家庭教師ファースト教育コラムその他の雑学
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日本では、中世まで師から弟子への伝授において古典の学習がなされ、その代表的な古典の1つが『伊勢物語』です。この代表的な古典作品「伊勢物語」は多くの和歌が収録され高校受験、大学受験でも頻出の作であるので、今回は成立過程や背景をもとに読み解き、解説し『伊勢物語』の魅力を紹介していきたいと思います!
なお、お勉強の事でお困りの際は、是非私たち家庭教師にもご相談ください!
この記事の目次

日本の古典文学の代表作品として長い時代読まれ続けられてきた『伊勢物語』とはさて、いったいどんな作品なのか、解説していきます。
あらすじ
平安時代初期にかかれた1人の男の歌物語。主人公である「在原業平」の青年時代から死に至るまでの恋愛遍歴を軸に話が展開されています。あの有名な「源氏物語」にとても似た設定ですよね。この『源氏物語』の作者、「紫式部」におおきな影響を与えた作品としても有名です。
『伊勢物語』は恋愛遍歴なので、始まりは「初冠」から始まります。「初冠」とは、元服の意味で一人前の大人になったことを表します。いくつか抜粋して『伊勢物語』を読んでいきましょう。
(原文)昔、男、初冠して、奈良の京、春日の里に、しるよしして、狩にいにけり。
その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。
この男、かいま見てけり。
思ほえず、ふるさとに、いとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。
男の着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。
その男、しのぶずりの狩衣をなむ着たりける。
「春日野の 若紫のすりごろも しのぶの乱れ 限り知られず」
現代語訳:昔あるところに、元服(成人式)をして春日の里へ鷹狩りに出かける男がいました。すると、その里に美しい姉妹が住んでいました。その振る舞いは寂れた里には似合わないとても優美なものであり、男は気持ちを取り乱してしまいます。
そこで男はとっさに、来ていた狩衣の裾を切り、それに歌を書いて美人姉妹に贈ります。
「春日野の若々しい紫草のように魅力的なお二人に、忍ぶ恋をした私の胸はこの狩衣の模様のように限りなく乱れております。」
(『伊勢物語』より引用)
解説:冒頭で、「男」が出てきましたが、これがあの在原業平です。元服したばかりの在原業平が美人姉妹を見かけ、恋文の歌を贈った場面になります。
ここで、面白いのが、着ていた狩衣の裾を切り、それに歌を書いて贈った場面。どうしてそんなことをするのか?と疑問に思うかもしれませんが、ここでは、在原業平の教養人ぶりが描かれているのです。
当時歌人としても有名な源融(みなもとのとおる)という人物の歌にこんな歌があります。
「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに
乱れそめにし われならなくに」
これは、「陸奥で織られる「しのぶもじずり」の狩り衣の模様のように、乱れる私の心。いったい誰のせいでしょう。私のせいではないのに(あなたのせいですよ)。」を意味し、在原業平はこの歌を思い出し、このような行動をとったというわけです。そういった知識がないと、そのような行動はできないので、在原業平が教養人であることがうかがえるのです。

(原文)昔、男ありけり。
女の、え得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。
芥川といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、
「かれは何ぞ。」
となむ男に問ひける。(省略)はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや(*)一口に喰ひてけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。
足ずりをして泣けどもかひなし。
「白玉か何ぞと人の問ひし時 露と答へて消えなましものを」
現代誤訳:昔、男がいた。女で妻にする事が出来そうになかったその女を、何年もの間求婚し続けていたが、やっとのことで(女を)盗み出して、たいそう暗い夜に(逃げて)来た。芥川という川(のほとり)を(女を)連れて行ったところ、草の上におりていた露を(見て、女は)、「(光っている)あれは、何?」と男に尋ねた。(省略)早く夜も明けてほしいと思いながら座っていた所、鬼がたちまち(女を)一口に食べてしまった。
「(あの光るものは)真珠なの何なの、とあの人が訪ねた時、露ですよと答えて(私もその露のようにそのまま)消えてしまえばよかったのになあ。(そうすればこんな悲しい思いをすることもなかっただろうに。)」
解説:男が、長年愛し続けてきた女性を連れ出して逃げたのですが、雨宿りをしていると女性が鬼に食べられ消えてしまいます。男は嘆き悲しみ、その時の感情を表現したのが、嘆いた歌です。
ここで、ポイントになるのが、鬼に食べられてしまった女性を連れ出した後悔の気持ちを嘆くのではなく、「女性を失う悲しみに暮れる前に自分も死んでしまいたかった」と歌ったことです。よほど女性を愛していたのが、読み取ることが出来ます。
(原文)昔、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、
「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めに。」
とて行きけり。
もとより友とする人、一人二人して行きけり。
道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。
その沢のほとりの木の陰に下りゐて(*)、乾飯(かれいひ)食ひけり。
その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。
それを見て、ある人のいはく、
「かきつばたといふ五文字(いつもじ)を、句の上(かみ)に据ゑて、旅の心を詠め。」
と言ひければ、詠める。
「唐衣きつつなれにしつましあれば はるばるきぬる旅をしぞ思ふ」
と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。
現代語訳:昔、(ある)男がいた。その男は、我が身を役に立たないものに思い込んで、「京にはおるまい、東国の方に済むふさわしい国を探しに(行こう)。」と思って出かけた。以前から友とする一人二人とともに出かけた。(一行の中に)道を知っている人もなくて、迷いながら行った。三河の国、八橋という所に着いた。そこを八橋といったのは、水の流れる川がクモの足のように八方に分かれているので、橋を八つ渡してあることによって、八橋といった。その沢のほとりの木の陰に(馬から)下りて座って、乾飯を食べた。
その沢にかきつばたがたいそう趣深く咲いていた。それを見て、ある人が言うには、
「カキツバタという五文字を(和歌の)各句の頭において、旅の思いを詠め。」
と言ったので、(その男が)読んだ(歌)
「唐衣を着ているうちにやわらかく身になじんでくる褄のように、なれ親しんだ妻が(都に)いるので、(その妻を残して)はるばると遠くまでやって来た旅を、しみじみと(悲しく)思うことだよ。」
解説:この「東下り」の段は失意の中で東国への旅に出た主人公が、難渋しながらもようやく三河の八橋に着き、あたりの湿地帯に群生する美しいかきつばたの花を見て、都に残してきた最愛の妻を思い、都での妻との生活を思い返し、遠くまでやってきたこの旅を悲しく思う場面です。同行していた人も京都を懐かしく思い、涙をこぼした場面ですね。
最後は『伊勢物語』の最後の段を見ていきましょう。昔、ある男が病気になって気分が悪くなり、今にも命たえるだろうと思ったので、歌を詠みました。
「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを」
現代語訳:死への道は最後に行く道と聞いていたが、まさか昨日今日にもそんな日がやってくるとは思いもしなかった・・・
多くの女性を落としてきた在原業平にとってはとても質素な辞世の句です。過去の多くの偉人の辞世の句には「憎しみ」「悲しみ」「後悔」の感情が込められているのですが、在原業平の辞世の句にはそのような感情が込められていません。淡々と自分の最後を受け入れています。決して在原業平は境遇の良い人生を送ってきたはわけではなく、それでも自分らしく努力し生きてきました。在原業平らしい、実にシンプルな美しい辞世の句です。

恋愛遍歴で、源氏物語にも登場する『伊勢物語』は実はいつ作られ、誰が書いたのか現在もわかっていません。推定では900年前後、つまり平安時代にかかれたものだと言われています。
『伊勢物語』は実際に存在した歌人在原業平が主人公であり、彼が平安時代に生きたので、在原業平を世に伝えていく話として書かれたといわれています。
では、在原業平とはいったいどんな人物で、『伊勢物語』と関係があるのか、見ていきましょう。
伊勢物語』は主人公在原業平についての恋愛遍歴が描かれた作品です。在原業平は、825年に生まれ、平城天皇の孫であり、皇族の血を引く高貴生まれの人物です。しかし、平城天皇は自分が政権を取り戻したいという気持ちから、反乱をおこし、事件後処罰されてしまいます。そのため孫の在原業平も次期天皇の候補から外され、微妙な立ち位置となるのです。この時代は、皇族が多く存在し、政府の支出も圧迫していたため、天皇候補に遠い存在は、排斥されてしまいました。この時から、在原業平は色恋沙汰い溺れるようになったのではないか、と考えられます。
在原業平とは、つまり女性にとても人気のあった美男子だったのです。この時代は、女性と恋愛するためには和歌を詠むこと、ひとつの口説きだったので、和歌を詠める人がモテたことも事実です。つまり、在原業平は端麗な容姿を持ちながら、皇族育ちというのもあり。和歌の才能があったので、まさに女性に大変好かれた歌人でした。
彼は、その人柄であるので多くの女性と恋愛をしました。禁断の恋などさまざまな恋愛をしてきたため、周囲の人からも注目を浴びる存在でした。彼の恋愛は常に話のネタとなり、亡くなった後も、語り継がれ、本としてまとめられたのです。それが『伊勢物語』と言われています。つまり、モテ男の恋愛本として書かれたので、多くの人が時代を渡って読み親しんできたのです。現代でしたら、大人気セラーです。
平安時代と聞くと、どんなイメージを抱くでしょうか。貴族のイメージが強く、文学など特徴的な文化があり、今現代にまでの頃平安時代の文化は多く歴史に残されてきました。『伊勢物語』が成立した平安時代とはどんな時代だったのか、解説していきます。
まず、平安時代の政治的背景は、桓武天皇が794年、平安京に都を移してから1185年までの鎌倉幕府成立まで続きました。平和な時代と思われますが、実際は政権争いなどが頻発していたといわれております。この平安時代に政治は、“貴族”社会から“武士”中心への政権へと徐々に移行していくのも特徴的です。
次に文化の特徴を紹介します。この時代は貴族の生活などが顕著に描かれていますが、庶民と貴族の生活には大きな貧富の差があったことがわかります。貴族は、寝殿造りと呼ばれる大きな屋敷に住み、服装も現在まで続く十二単などがこの時代には広まりました。平安時代の文学には様々な代表的作品がありますが、特に『源氏物語』の作者、紫式部や『枕草子』の清少納言などが有名です。実は、今回のテーマ、『伊勢物語』はこれらの代表的な作品よりも前に成立されたとされ、『源氏物語』などにも大きな影響を与えた作品でした。次項では、どういう部分に『伊勢物語』が表されているのか、見ていきましょう。

『伊勢物語』は、現存する最古の歌物語ですので、後世に多大な影響を与えました。特に、『大和物語』『平中物語』や、さらには『源氏物語』にもとても影響を与えています。
直接題材になっていたり、または『伊勢物語』に出てくる歌を引用したりなど、何かしらの形で登場しているので、影響を与えていることがわかります。
それでは、作品別にどのように影響を与えているのか、解説していきます。
日本の歴史に残る古典文学、『源氏物語』を知らない人はいないでしょう。日本文学の最高傑作といっても過言ではありません。作者、紫式部は高い教養に優れ、多くの点で評価されてきました。物語の内容も、恋愛小説ながら、多くの人に読まれ続けてきました。そんな『源氏物語』のモデルとなったのが、『伊勢物語』です。主人公の特徴や、物語の構成などにかなり多くの共通点が見られます。
また、『伊勢物語』との共通点は、基本的な構図もあります。高貴生まれのカリスマな主人公が、複数の事情で貴族としての生活を送ることが出来ず、複数の女性と関係を持ちながら、政界復帰に向け活躍していく展開です。多くの部分が、共通しているため、『源氏物語』は『伊勢物語』をモデルに描かれた作品であるといえます。あの、日本の名作古典文学『源氏物語』に多大なる影響を与えたといってもよいでしょう。
当コラムに源氏物語を解説した記事もあるので、是非参考にしてみてください
→【源氏物語の内容解説】紫式部はなぜ「源氏物語」を書いたのか?
『伊勢物語』は後世で絵画や調度・工芸品のデザインとして、『伊勢物語』の有名なシーンが描かれてきました。あの有名な尾形光琳の作品《燕子花図屏風》は伊勢物語』の「東下り」八橋が元になっています。尾形光琳は、町衆でしたが、学問、芸時に精通した趣味人で素養を身につけていたため、たしなみとして『伊勢物語』を深く知っていました。当時「八橋」「燕子花」といえば「東下り」というように思い浮かべる素地があったのでした。
『伊勢物語』実際に存在した、六歌仙でもある在原業平を題材としたものであり、作者、成立年代が不明であることから、在原業平が生きた時代を後世に残そうと、誰かが書いたものだといわれています。在原業平は、優れた歌詠みの才能も持ち、女性から人気があるほどの美男子であったことから、周りからも認められこのように文学として残されたのだと、考えられます。
また、『伊勢物語』は非常に有名な歌も残っており、代々読まれ続けてきたことから、歴史的に残る文学として名を知られてきました。現代とは違う、平安時代の恋愛事情をのぞき見でき、また在原業平の魅力に引き込まれるそんな作品なので、ぜひ一度、触れてみてください。
なお、お勉強の事でお困りの際は、是非私たち家庭教師にもご相談ください!
現役上智大生ライターS
家庭教師ファーストの登録家庭教師。上智大学 法学部在籍。家庭教師だけでなく塾講師の経験もあります。