
家庭教師ファースト教育コラムその他の雑学
家庭教師ファースト教育コラムその他の雑学
家庭教師ファースト教育コラムその他の雑学
兼好法師によって書かれた「徒然草」は、清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」とともに日本三大随筆の一つとされ、国語の教科書の題材として取り上げられるなど成立から何百年も経った今も広く読み継がれています。
本文では「徒然草」について誰が、いつ、どのようなことを書いたのかについて簡単にご説明します。また、教科書ではあまり見かけない章段にも、興味深いお話がたくさんあるのでその中からいくつかご紹介します。
なお、お勉強の事でお困りの際は、是非私たち家庭教師にもご相談ください!
この記事の目次
筆者の兼好法師(けんこうほうし)は西暦1283年頃に生まれ、1357,8年頃に亡くなった、つまり、鎌倉時代の終わり頃から南北朝時代の初めにあたります。時代の変わり目で、激動、混迷の時期でもありました。
兼好法師は若い頃は後二条天皇に仕え、30歳くらいの頃に出家し、「遁世者(とんせいしゃ)」として特定の所属は持たず、武家社会と公家社会の両方の情報通であり相談役でもあったとされています。
また、兼好法師といえば随筆、「徒然草」が真っ先に浮かぶかもしれませんが歌人としても超有名人でその時代の和歌四天王の一人に挙げられています。せっかくなので彼の詠んだ和歌を一首見てみましょう。
“住めば憂き世なりけり他所ながら思いしままの山里もがな” (新千載和歌集)
書いてあることだけを訳してみると次のような感じになります。
―住んでみると辛いところだった。遠くから思い描いていた通りの山里があればなあ。―
いまひとつピンときませんね。ここで、彼は俗世から離れた生活を理想として出家したことを考慮してもう一度訳してみましょう。
―俗世を離れて実際に住んでみると山里も辛いところだった。
遠くから眺めて憧れていた通りの山里があればなあ。―
このような感じになると思います。「憧れた生活もいざ自分でやってみると意外といいことばかりではなく辛いことが多かった。」という季節の情景などではなく、自身の感情をたっぷり込めた歌だとわかります。ところで、この歌に詠まれているような経験に共感してしまうのは私だけでしょうか?
「徒然草」を読む際にも筆者は出家した人物であることを頭の片隅に置いておくと文中に現れる彼の価値観への理解が深まると思います。
徒然草について何か聞いたことがある人ならば先に示した「兼好法師」の別名として「吉田兼好(よしだけんこう)」や「卜部兼好(うらべかねよし)」という名前も聞いたことがあるのではないでしょうか。ここではその三つの呼び名について整理してみましょう。
まず、「卜部兼好」は彼が出家前に名乗っていた名前です。そして、「卜部兼好」は出家後に「兼好法師」を名乗るようになりました。
では、「吉田兼好」とはなにか。この名前は後の世の人の捏造と言われています。捏造に至る経緯は次のようなものであったと考えられています。
兼好法師の死後、室町時代に卜部氏の一部が「吉田」の性を名乗り始めました。その吉田家の人物の出世のため「うちの一族にはすごい人物がいるぞ」と、アピールするのにかつて同じ「卜部」を名乗っていた兼好を吉田家の親戚だと主張したのだとされています。要するに、たまたま同じ苗字だった有名人を親戚だと嘘をついたのです。
以上三つの呼び名をご紹介しました。まとめると「徒然草」の筆者は卜部兼好であり、兼好法師です。ただ、本記事では「徒然草」を書いていた頃には出家していたことを踏まえ、筆者を「兼好法師」と呼ぶことにします。
「徒然草」は今から700年程前の1319年から1331年の間くらい、兼好法師が4,50歳の頃に描かれたとされています。同じく三大随筆と言われる「枕草子」は平安時代、996年から1001年ごろ、「方丈記」は鎌倉時代初めの1212年ごろにそれぞれ書かれたとされています。三大随筆とまとめられますが執筆された時期は随分空いているのですね。
「徒然草」が書かれた頃の日本は鎌倉時代末期。先に述べた通り混迷の時期であったことも影響したのでしょうか、兼好自身が生きた時代の欠点を指摘し、それと比較して昔を褒め称えるような表現が多く見られるのも「徒然草」の特徴の一つです。
さて、ご存知の読者の方もいるかもしれませんが当然そんな昔にコピー機や印刷機はなく、本を作るのは手書きの写本に頼っていました。そうして何度も繰り返し書き写して受け継いでいく中で大きく分けて4種類の系統が出来上がりました。初めは同じ本であったはずですが、ミスや書写者による意図的なアレンジが積み重なった結果と言われています。
その4種類を簡単に紹介しましょう。
・現存する最古の写本、「正徹本系」
・章段の配列が他と異なる「常縁本系」
・江戸時代に最も広く読まれた「烏丸本」
・上記3つを取り合わせたような性格を持つ「幽斎本」
一番古い正徹本がオリジナルに一番近いようにも思われますが、短い期間に何度書き写される場合もありますし、正確さは途中の書写者がどれほど原作に忠実だったかに左右されるため一概に「古い写本=正確な写本」とはいえません。
実際は烏丸本が最も不審な点が少なく原文に近いのではないかと考えられていて、現代の「徒然草」の本文のベースにされることが多いです。本記事も烏丸本を参考に書いています。
実は、徒然草に限らず古くからの作品は原本が見つかっていない場合も多く、数々の写本を基に原本の表現を探る研究がなされています。興味のある方はそういった学問についても調べてみてはいかがでしょうか。
「徒然草」では多くの章段において兼好法師にとっての理想の生き方・人としてのあり方が、彼が日常で良いと感じた物事や、反対に悪いと思った物事を通して時にユーモアを交えて書かれています。
これらの価値判断は数百年前の価値観であることに加えて普段触れる機会の少ない出家した者としての理想:俗世を離れ、欲をもたないような状態 を求めようとする仏教的価値観に基づいている、といった場合が多いため、現代の我々からすると時に首を傾げることもあるでしょう。一方で共感できる章段を見つけた時には執筆から数百年を経てもなを変わらぬ価値観があることに驚くかもしれません。
それから、現代では「徒然草」は随筆(エッセイ)に分類されることが多いです。随筆というのは“自分の見聞・体験・感想などを、思うままに自由な形式で書き綴った文章”(明鏡国語辞典)のことです。現代のTwitterやブログに似たところがあるように感じます。そういった自由な文章ですから、読んでみると難しい、堅苦しい話は意外と少なく、彼自身の自慢話や愉快な体験談など親しみやすい話が多いことに気がつくと思います。
さて、いよいよ「徒然草」本文に注目していきます。教科書に載っているだとか、入試で問われるとかいったことは一切考えず、単純に私の気に入った部分の中からなるべく雰囲気の異なるお話をいくつかご紹介します。本文に続けて要約を現代語で書いてありますので、まだ古文は読めないという人もお楽しみいただければ嬉しいです。
“改めて益(やく)無き事は、改めぬを、良しとするなり。”
「徒然草」ではこのようなたった一文に収まるような章段も多く見られます。
内容はというと「改めてもいいことがないならそのままにしておくのが良い」といっています。私はこれを読んだ瞬間、近年話題の“ブラック校則”が頭をよぎりました。ずいぶん昔に書かれた文のはずですが今でも通じるいい例の一つかと思います。
もう一つすぐに読めてしまう段を見てみましょう
“めなもみといふ草あり。くちばみに螫(さ)されたる人、かの草を揉みて付けぬれば、即ち癒ゆとなん。見知りて置くべし。”
メナモミというキク科の植物があって、マムシに噛まれた時はこの草を揉んで患部に擦り付けるとたちまち治るから、どんな草か見て覚えておくべきだ。というのです。
当時は有効な手段だったのかもしれませんが、現在はいい薬があるので万が一、マムシに噛まれた時は草などさがさず、すぐに傷口から血を絞って少しでも毒を抜き、患部より心臓に近い位置できつく縛って毒が回るのを遅くした上でなるべく早く病院へ行きましょう!
このように豆知識のような事柄も「徒然草」には沢山登場します。
“狐(きつね)は、人に食ひつくものなり。堀川殿にて、舎人(とねり)が寝たる足を、狐に食はる。仁和寺(にんなじ)にて、夜、本寺の前を通る下法師に、狐三つ、飛びかかりて、食火つければ、刀を抜きて、これを防ぐ間、狐二匹を突く。一つは、突き殺しぬ。二つは、逃げぬ。法師は、数多所、食はれながら、事故(ことゆゑ)なかりけり。”
なんと、堀川さんの舎人(≒使用人)は寝ている間に狐に足をたべられてしまい、仁和寺の法師は三匹の狐に襲われたというお話です。幸い、仁和寺の法師は狐たちを刀で撃退することに成功し、何箇所もかじられたものの命に別状はなかったようです。私にとっての狐のイメージからすると随分怖い狐が登場しているのですが皆さんはどう感じたでしょうか?
ちなみに、仁和寺の法師は命に別条はなかったようですが、狐にはエキノコックスという人が感染すると命に関わる寄生虫が寄生していることがあるので、どんなに可愛く見えたとしても野生の狐と触れ合うことは絶対にやめましょう。
“医師・篤茂(くすし・あつしげ)、故法皇の御前に候ひて、供御(ぐご)の参りけるに、「今参り侍る供物の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内府参り給ひて、「有房(ありふさ)、ついでに物習ひ侍らん」とて、「先づ、「しほ」という文字は、いずれの偏にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏に候ふ」と申したりければ、「才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし」と申されけるに、響動(どよみ)に成りて、罷り出で(まかりいで)にけり。”
医師の篤茂が今は亡き法皇のお食事の際に「食卓に出てきた食べ物について、私は何も見ずに答えるからなんでも質問してください。」と法皇の前で見得を切りました。すると法皇のそばに控えていたこちらも今は亡き有房の大臣(おとど)が「ついでに私も教えていただきたい、『しお』という漢字は何編ですか?」と質問しました。
皆さんもご存知の通り、調味料の“しお”は漢字で“塩”と書きますから、篤茂は「土編です。」と答えました。すると有房は「あなたの学才の程度はすっかりわかりました。今はもうこれで結構です。これ以上教えていただきたいことはありません。」と言い放ち、周囲の人は大笑い。恥をかかされた篤茂は部屋から出て行った。という場面です。
篤茂は何も間違えていないのにどうして有房はあのような冷たいことを言ったのでしょうか。実は当時は“塩”の他に“鹽”という字も使われていたのです。「なんでも聞いてください」と大きくでた割には不完全な解答であることを有房はもちろん見逃さず。周囲の人も気付いていたからこその場面です。
この場面ではやや篤茂がかわいそうにも見えますがまるで有房が自身の学識を過信したお調子者の篤茂の回答を先読みして質問したかのようでかっこいいですね。
書き出しの“徒然なるままに日暮らし硯にむかひて”はとても有名なのにそれに比べて終わりを知っている人はすごく少ないのではないかと感じたため最後に終わりの第243段を紹介することにします。
“八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏は如何なるものにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。”
八歳になった頃の兼好がお父さんに「仏はどういったものですか?」と質問するところから始まります。
お父さんが「仏は人間がなるんだよ。」と答えると「人はどうやったら仏になれるのですか?」と兼好が更に質問します。父は「仏の教えによってなるのだ。」と答えますが兼好は「ではその教えをもたらす仏には何が教えたのか」と続けます。
父の「それはさらに前の仏だよ。」という答えに納得するはずもない兼好が、「一番教え始めの仏はどのような仏ですか?」というと父は「空から降ってきたのか、土から湧いてきたのかな」と笑いながら言いました。
そして後日、周囲の人に「息子に問い詰められて答えられなくなったよ。」と語っては楽しんだ。とのことです。
なんと、徒然草は思い出話で幕を閉じるのです。
それにしてもほのぼのとしたシーンですね。最近では子供から親への質問攻めは“ナゼナゼ期”や“なんで?攻撃”などと呼ばれ、世の中のご両親を悩ませているようですが、「徒然草」に登場するこのお父さんは、子供の質問攻めが始まったことを喜んでいるようです。
それもそのことを何度も、いろんな人に、楽しげに話していたことがわかります。親が答えに困るレベルの質問をできるようになったことが目に見えない内面の発達を感じさせたからでしょう。
それにしても700年前、武士の世の中でさえ“「なんで?」攻撃”が存在したかと思うとこの悩みから人類が解放される日は来ないのではとさえ思えてきます。
いくつかの章段を本文では紹介しましたがもちろんこれらはほんの一部です。具体的に言えば243段ある中の5段のみです。
各章段が短いので隙間時間に取り出す程度でもキリのいいところまで読みやすいですし、最初から最後まで全て読まなくても楽しめるのも随筆のいいところのひとつです。パラパラとページをめくりながら目を引いた箇所を読むだけでも楽しめる上に、おまけに古文を読むのに慣れることもできます。
現代語訳された本がたくさんあるのでぜひ、一度手にとって学校でみた事のない「徒然草」に触れてみてはいかがでしょうか。
なお、お勉強の事でお困りの際は、是非私たち家庭教師にもご相談ください!
【 参考文献】
徒然草 兼好 訳:島内裕子 筑摩書房 2010
徒然草 無常観を超えた魅力 川平敏文 中央公論新社 2020
徒然草をよみなおす 小川剛生 筑摩書房 2020
明鏡国語辞典 第三版 北原保雄 大修館書店 2020
現役北大生ライター M
家庭教師ファーストの登録家庭教師。北海道大学 医学部 医学科在学。中高生を中心に小学校低学年から大学受験生まで指導しています。