
家庭教師ファースト教育コラムその他の雑学
家庭教師ファースト教育コラムその他の雑学
家庭教師ファースト教育コラムその他の雑学
日本古典文学の金字塔、『源氏物語』。平安の時代を感じさせる源氏の冒険、今にも通ずるような男女の恋愛、そして数百に及ぶ和歌…今回はその内容だけでなく、成立過程や時代背景、そして入試に出てきた時の解き方などについてお話ししたく思います。
なお、お勉強の事でお困りの際は、是非私たち家庭教師にもご相談ください!
まずは基本的な事をおさらいします。成立年代は平安時代、作者は紫式部です。
彼女はこの日本を代表する物語だけでなく、『紫式部日記』を記したほか所謂百人一首である『小倉百人一首』にも和歌が収められており、和歌の名手としても知られています。
ちなみにその和歌は
めぐりあひて (久しぶりに会って)
見しやそれとも (誰なのかということも)
分かぬまに (分からないうちに)
雲隠れにし (あわただしく君はかえってしまった)
夜半の月かな (夜の月がすぐ雲に隠れるように)
久しぶりにあった旧友を月に例えて、その別れを惜しんでいる歌ですね。和歌の読み方については5章で簡単にまとめていますので、そちらもご覧ください。
本題に戻ります。次に紫式部が源氏を書いた背景を見てみましょう。
紫式部は結婚後すぐ夫を亡くし、その悲しさを紛らわすために物語を書いたとされており、これが源氏物語の始まりとされています。この物語の評判によって中宮彰子の家庭教師につけられました。紫式部が中宮彰子の、ライバルとされた清少納言が中宮定子の家庭教師にされたという対比させた覚え方もよく耳にしますね。
少し話がそれますが、清少納言についても見てみましょう。紫式部はその『紫式部日記』の中でこうつづっています。
“清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よくみれば、まだいたらぬこと多かり。”
日本語訳すると、
「清少納言は自身ありげな奴だ。かしこぶって漢字なんて書いているけれども、いろいろとダメなところが多い。」
…仲が悪いのですね。彼女らはほぼ同じ時代に同じような身分についており、お互いをライバル視していました。
長岡京から平安京へ遷都した794年、その後1192年(諸説あり)に源氏が実権を握るまでの時代を平安時代と定義します。この時代に特に権力を持っていたのは藤原氏でした。彼ら一族は自分の血族を天皇やその家族と結婚させることにより、幼いころの天皇を補佐する「摂政」や成人した天皇の政治を補佐する「関白」といった要職に就き政治的実権を握っていました。その栄華は藤原道長の
この世をば (この世は)
我が世とぞ思ふ (自分のための世界なのだと思う)
望月の (満月が)
欠けたることも (欠けていることの)
なしと思へば (ないように自分に不満足なことはないから)
という歌に特に表されています。
藤原氏が栄華を極め、その影響で貴族という存在とそれによる文化が花開きました。この文化について次の項から源氏を読むうえで必要なものをいくつか抜粋してお伝えします。
現代の恋愛、結婚といえばどのような形式を想像するでしょうか。親の紹介でのお見合い?大学での恋愛が発展して…? 会社の同僚と恋に落ちて…? いろいろな形式が考えられますね。
平安時代の恋愛の形は現代とは少し異なる「妻問婚」という制度が確立されていました。「つまどいこん」と読みます。これは、「男性が妻としたい女性の許を何度も訪れ、お互いに了承し三日間通い続けることで正式に伴侶とする」という現代では少し考えられない形式の恋愛・結婚です。また、この制度のもとで男性は何人も妻を娶ることが可能でした。源氏も何人も妻を娶りました。
「北枕」という言葉をご存じでしょうか。葬式で死者を寝かせる時には枕を北にして寝かせる風習から、北に枕を向けて寝ることを不吉とする風習を表す言葉です。
平安時代にはこのようなことが特に信じられていました。そのため「今日は西の方角が不吉だ」となった場合には西のほうに予定があっても西には行けませんでした。この状態を「方塞がり」(かたふたがり)と言います。この時の解決方法は単純でした。一度北のほうに行ってしまえば目的地は西でなく南西になります。そうすれば不吉ではありません。それでいいのか、と突っ込みたくなりますが、平安時代にはこのような風習がありました。
前述の妻問婚とあわせて、作中では
「なんで来てくれなかったのよ」
「方塞がりだったんだよ」
「そっか、じゃあ仕方がないわね」
なんてことを和歌でやり取りしたりします。風情がありますね。
このほかにも源氏物語を読むにあたって知っているべき平安時代の知識はたくさんあります。いわゆる「古典常識」というものです。これはそう簡単に覚えられるものでもないし、文法や単語に比べて軽視されがちですが、古典で高得点を取る・安定した点数を取るにあたっては必須なものです。
それでは源氏物語の内容について触れていきます。が、その前に「なぜ源氏のストーリーを知っておくと何に役立つのか」をお伝えします。それはズバリ、「問題を簡単に解くこと」です。
身も蓋もないことを言うと、源氏はその時代からして文章が難解で主語の省略具合も甚だしいです。そのためその文のストーリーを理解するだけで大変な苦労を強いられることが度々あります。しかし、あらかたの源氏物語のストーリーを理解しておくことにより(入試問題なんかではたいてい有名なシーンから出題されやすいから)問題に出てきた時に「あ!〇〇が死ぬあのシーンだ!!」と一発で状況を把握することができるようになります。これは非常に楽ができますね。
ストーリーの前に簡単に登場人物について紹介します。ただ、源氏物語自体は54帖もある長編です。登場人物を網羅するとそれだけでこの記事は終わってしまいます。ここでは重要な人物何人かをご紹介します。
まずは主役の光源氏です。桐壺帝という天皇と桐壺更衣という下級貴族の息子です。小さいころから美しく、文学や楽器など様々な才能に恵まれていた優秀な子でした。
桐壺帝から寵愛をうけた源氏の母です。源氏を生んだ後すぐなくなってしまい、源氏は亡き母への思慕を募らせました。そのため桐壺更衣と瓜二つの藤壺中宮に源氏は恋をしました。
源氏の後ろ盾となってくれた左大臣の娘です。源氏の正妻でした。源氏があまりにもほかの女性と恋仲になるためか仲は良くありませんでしたが、娘の夕霧を生みました。
左大臣の息子、葵上の兄でした。様々な場面で源氏と競い合い、認めあったライバルで親友といったポジションです。頭中将と他何人かと雨の中で女性について論じ合った「雨夜の品定め」は有名なシーンの一つです。
すごい境遇の女性です。若いころ源氏に見初められ、誘拐されます。その後源氏の子供のように育てられ、葵上の死後、妻となります。
…こうして書くとすごいですね。
葵上と源氏の間の子です。父親に似て優秀で美麗でした。また、様々な女性と恋仲になるのも父親に似ています。
源氏の子供の一人です。源氏の死後の主人公です。源氏が様々な女性遍歴を経たことを真似てか様々な恋愛をしますが、なかなか成功しませんでした。
源氏の孫の一人です。明石中宮と今上帝との間の第三皇子でした。薫と恋愛的な面でライバル関係にありました。
以上で源氏物語の主要人物の紹介を終えたことにして、実際に源氏の冒険を見ていきましょう。ここでは源氏物語の54帖のうちからいくつかを抜粋して、その内容を軽くまとめる形式をとります。
1.桐壺
桐壺更衣が桐壺帝に寵愛を受け、とても優秀な子を産みます。その後桐壺更衣はなくなってしまいますが、その子はとても優秀に育ちました。
光源氏の誕生です。彼は妻として左大臣の娘の葵上を取ります。
2.帚木/3.空蝉/4.夕顔
源氏は葵上の実兄の頭中将含めた数人と女性論を語り合います。これが「雨夜の品定め」です。この際「中流の女性」が良いと源氏は思い、空蝉という女性に恋します。同時期に夕顔という女性にも恋しますが、夕顔は物の怪によって死んでしまいます。
5.若紫
尼に育てられていた小さい若紫が桐壺更衣に似ていたため、誘拐します。
また、源氏の母親の桐壺更衣に似ていた藤壺の宮と密会し、藤壺は天皇の妻であるにもかかわらず源氏との子を成してしまいます。
9.葵
葵祭に源氏が参加するにあたって、それを見ようと昔源氏と恋仲だった六条御息所という女性が見物に行きますが正妻の葵上に恥をかかされます。そのため六条御息所は葵上を呪い殺します。
源氏は悲しみにくれ、若紫を妻としました。
12.須磨
政敵の右大臣家の娘と密会していたことが発覚し、非難を受け須磨へ退去します。須磨は現在の兵庫県の南西部で、当時は田舎とされていました。
源氏の政治的権力の衰えを表現しています。
13.明石
源氏は明石へと移り、明石の君という女性と結ばれます。
都へ戻ることが許され源氏は都に戻ります。
14.澪標/15.蓬生/16.関屋
都に戻り、六畳の御息所、末摘花、空蝉といった昔結ばれた女性たちと再会します。
藤壺と朱雀帝の息子である冷泉帝(実際は藤壺と源氏の息子)が即位します。
17.絵合 …
ここからは源氏が政治的に権力を持ち栄華を極めていた時期になります。年老いたことが原因か、源氏の恋の季節は終わりを迎えました。安定的に過ごす時期です。
二条と六条に自分の屋敷を作らせ、妻たちを住まわせました。
18.松風/19.薄雲
明石の君を京へ上らせました。そして明石の君との子を紫の上の養女にすることにしました。
21.少女
源氏と葵上との子である夕霧が成人しました。彼は源氏の友人であった頭中将の娘(雲居雁)と恋仲になります。
(この時代の成人は12歳で、成人することを元服する(げんぷくする)といいます)
22.玉鬘/23.初音/24.胡蝶/25.蛍/26.常夏/27.篝火
夕顔(4帖で源氏と恋仲になったがすぐ死んでしまった中流の女性)と頭中将の間の娘である玉鬘が源氏に引き取られます。
そして案の定、紫の上と同じパターンで源氏は玉鬘に恋をします。しかし結局のところ結ばれはしませんでした。髭黒の大将に玉鬘を託すことにしました。
28.野分
夕霧が今度は父親の別の妻である紫の上に恋します。
かつて多くの女性と(半ば)強引に結ばれてきた源氏が、今度は逆に被害にあう側へと移るといったおもしろい逆転現象が起こっています。ここから源氏の政治的・恋愛対象としての男性的衰えがはっきりと見えてきます。
29.行幸/30.藤袴/31.真木柱
玉鬘は冷泉帝に入内することを希望しますが、結局は髭黒の大将と結ばれました。
(天皇と結婚することを入内するといいます。実際には天皇の妻の一人となることを意味します。)
玉鬘は髭黒の大将との関係がうまくいかず天皇のもとに出仕したりしますが、結局髭黒の許にもどってきます。
33.藤裏葉
夕霧と雲居雁が結婚します。
源氏は政治的権力も美しい妻たちも手に入れ、子供たちは無事結婚できたので出家を考え始めます。
34.若菜上
先の天皇の朱雀院の娘である女三宮が朱雀院によって託される形で源氏と結ばれます。
35.若菜下/36.柏木
夕顔と頭中将の息子であり玉鬘の兄である柏木が女三宮に恋し、そして源氏が不在の間に密通してしまいます。このことは結局源氏にバレ、柏木は病んでしまいます。
そして柏木と女三宮の間に薫が生まれました。
かつて藤壺と密通し冷泉帝を子になした源氏が、今度はその逆をされるわけですね。無常を感じさせます。
40.御法/41.幻
ついに紫の上が死にます。源氏は悲嘆にくれ、その後死亡します。
この後は主人公が薫になります。
雲隠
題名自体は知られていますが、本文はそもそも無いのか逸失したのか不明です。
題名的にも源氏の死亡が暗喩されています。
ここからの源氏の死後は薫が主人公となり、すこし作品の雰囲気も違ってきます。
42.匂兵部卿
薫は源氏のようにか美しく、才能あふれて育っていきます。
44.竹河
玉鬘と髭黒の娘の一人である大君は冷泉院に嫁ぎました。
一方夕霧や薫は左大臣などの要職についていきます。
45.橋姫
忘れ去られていた源氏の弟にあたる存在の八宮が登場します。
彼の娘たちが、薫へと託されます。
また、薫は自分が実は柏木と女三宮の間の子であるという出生を知ってしまいます。
46.椎本/47.総角
薫は玉鬘の娘である大君に恋しますが、拒まれて実りません。
源氏のように夜に忍び込みますが失敗し、代わりに中の君と恋仲になりました。
49.宿木/51.浮舟/52.蜻蛉/53.手習
中の君は薫をうっとうしく思い、大君の異母姉妹である浮舟を紹介します。
薫は浮舟を宇治に匿いますが、匂宮が浮舟と密通します。
自責の念から浮舟は入水しますが一命をとりとめます。
54.夢浮橋
浮舟は自責の念から出家してしまいます。
結局この三角関係に勝者は現れませんでした。恋の実らないはかなさを感じさせます。
長いですね!正直なところ、登場人物の名前を追っていくだけで大変なことです。とりあえずおおざっぱに覚えてほしいのは、
「光源氏というイケメンがいろんな女の子に手をだしたという前半」
「その後、政争にまきこまれつつ安定した地位を築くも陰り始める中盤」
「結局自分がしてきたことが自分に返ってきた終盤」
「そして、自分の真似をする息子・孫らの恋愛は失敗に終わるという追加編」
といった概観的なことです。
それぞれの帖をさらにミクロに見ていく面白さもありますが、まとめてみると源氏の生涯が一種の皮肉のようにも見えてきますね。
源氏物語を楽しむにあたって外せないのは和歌です。また、入試に源氏物語が出た時にもほぼ確実にその文章の主軸となってくるのも和歌です。非常に読むのが難しい、というように思われがちですがいくつかの大事なことを抑えることで比較的読みやすくすることができます。みていきましょう。
掛詞や枕詞などといった和歌独特の要素があり、これは確実に頭に入れておかなければならないことです。ひとつずつ解説します
ある言葉を使うにあたって、その前に(特に文脈に関係が無くても)風情があるからという理由で入れておく言葉のことです。
例えば、
あしひきの やまどりのをの しだりをの ながながしよを ひとりかもねむ
(山鳥の尻尾がとても長いように長い夜を一人寂しく寝ることだよ)
この「やまどりのをの」の前にある「あしひきの」は「やま」の前に置かれる枕詞です。色々な種類があるので辞書などをつかって覚えていきましょう。
音は同じだけれども意味の違う言葉を掛ける技法です。
あきののに ひとまつむしの こえすなり われかとききて いざととぶらはん
「ひとまつむしの」の「まつ」は「松」とも「待つ」ともとれます。これを見つけることができれば「和歌がよめる!」といっても過言ではないでしょう。
似た雰囲気の言葉を一つの歌の中にいくつか入れておくことです。
たまのおよ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする
「たまのお」では緒、「たえなばたえね」で絶える(紐が切れてしまうこと)、「ながらへば」で長い、と紐に関連した言葉をいくつも入れていますね。
これで必須級な和歌の技法について軽くおさらいしました。それでは具体的な和歌の読み方について見ていきます。今回は例題として源氏の読んだ歌を取り上げてみます。
我が宿は 花もてはやす 人もなし 何にか春の たづね来つらむ
まず最初に、文法的に和歌を捉えることです。助動詞の「ず」や「けり」といったものを見つけたり、一つ一つの単語を区切って意味をあてたりすると、ぼんやりと和歌の内容が分かってきます。
我が/宿は 花/もてはやす 人も/なし 何にか/春の たづね/来つらむ
私の/宿は 花(を)/もてはやす 人も/いない どうして/春が おとづれて/来たのだろう
このように、文法的に読解することで大意を取ることができます。
このステップが一番大事です。その和歌を周りの文章の中でどのように使われているのか、ということを判断します。このステップを飛ばしてしまうと、例えば恋愛の相手を「花」と例えて歌った和歌がただただ「花がきれいなことを歌っている和歌だなぁ」と誤って読解してしまったりしてしまいます。その和歌を詠んだ人の置かれている状況にも注目しましょう。
上の例題の場合、歌を詠む前の帖で紫の上が死んでしまっていました。(40帖 幻)
そのことを悲しむ源氏が詠んだ歌であるため、「花もてはやす人」とは紫の上を指し、その喪失感を歌っています。また、紫の上をなくしてしまい失意の底にあるにもかかわらず無情にも時は過ぎ去り、春が来ていることも自分の身の上と対比させて悲しさを際立たせています。
最後に具体的に問題に出された場合の回答方法も2パターンに分けて簡単にお伝えします。
この場合は「和歌の読み方1」で扱ったような文法的読解のみすませて訳した文をそのまま書けばよいです。上記の例では、「私の宿には花をもてはやす人もいないのに、どうして春がきたのだろうか。」と回答すればよいです。
この時のほうが少し難しいです。文法的読解だけでなく、和歌の読み方2にあるような「和歌の文脈的位置」も答案に反映させる必要があります。
「紫の上が死んでしまい、私の家には花をもてはやしてくれる人がいなくなってしまった。こんなに悲しいのに、どうして春は勝手に来るのだろうか。」というような具合です。
以上のようにすることができれば、十分に和歌を詠むことができるでしょう。簡単であるかのように解説しましたが、文法理解や単語、古典常識を確実に覚えておくことがその土台にあります。しっかりとその土台から安定させることで、和歌も怖くはなくなるでしょう。
源氏物語についてとオマケで和歌についての解説をしました。
語り足りない部分も多数ありますが、問題を解くというレベルではストーリーをざっと覚えて和歌が詠めるようになれば何ら問題はなくなるはずです。そして、もしさらなるレベルを求めるのであればぜひ原典に挑戦することをおすすめします。力にはなるはずです。
なお、勉強の事でお困りの際には是非私たち家庭教師にもご相談ください!
現役京大生ライターY
家庭教師ファーストの登録家庭教師。京都大学文学部在籍。文系数学、国語、世界史に特に自信があります。