「これが終わったら好きなことしていいよ」といったものです。
この行為は非常に深刻な問題となります。物やご褒美で釣る行為は、短期的な解決策に過ぎず、問題の根本解決にはならないだけでなく、子どもが学校を「目的を達成するための手段」と捉えてしまう可能性があります。学校や社会生活を楽しむことの本質から子どもを遠ざけることになりかねません。
これは社会心理学的に説明することもできます。人間は、ものや条件などによる外発的動機付けによって行う行為よりも、自分の内側の欲求からくる内発的動機付けによって行う行為の方をより長く、継続的にさらに高パフォーマンスで行うことが分かっています。お絵描きが好きな子にご褒美をあげるようになったら絵を描くのに飽きてしまったという話は有名です。
以上のように、不登校や引きこもりの子どもへの声掛けでは、「無理に期待やプレッシャーをかけない」「他者と比較しない」「理由を問い詰めない」「甘えと決めつけない」ことが基本です。親としても焦りや不安が募りがちですが、あくまで子どもの気持ちを尊重し、共感的に接することで、子どもが少しずつ話しやすくなる環境を整えることが大切です。
本章ではこれまでの声掛けを試したけれど、子どもが応じてくれない場合についてみていきます。いずれの場合も、声掛けそのもの良し悪し以前の問題であることが多いですので、児童や生徒が声掛けに応じないときは無理に反応を引き出そうとせず、落ち着いて様子を見守りつつ、別のアプローチで支援することが重要です。以下、専門的な視点に基づいた対処方法を紹介します。
子どもが声掛けに応じない場合、焦らずに待つ姿勢が重要です。専門的な支援でも、子どもが心理的に「安全だ」と感じられるまで接触を避け、信頼関係を築くことが大切だとされています。親は常に関心を持って見守り、無理に接触しないことで、子どもは自分のペースで「話しても大丈夫だ」と感じやすくなります。
「待つ」というのは、具体的には声掛けの頻度を減らし、話しかけたくなるのを我慢して見守ることや、子どもが自ら話し出すまで待つ心構えを持ち、心に余裕を持って接するということです。単に事態を放置することではないということに留意しましょう。
声掛けに反応しない場合、非言語コミュニケーション(視線、ジェスチャー、表情など)を通じて、子どもに対して関心と安心感を示すことも有効です。リラックスした表情や穏やかな視線は、子どもにとって心地よく、話しやすい環境を作り出します。
子どもと視線を合わせ、優しい表情を心がけることや、一緒に過ごしながら言葉を使わない形で安心感を伝える(例:側で読書する、一緒にテレビを観る)などが考えられます。
よくあるNG例が、座ったり寝転がってそっぽを向いている子どもに対して、上から見下ろし、言葉でどうにかしようとするものです。このようなやり方では膠着状態が続き、時間ばかりが過ぎていってしまいます。かといって無理やりに子どもの領域に踏み込んでもいけません。まずは関係性を構築していくことが大前提です。
自己評価が低くなっている場合、小さな成功体験が自己肯定感の向上に役立ちます。声掛けに応じない場合は、声をかけずとも達成できるような小さな目標を設け、それを達成できたら自然に褒めたり喜んだりすることで、子どもが少しずつ自信を取り戻すようにサポートします。
具体的には、小さな行動に対して心から「ありがとう」や「すごいね」と伝えることや、家庭内で役割を持たせ、その役割をこなしたときに感謝を伝えることなどがあります。学校に行かせることにこだわらず、子どもの成長そのものに注目することが大切です。
直接の声掛けが難しい場合、手紙やメモ、SNSメッセージなど、間接的なコミュニケーション手段を使うことも一つの方法です。これは、子どもが直接的なやり取りに抵抗を感じている場合、心理的負担を軽減し、意思表示しやすくする効果があります。
メモや手紙で、短く温かいメッセージを残すことやSNSやメールなどは効果的ですし、また、直接顔を合わせずに連絡を取れる方法を提案することも考えられます。
ただし、そのような代替コミュニケーションはあくまでも代替措置であり、常態化させると別の問題に発展しかねないということには注意が必要でしょう。
親子関係や教師との関係がこじれている場合や、声掛けに対する反応が極端にない場合、経験豊富な第三者、つまり専門家のサポートが効果的です。カウンセラーや心理士は、第三者として子どもと対話を持つことで、親や教師とは異なる立場から子どもを支えることができます。多くの研究でも、家族以外の第三者が入ることで、子どもがリラックスしやすくなり、回復が促進されることが示されています。
具体的には、スクールカウンセラーや児童相談所、地域の支援団体に相談することもできますし、親が付き添う形ではなく、子どもが一人で専門家と話せる機会を設けるというのも一つの方法です。
第三者の介入が有効であるのは、親子関係が良好ではない場合や子どもが親に対して不信感を抱いている場合になります。親の理解を求めている子どもであれば、最初から第三者に相談してしまうとかえって「わかってくれない親」、「話を聞いてくれない親」というような印象を与えてしまうことになりかねません。
声掛けに応じない原因が環境にある場合、その環境を変えることが効果的です。たとえば、好きな趣味やリラックスできる場所で過ごす時間を増やすことで、気持ちを整理しやすくなり、コミュニケーションが促されることがあります。居心地の良い環境や活動は、子どもが心を開くきっかけになります。
要は環境の変化が重要となるのですが、具体的には自然の中での散歩や運動、趣味の時間を一緒に過ごす。家庭内で静かに過ごせる安心スペースを提供することが重要です。特に思春期に差し掛かった子どもであれば、様々なきっかけが自分を見つめなおすための良い刺激になり得ます。逆に固定化された環境では悩みを増幅してしまう可能性があります。
以上、子どもが声掛けに応じない場合に考えうる手段を説明しました。子どもが声掛けに応じないというのは、話し合いや話を聞くことを拒否したり、話しかけても聞いてくれなかったり、提案にことごとく反対したりするようなケースを指しますが、注意したいのは、子どもには子どものなりの考えややり方があるということです。
一見聞いていないようで聞いている、返事をしていないようで同意しているというようなこともあります。そのような時には小さなサインを出してくれることが多いですが、気づきにくいです。日ごろからよくコミュニケーションを取らないと、そのような場合にも子どものことを分かろうとしてもわかってあげられないということになりかねません。
日ごろの挨拶、些細なことでも声をかけることが重要ですし、それでいて必要以上に干渉しないということも重要です。なかなかに難しいことかもしれませんが、毎日の積み重ねの結果が出るというだけの話です。日ごろの意識を大切にしましょう。
最後に、不登校という言葉とよく混同されがちな登校拒否という言葉についても知っておきましょう。どちらも状況は同じように思われがちですが、明確な定義の違いが存在します。
登校拒否とは、心理的または環境的な要因により、児童・生徒が学校に行くことを拒む行動を指します。登校拒否は必ずしも「不登校」と同義ではなく、「学校に行きたくない」という強い心理的な抵抗感が伴っている状態を指します。登校拒否の子どもたちは、場合によっては学校へ行こうとする意志がありつつも、心理的または感情的な障害によって登校できないことが多いです。
また、登校拒否は一時的な状況である場合も多く、たとえば突然の環境変化(新学期、新しいクラスメイトとの関係、クラス替えなど)や特定の出来事(いじめ、失敗体験)が引き金となって発生するケースもあります。ですから、登校拒否は必ずしも長期的に続くものではなく、心理的なサポートや環境の改善によって比較的早期に解消されることも少なくありません。
「登校拒否」と「不登校」はしばしば混同されがちですが、両者には以下のような明確な違いがあります。
登校拒否は基本的には「拒否」という動作です。ですから、短期的かつ一時的なケースが多いです。原因となる問題が特定しやすく、それが解決されると再び登校できるようになる場合も多いため、比較的解消しやすい傾向があります。
それに対して不登校は長期的かつ継続的に学校へ行けない状態を指します。不登校には、家庭環境や個人的な性格傾向、自己評価など複合的な要因が絡むことが多く、解消には時間を要することが少なくありません。
登校拒否においては特定の出来事や関係性に強い抵抗感や不安感を抱いていることが多く、それが学校全体に対する拒否感へとつながっている状態です。特に明確な引き金となる出来事があった場合が多いため、適切な支援により比較的早期に解消されやすいとされています。
不登校においては学校生活全般への拒否感や自己肯定感の低下、さらには家庭内問題が絡む場合もあり、単純な「拒否」ではなく「登校が難しい状態」が継続的に存在します。そのため、根本的な解決には心理的支援や環境調整が必要です。
登校拒否は学校に行こうとする意志があるにもかかわらず、心理的ハードルが高く、行動に移せない状況を指します。行きたい気持ちと行けない現実のギャップが大きいため、強い葛藤を感じていることが多いです。
不登校においては、学校に行きたいという意志がほとんどない、あるいは行くことを避けたいという意志が強い状態が多く見られます。行きたいという気持ちが葛藤の末に負けてしまった状況である場合もあります。このため、家庭では登校への意思を尊重しつつ、長期的な支援と理解が必要です。
以上のように、登校拒否と不登校は似ているようで全く違う言葉であることが分かります。しかし、親の視点に立ってみると、不登校の多くにはその前段階として登校拒否がみられる場合が非常に多く、いかに日ごろから自分の子どもと意思疎通をしておくかが重要であることが分かるかと思います。
また、自分の子どもは大丈夫だろうと思っていても、いつどのようなことが起こるかは誰にもわかりません。小さなシグナルを見落とさないように、やはり日ごろから子どもの様子をつぶさに確認する習慣を身に付けておくのが良いでしょう。
今回は「不登校の生徒さんへの声掛け」ということで見てきましたが、いかがでしたでしょうか。
著者も経験から不登校は一度陥ってしまうとなかなか事態が動かなくなってしまうことが多いことを知っていますが、親や親せき、教師など周囲の人への生活面での影響は想像以上に大きいものです。それでいて子ども本人ではどうにもならない状況が出来上がってしまっているので、大変難しい状態であると思います。
保護者としてできることは、まずは不登校に陥らない環境づくりとその維持、もしも起こってしまった場合には大きな代償を払ってでも対処をしようという覚悟であると私は思っています。
子どもの変化に対して仕事は休まない、しがらみを気にして対処しないなど、何も犠牲にせずやろうとしても、結局どれも中途半端になってしまいずるずると長い時間をかけて問題は悪化していき、身動きが取れなくなってしまいます。
中には時間が解決してくれるようなケースもありますが、子どもに対して“間違った対処をしない”というだけでもかなり結果が違ってくるのはどうやら間違いありません。そのためには日ごろの情報収集や子どもとのコミュニケーションは欠かせないようにしましょう。
子どもも日ごろの勉強や社会生活に頑張っています。生きることそのものが不断の努力によって成り立つものであるということを忘れず、日ごろの生活に向き合いたいものです。
現役家庭教師ライター K.M
家庭教師ファーストの登録家庭教師。教員免許所持。塾講師・家庭教師歴10年以上。学習上のつまずきを環境面から考えて指導します。