
家庭教師ファースト教育コラムその他の雑学
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明治時代に活躍した童話作家・宮沢賢治。みなさんも絵本や教科書で、一度は彼の作品を読んだことがあるのではないでしょうか。37年の短い人生で彼が残した物語はどれも、独特の世界観や美しい文体で私たちを魅了してくれるものばかり…。今回はそんな賢治の生涯と特に有名な(よく学校の授業や受験で取り上げられる)作品について解説していきます。
なお、勉強の事で困ったことがあった際には、是非私たち家庭教師にもご相談ください!
この記事の目次
まずは宮沢賢治がどんな人物だったのか、見ていくことにしましょう。
宮沢賢治は1896年に岩手県の花巻で、質屋を営む裕福な家庭の長男として生まれました。幼い頃から読書や鉱物採集が好きで、近くの山を歩き回っては石を集めていました。中学校に進学すると鉱物採集にますます熱中し、さらにこの頃から短歌を読むなどの文学活動を始めたといいます。そして盛岡高等農林学校に進学、農業を学びながら、自作の短歌を発表する文学同人誌『アザリア』を出版していました。
1921年には、地元の花巻農学校で先生となりました。作家としての活動も継続して行っていましたが、翌年には最愛の妹・トシを結核で亡くしてしまいます。1926年に教師を辞職した後は、自ら農耕生活を経験ながら、周囲の農民に農業指導を行いました。しかし、もともと体が弱かった賢治は、1928年に肺の病気を発症。一時は回復しますが、1933年、37歳の若さでこの世を去りました。
今でこそ知らない人がいないほど有名な宮沢賢治ですが、なんと生前に出版された本はたったの2冊だけ。1924年に詩集『春と修羅』と童話短編集『注文の多い料理店』を自費出版(作者が自分で費用を負担して本を出版すること)しただけなのです。しかもこれらの作品は全く評価されませんでした。有名な『雨ニモ負ケズ』も『銀河鉄道の夜』も、今読まれている作品のほとんどは賢治が死んだ後になって発表されたものです。原稿料をもらったのも、教師時代に『雪渡り』が雑誌に掲載されたときが最初で最後だったとのことですから、今と違って、どれだけ賢治が注目されていなかったのかが分かります。
みなさんは「イーハトーヴ」という世界を知っていますか?もしかしたら、「小学校で習った!」という方もいるかもしれませんね。これは賢治が作り出した造語で、彼の思い描く理想郷のことです。作品の中ではたびたび、架空の地名として登場します。賢治は故郷を愛していましたから、もちろんモチーフは岩手県。イーハトーヴという名前も岩手をもじったものであると言われています。他にもハームキヤという花巻をもじったような地名も賢治の作品には出てきます。そんな部分に注目して読んでみても、また違った面白さを見つけられるのではないでしょうか。
それでは次の章からは、教科書に取り上げれるような宮沢賢治の作品について紹介していきます。賢治の作品は中学入試には頻出ですし、大学入試でも、賢治について論じられている問題が出題されたことがあります。ぜひ、今から挙げる有名な作品についてだけでも、この記事を読んで押さえておくことをおすすめします。
『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の代表作。小学校6年生や中学1年生の教科書で紹介されていることも多いですね。美しくも悲しい、幻想的な銀河の旅…。ぜひ、1度は実際に手にとって読んでみてほしいです。というわけで以下の要約はネタバレ注意!簡単に解説もしていますので、今から読む予定のある方は、本を読んでから、この記事を読んでいただければ幸いです。
主人公は孤独な少年・ジョバンニ。母は病気で、父親は漁に行ったきり帰って来ません。そんな彼は同級生のザネリたちから嫌がらせを受けていましたが、幼馴染のカムパネルラだけは違いました。
星祭りの夜、ジョバンニがひとり丘の上で夜空を見上げていると、どこからか声が聞こえてきました。そして次の瞬間、彼はカムパネルラと共に、銀河を旅する不思議な鉄道に乗っていたのです。
化石を発掘する学者や鳥捕りの男との出会い。ジョバンニが持つ特別な切符。途中で乗り込んできた、「乗っていた船が沈んでしまった」という子どもと青年…。
サウザンクロスに着くと、他の乗客は皆降りてしまいました。2人きりになったジョバンニとカムパネルラは「ほんとうのさいわい」を探しにどこまでも一緒に行こうと誓います。しかし、気がつくとカムパネルラの姿は消えてしまっていました。
ジョバンニはもとの丘の上でひとり目覚めました。家へ帰ろうと歩いていると、カムパネルラが溺れたザネリを助け、そのまま行方不明になっていることを知ります。捜索が続く川で、カムパネルラの父(博士)は既に息子の生存を諦めていました。博士から自分の父が帰ってくることを聞いた彼は、母の待つ家に向かって走り出しました。
「僕はもうあのさそりのように本当にみんなのさいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」
物語の後半で出てくる、みんなの幸せのために、自分の命を捨てて夜の闇を照らすサソリの話。この言葉はそれを聞いて、ジョバンニがカムパネルラに言った台詞です。『銀河鉄道の夜』の物語の中には、この他にも「ほんとうのさいわい」というキーワードが随所に見られます。ジョバンニは旅を通して、「自分の身を差し置いてでも他人のために尽くす」ことこそが「ほんとうのさいわい」だと結論を出し、それをどこまでも探しに行こうとします。
しかし、旅を終えたジョバンニに待っていたのは、大切な親友が自らを犠牲にザネリを救ったという現実でした。果たしてカムパネルラの「理想的な」姿を見て、ジョバンニは何を思ったのでしょうか。彼はこれからも、「ほんとうのさいわい」とは何なのか、探し求めて行くはずです。賢治の他の作品を読んでも、答えのない問題に対して問い続けて行くことこそが、人間のあり方であると言っているように思えます。みなさんもぜひ、みなさんなりの「ほんとうのさいわい」について考えてみてはいかがでしょうか。
タイタニック号が処女航海中に氷山に激突し、沈没したのは1912年4月のこと。レオナルド・ディカプリオ主演の映画『タイタニック』(1997)を見たことがあるという方も多いのではないでしょうか。「絶対に沈まない」と謳われた船が、1500人を超える犠牲者を出したことは、当時の日本でも報じられました。
実は、1924年ごろに執筆が始まった『銀河鉄道の夜』もその悲劇に影響を受けた作品であると言われています。物語の中盤から登場する家庭教師の青年と姉弟は、乗っていた船が氷山にぶつかって沈み、銀河鉄道に乗りこんできました。青年が語る船が沈んでいく様子の描写は、タイタニック号の事故の報道と一致しているところが多く見られます。タイタニック号には救命ボートが足りなかったため、女性と子どもが優先され、多くの男性と乗員は船とともに沈んでいきました。他人のために多くの者が犠牲になったタイタニック号の事故は、「ほんとうのさいわい」を追い求める賢治に、大きな影響を与えたのです。
『銀河鉄道の夜』は実は未完の作品。度重なる推敲によって、大きく分けると4つの原稿が存在しており、専門家の調査で推敲が最も後とされた原稿が、最終形(第四次稿)として現在出版されているのです。
ところが、第三次稿までと最終形の間には大きな違いが存在します。その一つが「ブルカニロ博士」という登場人物の存在です。第三次稿までは、ジョバンニの旅はブルカニロ博士の実験によって見た夢であるとされています。彼が何者で、なんのためにそのような実験を行ったのかは謎ですが、ジョバンニに「ほんとうのさいわい」を探すという決意をさせるという重要な役割を担っていました。しかし、最終形では物語から消えてしまっているのです。
ジョバンニとカムパネルラの関係性もまた、大きな違いの一つです。最終形では、父親同士も仲の良い幼馴染である2人ですが、第三次稿までではカムパネルラは、ジョバンニにとって憧れの存在だとされていました。ジョバンニはクラスの人気者であるカムパネルラと友達に「なりたい」と思っているのです。なぜ賢治はこれほどまでに大きく物語を変えたのか。考えてみると、より深く『銀河鉄道の夜』の世界を楽しむことができますよ。
『雨ニモマケズ』も有名な宮沢賢治の作品です。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ…」という冒頭部分が印象的で、みなさんも一度は小学校で音読した経験があるのではないでしょうか。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク
決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ
『雨ニモマケズ』は宮沢賢治が亡くなった翌年に、遺品のノートの中から見つかった作品で、1931年に書かれたと推測されています。当時賢治は既に、病気で寝たきりの生活になっていました。一般的には詩であるとされていますが、ノートの他のページには賢治の自省と願望が書かれてあるばかりでしたから、発表する意思があったのかどうかも分かってはいません。
ここに描かれた賢治の理想像は、『銀河鉄道の夜』の項目で触れた「ほんとうのさいわい」に通じるところがあります。「そういう者に私はなりたい」という最後の一節には、見返りを求めず他人に尽くしたいという理想と、なかなかそうはいかないという現実とのギャップが現れているようにも思えてきます。
続いて紹介するのは、『注文の多い料理店』です。出版社によっては、小学5年生の教科書に掲載されています。賢治の生前に発表された、数少ない作品のうちの一つでもあります。
ある2人の若い紳士が猟犬を連れて山に狩りに出掛けました。しかし獲物は何も捕れず、案内人とははぐれ、猟犬は泡を吹いて死んでしまいました。そこで下山を決意した2人の前に、突然、立派な洋館が現れました。腹をすかせた2人はその洋館「山猫亭」の中に足を踏み入れてしまったのです。
「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」
2人はそんな文言を気にも留めず、意気揚々と踏み込んで行きます。しかし、進んでも進んでも店の中は広く、なかなか奥までたどり着かないまま、注文は次々と現れてきます。指示通りにしていく2人でしたが、最後の注文「身体に塩を揉み込んでください」を見て、ようやく自分たちが調理される側であることに気がつきました。
扉の向こうでは、2人を調理しようと待ち侘びている声がします。もう助からないと思ったその時、戸を突き破って踊り込んできたのはあの死んだはずの猟犬でした。そして、「山猫亭」は雲のように消えてしまいました。はぐれた案内人とも合流し、安心した2人でしたが、あまりの恐怖で顔は紙くずのようになってしまい、2度と元に戻ることはありませんでした。
この物語の面白さはズバリ、怪しさ満点の山猫亭と、呑気な2人の紳士のギャップにあるでしょう。「太ったお方や若いお方は大歓迎」の文字を見ても、「自分たちは若い上に太っているぞ!」と大喜びしてしまいます。「髪をとかして泥を落としてください」「鉄砲を置いてください」「帽子とコートと靴をお脱ぎください」など、どんな指示にも2人は都合の良い解釈をするばかり。「クリームを塗りこめ」なんていう明らかにおかしな注文をされても、部屋が乾燥しているからだと思い込んでしまうのです。
みなさんはどうですか?人に言われたことを何の疑問も持たずに受け取ってはいませんか?太ったお方や若いお方は歓迎されるのはどうしてなのか、きちんと考えればきっと、2人は恐ろしい目には合わなかったはずです。言葉の背景を考えることが大切なのだと、この物語は教えてくれます。
2人の紳士は冒頭で「何でもいいからエモノを獲りたい」と発言し、死んでしまった犬に対しても、悲しむどころか「2400円の損害だ」などとお金のことばかり考えています。賢治はこのように命の尊さを忘れて軽んずると、自然側からしっぺ返しをくらうと言いたかったのではないでしょうか。「食べる側」として狩りをしていた2人の紳士は、自分たちが「食べられる側」になるとは、最後の最後までちっとも考えません。何とか生き延びることはできましたが、くしゃくしゃになってしまった顔を見るたびにきっとこの恐怖を思い出すのでしょう。
賢治はこの『注文の多い料理店』を通して、人間の自然や他の動物に対する傲慢さを批判したのではないかと思えてくるものですね。
小学校6年生の教科書に広く掲載されている作品・やまなし。淡く美しい川底の日常が描き出された、なんとも不思議な物語です。
「小さな谷川の底を映した二枚の青い幻燈です。」
5月
「クラムボンはわらったよ」「クラムボンはかぷかぷわらったよ」とカニの兄弟が話しています。2匹が天井を眺めていると、とつぜん何かが水の中に飛び込んできました。次の瞬間、魚は跡形もなく消えてしまったのです。2匹は恐怖に震えました。父親は、それはカワセミだから安心しろと言いました。
12月
カニの兄弟は大きくなりました。夜の川底で、2匹が泡の大きさを比べ合っていると、突然黒いものが水中に飛び込んできました。2匹はかわせみかと怖がりますが、父親はやまなしだと言いました。流れ行くそれはやがて、木に引っかかって止まりました。良い匂いがするやまなしは、いずれ美味しいお酒になると父親は言います。そして3匹は、自分たちの家に帰っていくのでした。
この物語を読んだ人の多くが、クラムボンとは結局何だったのだろうかと疑問に思うことでしょう。教科書の注釈には「作者が作った言葉。意味はよく分からない」と書いてあることからも分かるように正体は不明、研究者の間でもさまざまな議論が繰り広げられています。教科書には「水中の小さな生き物」と書かれたこともあるそうですが、他にもアメンボ説、泡説、光説、母ガニ説、人間説など、解釈は人によってさまざま。みなさんもぜひ、自分なりの解釈を見つけてみてはどうでしょうか。
『やまなし』のあらすじは忘れてしまったけれど、クラムボンがかぷかぷ笑ったことは覚えている…なんて話もよく聞きますが、それほどまでに印象的なのがこの「かぷかぷ」という表現。これはオノマトペと呼ばれるもので、音や状態を人の言語で表したものです。「わんわん」や「ふわふわ」もオノマトペの一種と言えますね。
そして宮沢賢治の作品では、印象的なオノマトペがたくさん使われていることで知られています。特に有名なのが、この「かぷかぷ」や、『風の又三郎』というお話に出てくる「どっどど どどうど どどうど どどう」でしょうか。どうしたらこのような独特なオノマトペを考えられるのか、不思議でなりません。ぜひ、声に出して読むことで、日本語の美しさに触れてみてください!
今回取り上げた4つの作品の他にも、宮沢賢治の有名な作品はまだまだあります。不思議な転校生・三郎と彼を風の精だと疑う子どもたちの物語『風の又三郎』、男が動物相手に演奏を披露して腕前をあげていく『セロ弾きのゴーシュ』。醜いよだかを主人公とした『よだかの星』は理不尽ながらも教訓的で、『グスコーブドリの伝記』には、賢治自身の体験が色濃く反映されています。
賢治の作品は、難解と言われているものもありますが、短中編が多いので、手の出しやすさは間違えなし。学校の図書室にも多く置かれているでしょうし、読書感想文の題材として読むのもオススメですよ。きっとあなたの心を豊かにしてくれるはずです。
いかがでしたか?宮沢賢治の作品の魅力を少しでも伝えることができたなら、こんなに嬉しいことはありません。今回紹介したような有名作品の多くは、漫画やアニメをはじめとした他媒体にも展開しています。また、一度触れたことのある作品でも、年をおいてから再読すると、また違った理解や感じ方が得られるのも賢治作品の面白さ。作者のルーツや作品背景を少し知るだけでも、解釈は全く変わってくるものなのです。
ぜひ、この機会に宮沢賢治の作品を読んで、彼の「イーハトーヴ」の世界に飛び込んでみてください!
なお、お勉強の事でお困りのことがあった際には、是非私たち家庭教師にもご相談ください!
家庭教師ライターS.F
家庭教師ファーストの登録家庭教師。お茶の水大学文学部在学。小学校教員を目指しています。