教師登録

家庭教師ファースト教育コラム社会・歴史の雑学

家庭教師ファースト教育コラム社会・歴史の雑学

【世界編】一度は行くべき世界の遺跡7選~オンライン世界旅行~

  • 社会・歴史の雑学
  • 現役家庭教師 A

日本だけではなく世界にも数多くの遺跡があります。ですが、多くの方にとって、日本の遺跡よりも、世界の遺跡へのなじみは少ないのではないでしょうか。

今回は、世界の各地域から、一度はその名前を聞いたことがあるであろう、比較的有名な遺跡を中心にご紹介します。ゆっくり読んで、オンライン世界旅行を楽しんでくださいね。

なお、お勉強の事でお困りごとがありましたら、是非私たち家庭教師にもご相談ください!

世界の遺跡①万里の長城(中国)

万里の長城(中国)

まずは、アジアから旅を始めましょう。万里の長城は、1987年に世界遺産にも登録されましたため、その名前を聞いたことがある方も多いと思います。

紀元前220年頃に秦の始皇帝が、北方からの侵略を防いだり、シルクロード貿易を保護する目的のために、中国の北部に整備しました。秦の始皇帝が全てを作ったのではなく、各国で作られていた壁を連結させていったと伝えられています。その長さは、2012年時点でおよそ2万1196kmとされています。とても大きいため、空を飛んでいる人工衛星からもその存在を確認することができます。

とても長い防御施設ですが、建設に使われた材料は、主に、土、砂、石、レンガと私たちにもなじみがあるものです。また、砂漠や草原も山も超えて作られていったため、建設には多くの人がかかわっています。現在の建築と共通する点もありますね。

万里の長城の中にも特に人気が有名な観光スポットがあります。今回はその中から3つに絞ってご紹介します。以下には読み方が難しい漢字も出てきますが、中国での読み方を正確に日本語で表記することは困難であるため、あえて、ふりがなをふっておりません。ご了承下さい。

1つ目は、八達嶺長城です。こちらは、明の時代に修築されたとされており、保存状態もとてもよい場所です。万里の長城に観光に訪れた方の多くが訪れています。

入口に入るルートは大きく分けて2つあります。比較的傾斜が緩やかな方と、傾斜がきつい階段もある道の2種類です。それぞれ、「女坂」、「男坂」と呼ばれています。最高点まで歩くとおよそ1時間30分かかるようですが、観光用のロープウェイも整備されており、それを使用することもできます。

2つ目は、万里の長城の中でも比較的険しいとされている場所を紹介します。その名は、箭扣長城です。中国の首都の北京からおよそ車で2時間の地にあります。険しい崖の一角に作られているため、世界中の登山家の憧れの場所にもなっているそうです。また、その両側は崖となっているため、万里の長城の中で一番危険な場所とも言われているようです。

この場所は、万里の長城の中でも未修繕の部分でもあり、ケーブルも階段も整備されていません。高齢者や子供では登ることは難しく、登山の経験者しか向かうことはできません。経験や知識を身に着けてから訪問しましょう。

行く場合は、地元の方に20元払う必要があるようです。行きたい場合は、登山に向けた準備だけではなく、お金も用意しておきましょう。

3つ目は、慕田峪長城です。こちらも中国の首都である北京から、車でおよそ1時間30分~2時間で向かうことができます。こちらの特徴は、滑り台があることです。

万里の長城自体がとても巨大であることから想像がつくように、滑り台ももちろんとても大きいです。その長さはおよそ1580mです。ソリのようなものに乗って滑ることもできます。

ロープウェイも整備されているため、観光客も向かいやすいスポットとなっています。1つ目に紹介した八達嶺長城よりも観光客は比較的少ないため、自分のペースで楽しみやすい場所となっています。万里の長城を訪れる機会があれば、こちらにも訪問してみましょう。

世界の遺跡②アンコールワット(カンボジア)

アンコールワット(カンボジア)

続いても、アジアの国の中からご紹介していきます。

アンコールワットは、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、12世紀前半頃にカンボジアの北西部に建設された、ヒンドゥー教の寺院です。こちらも1992年に世界遺産に登録されています。同国の国旗にも、民族統合の象徴としてその姿が描かれているため、建物のイメージがつく方もいらっしゃると思います。

この建物は、当時の国王が信仰していたヒンドゥー教の神であるヴィシュヌ神にささげるためだけではなく、国王自身が地上の神であると、広く民衆にアピールするためにも建築されたとされています。

寺院は、神殿を中心として三重の回廊(重要な部分を囲んでいる細長い構造物)で囲まれており、外側から内側に向かって、第一回廊、第二回廊、第三回廊と呼ばれています。

第一回廊の壁面には、たくさんの緻密な造りのレリーフがあります。レリーフとは、「浮彫」とも呼ばれている、平面に文字やイラストなどを浮き上がるように工夫して彫っている彫刻の技法のひとつです。

題材には、「ラーマーヤナ(インドの古代叙事詩の1つ)」の一場面も選ばれています。他には、国王の偉業をテーマにしている部分もあります。このような部分からも、アンコールワットが建築された背景が推測できますね。

第一回廊をさらに奥へと進んで行くと階段があり、その階段を上ると第二回廊にたどり着きます。第二回廊には、仏像が置いてあります。全体的にがらんとしているようです。

第二回廊からさらに高さ約13mもの急な階段を登ると、「神の領域」とされている第三回廊に向かうことができます。昔は、神の降臨の儀式などが行なわれていた神聖な場所となっています。また、入れる人数にも制限があり、混雑している場合は、待ち時間が発生することもあるようです。

第一回廊から第二回廊、第三回廊と、神殿に近づくにつれて、どんどん地表からの高さが上がっていくように造られています。訪れた方を崇高な世界に連れて行くように計算されているのでしょうか。

アンコールワットを訪れる方の間で特に人気が高いのが、この建物の前で朝日を鑑賞することです。現在は、新型コロナウイルスの影響等で変更があることも予想されますが、朝5時から入場することができるようになっている時もあります。どの日の朝日もとても素晴らしいのですが、春分の日と秋分の日の2日間は、建物の真後ろから太陽が昇るように見えるため、より一層、神秘的な姿を楽しむことができます。

ショートパンツ、ノースリーブのように肌の露出度が高い服装では寺院に入れてもらえないこともあります。観光で訪れる際は、たとえ夏の暑い日であってもラフな服装で行かないようにしましょう。自分が着ている服で入場に問題がないか心配な場合は、念のため肌を覆うことができる上着をもう1枚持参すると安心できますね。

世界の遺跡③ポンペイ(イタリア)

ポンペイ(イタリア)

次は、さらに西に歩を進めて、ヨーロッパに向かいましょう。

ポンペイは、イタリアにあるベスビオ(「ヴェスヴィオ」と表記されていることもあります)火山の噴火で灰に埋もれてしまったイタリアの都市です。

この火山は西暦79年頃に噴火しており、最近、トンガで大規模な噴火が起きたことからも、再度、注目度が上がっているため、名前を聞く機会も増えていると思います。イタリアのナポリ屈指の観光スポットでもあるため、ナポリを訪れた方はよく向かわれるようです。

この突然の第噴火により、大量の火山灰も街に降り注ぎました。建物が火山灰の重みに耐えられず、山の近くの建物は大多数がつぶれてしまいました。また、火砕流も少なくとも時速およそ80kmもの速さで山を下って街を襲ったと推測されており、火砕流に飲み込まれて死亡した方も多かったようです。

近年の研究によると、火口からの距離によって、人類が生命を奪われた主な原因が少し異なっているのではないかという仮説も出てきたそうです。その仮説の一部をご紹介します。

ポンペイは火山からおよそ10km離れていたため、火山灰に押しつぶされた建物の力によって、その中にいる多くの方も犠牲になったそうです。また、ポンペイよりもさらに山に近い町である、ヘルクラネウムやその近郊に位置しているオプロンティスでは、脳の髄液を含めた人の体の液体が突然沸騰することで、犠牲になった人が多いのではないかという報告もされています。

また、研究者によると、この他に、山から飛んできた岩に衝突して死亡した人もおり、岩を避けられたとしても、高温の火砕流で体を焼かれたり、大量の火山灰と有毒ガスを吸い込むことになり、命を落とす方も多かったようです。

ポンペイは、火山灰に覆われてしまいましたが、火山灰が湿気を吸収するシリカゲルのような役割を果たしたことから、建物を含む街全体の劣化が抑えられており、当時の様子が比較的いい状態で保存されています。後世になっても調査ができる一助となっていますね。

これから新たな証拠が見つかることで、今回ご紹介した説は覆されるかもしれません。また、違う意見を持っている方もいらっしゃいます。「世界にはこのような考えも登場しているんだな」という程度の認識でいていただけたらと思います。

世界の遺跡④ストーンヘンジ(イギリス)

ストーンヘンジ(イギリス)

もう少し北にも向かい、海を越えてみましょう。イギリスにたどり着きましたね。

ストーンヘンジは、イギリスの首都ロンドンからおよそ150km離れた地点にある、後期新石器時代を代表する遺跡の1つです。4500年ほど前に造られたとされていますが、調査の手掛かりとなる文字での記録があまり見つかっておらず、現在でも多くの謎が残っています。

謎が多いことから、憶測も生まれやすいようで、こちらも多くの仮説が提唱されています。全てを紹介することは紙面の都合上困難であるため、そのうちの一部をご紹介します。

実は、そもそも何を目的として誰がこの地に造ったのかすら、あまりよく判明していません。古代ローマ時代の神殿として造られたという説も出てきています。古代ブリテンのドルイドが建築したという意見もありますし、バイキングという武装集団が建造したと考えている人もいるようです。

遺跡からは、紀元前3000~2450年頃の火葬された人の骨も多数見つかっており、古代の火葬場であったことも明らかになってきました。その人骨を詳しく調べてみると、発掘された埋葬者のうちのおよそ40%は地元の人ではないそうです。現代ほど、交通も発達していないので、不思議ですね。現在のイギリスの西部にあるウェールズのあたりに住んでいた人の遺骨であるという考えも出てきてはいます。

ストーンヘンジは巨大な石で構成されていますが、その石を囲む土偶(世界各地で作られていた、人物などをモチーフにしている土で出来ている製品)の内側に56個ほど穴があることも発見されました。それらの穴は発見者の名前から、「オーブリー・ホール」とも呼ばれています。

この穴には、昔は木の柱が立っていたのではないかと推測されているようです。こちらも詳細は不明のままです。

これからの研究成果がとても楽しみですね。分からないことが多いということはこれから明らかになることも多いとも捉えられるのではないでしょうか。研究は日々進められていますので、インターネットなどで現在はどのような考えが有力視されているか、これまでとの違いは何か調べてみましょう。

世界の遺跡⑤ギザのピラミッド(エジプト)

ギザのピラミッド(エジプト)

ヨーロッパからアフリカ大陸に向かいましょう。ヨーロッパにも比較的、地理的にも近い、エジプトの遺跡をご紹介します。

ギザのピラミッドは、クフ王、カフラー王、メンカウラー王という3人の王が造ったとされている、エジプトにある古代遺跡の一つです。こちらも、先程登場したストーンヘンジと同様に、およそ4500年前に建築されたと推測されています。

教科書やテレビをはじめとした各所で取り上げられることも多いため、その名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。最近では、日本でも古代エジプト展が開催されていたため、世間的な興味関心もさらに深まりつつある場所となっています。

よく、人民の意に反する重労働の結果でできた建造物であるという説を聞きます。最近では、農業が閑散期となる時期に、公共事業の一環として行われていたという説が有力視されています。現代でも、不況が続いているときに、国や地方公共団体の主導で、公共事業を展開して、雇用を作り出すという手法が取られることもありますよね。古代から、現代と似たような考え方もあったのかもしれませんね。

また、王の墓として造られたという考えもよく耳にします。これも、研究が進んだ今となっては、本当かどうかよく分からない面もあるようです。

王の墓であるという説は、ピラミッドが建設されてから約2000年以上も経過した後に、歴史家であるヘロドトスが、エジプトの神官が王の墓であると言っていたということを、「歴史」という本で記したことが発端のようです。建設されてから長期間が経過しており、どこまで信憑性があるか不明なまま、あらゆる所で引用されていき、定説として認識されるようになっていったようです。

実際、ピラミッドの内部から、「石棺」が発見されており、王の墓であるという説は有力視されるようになりました。ですが、その「石棺」の中にミイラは保存されておらず、墓として建築されたかは謎に包まれています。

近年では、宇宙から降り注いでいるミュー粒子を利用してピラミッドの内部を探索する研究も行われており、ピラミッドの内部に巨大な空間があることなどが明らかになってきています。

ちなみに、ミュー粒子を使用することで、X線のように、構造物を破壊せずにその内部を確認することに成功できたようです。X線は病院で検査をするときに人の体にあてて、人の体にメスを入れずに体内の様子を確認することに使われており、それを建物にも応用してみたようです。

エジプトの首都であるカイロ市内からバスを使用すると30分ほどで向かうことができます。比較的アクセスしやすい立地であるため、社会情勢も落ち着いたら、ぜひ一度訪れてみてくださいね。

世界の遺跡⑥マチュピチュ(ペルー)

マチュピチュ(ペルー)

次は、南アメリカ大陸にみなさんをご案内します。

マチュピチュは、南米の国ペルーにあるアンデス山脈の尾根に位置している、古代インカ帝国の遺跡です。

マチュピチュのことを「空中都市」と呼ばれていることを聞いたことがある方もいらっしゃると思います。諸説ありますが、山のふもとからはその都市の姿を確認しにくいことからこう呼ばれるようになったみたいです。実際、当時のスペイン軍も発見できなかったようで、1911年になって、アメリカの歴史学者であるハイラム・ビンガム氏によって見つけられました。数百年の間にわたり、多くの人々から存在を忘れられていたようです。

「なんでいきなりスペイン軍が出てきたの?」と思われた方もいらっしゃる気がします。これは、その当時の歴史を振り返ってみると推測することができます。気になる人は、南アメリカ大陸地域における植民地支配について調べてみましょう。

現代でも、日本から飛行機で向かう際は、直行便はなく、アメリカ等で乗り継ぎをする必要があります。そのため、基本的には、日本から出発して24時間以上たたないとたどり着くことができません。昔も今もその都市の姿は確認しにくくなっています。

なぜこのような他の地域からアクセスしにくい場所に造られたのか、理由はよく分かっていません。王族の離宮とするため、宗教施設とするため、スペインの侵略から守るため…等と数多くの仮説は出てきていますが、決定的な証拠は明らかになっていません。インカ帝国で広がっていたアンデス文明は文字がなかったとされているため、現代では検証することは困難になっています。

なんとマチュピチュ全体の面積の約半分は段々畑になっています。山の斜面を利用してあらゆる場所に造ったようです。山の頂に近い場所でどのようにして段々畑の水を維持していたのでしょうか。こちらも、インカ帝国に住んでいた人たちが文字を使用していなかったため、謎のままです。

この遺跡を訪れると、アルパカやリャマに会えることもあります。日本では普段なかなか見ることができない生き物であるため、見れるとラッキーですね。

標高が高い場所に位置しているため、1年中平均気温はおよそ20℃と、夏でも涼しい気候です。ですが、夜は10℃以下に冷え込む日もあるため、こちらも上着を持参すると安心ですね。山なので天気も変わりやすいです。備えておきましょう。

世界の遺跡⑦モアイ像(チリ・イースター島)

モアイ像(チリ)

最後に、南アメリカ大陸を飛び出してみましょう。日本と南アメリカ大陸の間にある海に浮かぶ島に対して目を向けてみます。

モアイ像は、800年ほど前にイースター島に移りついた民族が造った、南太平洋の島にある遺跡です。ちなみに知らない人も多いのですが、イースター島は実はチリ共和国の領土です。モアイ像の大きさは平均4~5mであり、約20mの高さの像もあるようです。重さはなんと20トンに及ぶものもあります。少なくともおよそ1000体は造られたようです。

クレーン車や大型トラックなどの機械がない中で、どのようにしてこの巨大な像を作ったのでしょうか。どのような方法なら巨大な像を運ぶことができるのでしょうか。そもそも、その像を作るための材料はどこからどのようにして調達したのでしょうか。

発見された当初から疑問に思う人も多くいたようで、たくさんの研究者が仮説を発表しています。ですが、現在も謎に包まれています。みなさんも、どうすれば、当時の技術でモアイ像を建設できるか考えてみましょう。頭のトレーニングになります。

答えがない難しい問題なので、一度そのことは忘れて、ちょっと前のモアイ像の写真を見て下さい。

気が付くことがありませんか? よく見てみると、モアイ像には目がありません。なぜなのでしょうか。

島の人口が増えるなどの理由により食糧難となってしまい、部族間で争いが起きました。そのことから、互いの村のモアイ像を倒して、魂とされている目をくりぬいたとされています。悲しい歴史が詰まっているのですね。

こちらも、日本から直行便で向かうことはできず、チリやタヒチを経由して向かうことになります。たどり着くまで基本的には24時間以上かかります。

実は、モアイ像は日本にもあります。例えば、宮城県の南三陸町には、チリと南三陸町の友好の証として、2013年に贈られてきました。これは、実際にイースター島のトゥキー族が製作した像です。目は白サンゴと黒曜石で作られており、帽子のようなものをかぶっています。頭にかぶっているものはプカオと呼ばれています。

日本に門外不出となっていたモアイ像が来た理由として、以前、日本人が現地で、倒れてバラバラになっていたモアイ像を元に直す作業を手伝ったことがきっかけとなっているようです。

日本とチリはどちらも過去に地震による大きな津波で壊滅的な被害を受けたことがあります(東日本大震災やチリ地震など) 共に復興を目指していた友好の証を後世に伝えるために、碑がチリから贈られてくるなど、日本と大変仲がいい国の一つです。日本からみるとほぼ地球の真裏に存在する国ですが、心の距離はとても近いです。

他にも、日本が友好的なパートナーシップを結んで、協力しあっている国はたくさんあります。具体的にはどのような国のどのような都市があるでしょうか? どのような側面からつながっているのでしょうか? インターネットで検索すると答えが見えてきます。自分の手で調べることが勉強になりますので、手間を惜しまず調査してみましょう。

おわりに

オンライン世界旅行はお楽しみいただけましたか? 社会情勢なども落ち着き、日本を旅立つことができる日が来たら、ぜひ現地を訪れて、テストのために覚えたことも自分の目で確かめてみましょう。

自分の目で見たことは人から聞いたことよりも印象に残りやすいとされているため、忘れにくいですし、旅行中の様々な出来事からも、これからの勉強や生き方のヒントも得られるかもしれません。

「現地の言葉が分からない」、「飛行機に長時間乗ることが怖い」など不安に感じることも多いかもしれませんが、海外に飛び出してみましょう。「やってみればなんとかなる」ということもあります。

そして、飛び立つ前に、教科書などで、現地の情報を再度確認してから向かえると、より学びも多くなると思います。参考にしてください。

なお、お勉強の事でお困りごとがありましたら、是非私たち家庭教師にもご相談ください!

最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事を書いたのは

現役家庭教師 A

家庭教師ファーストの登録家庭教師。立命館大学 薬学部在学中。小学生~中学生まで幅広く指導可能。得意科目は英語。

著作・制作

家庭教師ファースト/株式会社エムズグラント

『質の高いサービスを、良心的な価格で』をモットーに、全国で20年以上家庭教師を紹介しています。実際に担当する教師による体験指導受付中。教育に関する相談もお気軽に。

記事を検索

カテゴリー

新しい記事

人気の記事

TOPへ戻る