教師登録

家庭教師ファースト教育コラム社会・歴史の雑学

家庭教師ファースト教育コラム社会・歴史の雑学

【地理】東京に「坂」が多い理由とは?坂はどうやってできるのか?

  • 社会・歴史の雑学
  • 現役中央大生ライターK

突然ですが、みなさんの主な移動手段はなんですか?電車やバス、あるいは徒歩など。様々なものがあるかと思います。そんな中で、自転車を利用するという人もいるでしょう。東京周辺で、自転車を利用する人がいたなら(徒歩の人もかもしれません)、それはきっととても大変です。その理由として坂が多いというのが大きいと思います。

今回の記事では、東京には坂がどのくらいあるのか、それがどうしてなのかについてみていきます。坂について概要を知った後は、実際にどんな坂であるのかも個別的に見ていきます。私たちの身近なところにある地理の世界を感じていただけたら嬉しいです。

なお、お勉強の事でお困りごとがありましたら、是非私たち家庭教師にもご相談ください!また、家庭教師の仲間も募集中です。ご興味のある方は下記リンクより是非ご検討ください。

日本には坂が多い?

日本には坂が多い?

まず、全体像をとらえていきましょう。日本の国土について特徴を見ていきます。日本は世界の中で見ても山がちな地域として知られています。日本には背骨のような大きな山脈が通っていることも有名です。それに伴って国土のおよそ3分の2が森林であるとされています。

数値化しているデータも取り上げてみます。日本統計協会による「第57回日本統計年鑑」によると、日本の国土の地形を「山地」、「丘陵地」、「台地」、「低地」、「内水域等」に分けて比較したところ、「山地」と「丘陵地」を合わせると7割であったとされています。標高0m~100mの地域が国土全体の4分の1を占める一方で、標高500m以上の地域も国土全体の4分の1を占めています。平野の面積は少ないということが伝わったでしょうか。

ヨーロッパはどうでしょうか。ヨーロッパの国々は標高500m未満の平地が広大に広がっているとされているため、どこまでも広がる大地というイメージを持っている人もいるかもしれません。その認識であっています。ただ、アルプス山脈などの険しい山地もあるのでそこは注意してください!日本の方がやはり山がちといえます。

他にも山がちである様子を感じることのできる話があります。日本の東海道新幹線のうち、東京から名古屋間は約340kmあり、たくさんのトンネルや橋がある一方で、フランスの新幹線であるTGVは首都パリと2番目に大きい都市リヨンを結ぶ南東線の距離が約390kmでありながらトンネルが1つもありません。トンネルや橋は地形の異なるところを繋ぐために作られるので、日本の方がより高低差があると言えそうですね。

ここまでで日本がどれだけ山がちな国なのかを書いてきました。山がちということは、つまり坂が多いということにつながります。引き続き考えていきます。

坂はどうやってできるのか?

坂のでき方について考えることの前提として、日本はどうして山がちな地域なのかということを考えます。山がちであることで高低差がうまれるために、坂道ができるというようにつながっていきます。

そもそも山のような高い土地と、山と山の間の谷をはじめとした低地はどのようにできるのでしょうか。これに関しては多くの説が考えられます。

高い地域ができた要因としては、

①火山の噴火による堆積物が積みあがった。

②まわりの土地が下がって取り残された。

③人工的に積み上げられた。

④土地が変動により隆起した

ということが代表的なものとして考えられます。

一方で低い土地ができた要因としては、

①川や海などの水の動きで削られた。

②地殻変動によって陥没した。

③水があった場所に土砂が積もった。

④火山の噴火が終わり、へこんだ土地がのこった

ということが考えられます。

このように高低差のある地域は出来上がるのです。大きく分けると、①地殻変動②水の動き③人間の活動に分けられると言えます。

地殻変動とは、地球を構成している地殻が地球内部の活動を原因とすることで時間がたつにつれて変化していくことを示します。プレートの運動による地震や断層の形成、造山運動に関わっているとされています。今回地殻変動としてまとめたのは、地球の中のマグマだまりが火山として活動する中で関わっているためです。

どの土地も突き詰めていくと原因がわかっていきます。高くなっているところと低くなっているところがわかったということは、いよいよ坂道です!

具体的にどういうことかというと、山腹や丘陵地帯や台地のふちなどに人工的に道路を作ると、山を全体的に切り崩すことは不可能であるため、傾斜地の上に造られた市街地には坂道が多くなるということです。なんとか道を作った結果、山に沿うような形の道になり、それが坂といわれているのです。

地層と坂~東京に坂が多い理由~

地層という言葉を聞いたことはあるでしょうか。坂道のでき方のひとつとして火山の噴出物がつみあがるというのがあると書きました。これが分かった原因に地層が関わっています。東京の坂について具体的に見ていく前に、地理的、地学的表現にも触れていきましょう。

地層とは

まず地層とは何でしょうか。泥、砂、火山灰が層のように堆積したものがこれに当たります。地層は基本的に積み重なっていくので、下の層が古いものとなります。地面に積み重なっているため目には見えないものがほとんどですが、がけや道路の脇などに地層が見えるようになっていることもあります。

ディズニーシーには火山が再現されています。それはとても精密だとされていて、地層が見えるようになっています。溶岩の流れも再現されていて、実に興味深いものとなっていますので、訪れる機会があったら是非探してみてくださいね。

話を戻します。地層は簡単に言えばいろんなものの堆積物です。その堆積物の種類によって名前もあります。一部紹介します。

川の流れで運ばれたれき(小さな岩)、砂、泥。これらの堆積物の名前は、れき岩、砂岩、泥岩(でいがん)です。そのままですね。次に、今回の記事で関わってくる火山灰が積み重なったもの。これは凝灰岩といいます。最後にチャート石灰岩。名前からは想像が難しいかもしれません。この二つは生き物が死んでしまったものが含まれているものです。チャートには放散虫等の過去に存在した生物が含まれています。成分が他と異なるため、塩酸をかけることによってこの二つは区別できます。うすい塩酸に反応を示すのが石灰岩です。

ロマンがあるといわれている化石も、地層の中に含まれていることがあります。化石が入っていることは、どの時代にその層ができたのかを知る大きな手掛かりとなるため重要だとされています。

地質の特徴とその背景

まずは大まかに捉えられたでしょうか。地面の成分や地層などを研究する地質学の分野では、他にも地域で地質に違いがあるということが注目されています。特定な地域にのみある土壌として、寒冷な地域のポドゾルや、熱帯地域の赤い土であるラトソルがその例です。

では、東京に焦点を絞っていきます!日本の気候は、比較的温暖で、四季があるのが特徴です。気候帯では温帯という分類が日本では、なされています。しかし日本の中にも地域によって特徴的な土壌があります。例として東京には関東ローム層というものがあります。約13万年前から2万年前までの火山活動が活発だった時期に降り積もった、火山灰からなるものです。同じ時期に他の地域にも火山灰の降り積もった土地はもちろんありますが、由来している山によって成分が異なるため、名前も変わっています。九州にあるシラス台地も関東ローム層と同じく、火山灰によるものですが名前は異なっています。

シラス?不思議な名前の土壌

シラスというのは生き物にもいて、少し気になる名前ですね。シラスという言葉の由来は、「白い砂」だそうです。広くシラス台地が分布している鹿児島県では白い砂をシラスと呼んでいたようで、今もその呼び方が生きているようです。このシラスは屋根瓦や工芸品の材料として活用されています。白色が綺麗な味をだしてくれるようです。

また、鹿児島の特産品といえばなにが思い浮かぶでしょうか。薩摩という地域が近いことをだすのはこじつけのようですが、サツマイモが有名ですよね。シラス台地は、水分の保持がしにくいという特徴がありました。つまり水田が作れなかったのです。作物が取れないとしてさけられていましたが、ここには大きなメリットがありました。乾燥に強い作物にとって最適な土地がシラス台地だったのです。そして、鹿児島県ではさつまいもがさかんに作られるようになりました。

富士山との関係!関東ローム層の特徴

関東ローム層についてもみていきましょう。今から約7-10万年前、東京は今よりも海が広く存在していました。13万—6万年前、湿気を多く含んだ地面である湿原には、火山活動による灰をはじめとした火山噴出物が降り積もりました。その後、地球全体は氷河期に入ります。氷河という名前から察した人もいるかもしれません。全体の気温が下がったことで、水が凍り、そのため全体の水の量が減ったことで、海水面が下がりました。この間にも火山は活発に活動していました。そのため、陸地には火山灰がどんどん降り積もりました。ほぼ毎日火山灰が降り続いていたのです。こうして関東ローム層ができました。関東ローム層は台地になっていて、積もった部分のほかは低くなっています。

ここで活発に活動をしていた火山とはどこだったのでしょうか。実は、富士山がここに含まれているのです!いまは安定しているのですが、富士山は噴火を頻繁に繰り返していた時代がありました。他にも箱根山、愛鷹山、浅間山、赤城山などが関わっているとされています。多くの山の火山灰が関東ローム層には関わっているのですね。

富士山が噴火していたというのは、今の美しい富士山の姿から想像が出来ず衝撃的かもしれません。富士山はおよそ今から10万年前から噴火をしていたとみられています。1700年ごろにも大きな噴火があったとされ、その後も小規模な噴火が数度ありました。

世界遺産にも登録されて、美しい山として知られていますが、実は今も噴火の危険をはらんでいる火山でもあるのです。

坂と台地のつながり

ここまでで台地は出来上がりましたが、東京に坂が多いこととどうつながるのでしょうか。もちろんそのまま道を繋げたということも考えられます。ただそれだけではなかったのです。

青梅の方面から多摩川という川が流れています。この川も昔からあったものだったため、火山灰によって少しずつ埋められてしまいました。しかし、一部は火山灰の中の小さな粒子の間を通り抜けました。これを伏流といいます。伏流は扇状地などの地形でも見られます。粒子が大きいものの方がより隙間がおおきいため通り抜けやすいのですが、わずかであれば、小さな粒子の間も通り抜けます。手で水をすくったときに、どれだけ頑張ってもある程度水がおちてしまうことと近いです。

伏流した水はどこかに消えるのではなく、地下に細く流れ続けます。それがあるとき地上に湧き出すことがあります。それが湧水です。武蔵野にある三大池といわれる、石神井池、善福寺池、井の頭池などが代表です。池になってからもそこから水が溢れました。流れ出た水は、大地を削りながら低い方へと流れていき、平地と谷の多い地形が出来上がりました。神田川、桃園川近くに坂があるのはこのためとされています。

火山活動の力によって積み上げられた土地が水の力によって削られたという、二つの力が働きやすい場所が東京には多い、ということですね!始めの方で、低い土地と高い土地がなぜできるのかというのを確認しましたが、それらとも一致しています。

東京にある魅力的な坂

東京には坂ができる条件がそろっていたということがなんとなくつかめたでしょうか。ここからは東京で魅力的な坂を紹介します。東京の名前のある坂は、23区内で800以上。坂を直接感じないため、利便性のために作られた階段は山手線の内側で650以上あるようです。高低差のある場所は怖いと感じる人もいるかもしれませんし、交通の上で、大変なところもあるかもしれませんが、坂の美しさというのを知ることが出来たら見える景色も変わるかもしれません。ぜひ知っていってください!

神楽坂(新宿区)

神楽坂に行ったことはありますか?神楽坂は賑やかな様子と、昔ながらの落ち着いた街並みをあわせ持つ坂道です。もともと、17世紀前半の江戸時代、三代将軍家光の時代に牛込御門という江戸城の城門と酒井家下屋敷を結ぶ形で開通したようです。物流の拠点として盛り上がりを見せ、その後は文化の発展の地となりました。有名な思想家である荻生徂徠もこの場所にいたとされています。

江戸時代が終わると江戸の人々は地元に帰っていったために、人口が激減しました。神楽坂も例外ではありませんでした。しかし、再び政治拠点が東京に戻ると決まると、人が戻り始めました。花街として夜店も賑わいをみせ、再び活気が戻ったようでした。同時期に、多くの文豪もこの地にいたとされています。「吾輩は猫である」で有名な夏目漱石もこの例です。

大正12年に東京では大きな地震がありました。関東大震災とのちに呼ばれることになります。東京の下町は甚大な被害を受けましたが、台地であった神楽坂は他の地域に比べると被害が比較的小さく済みました。その影響から他の地域の盛り上がりも合わせて、さらに盛り上がっていたようです。

しかしその後、新宿や渋谷のターミナル駅が発展していったことで、中心は東京の西に移動していきました。そのことで神楽坂の地位は下がりつつありました。

戦後、バブル経済の影響を受け、無秩序な開発が進み、昔ながらの風情のある神楽坂らしさが失われることが恐れられるようになりました。その考えから現在では、江戸ならではの雰囲気を残す取り組みに力が入れられているようです。それと並行しながら、おしゃれなレストランやカフェも多くある素敵な場所になっています。賑やかな街並みを一本入ると、石畳の坂道で昔ながらの雰囲気を感じることができます。

九段坂(千代田区)

続いて九段坂です。これは九段下交差点から靖国神社の南側に続いている坂です。坂の南側には皇居、武道館があり、北側には靖国神社があります。この九段坂の名称の由来は諸説あります。江戸城吹上庭園の役人の官舎が坂の途中に9棟並んでいたからというものや、九つの層からできた石垣の段があったからというものといったものがあります。

当時は牛ヶ淵の崖っぷちを通る、傾斜のきつい坂だったようです。そのため徒歩でしか通ることができなかったようですが、そこから見える景色は素晴らしかったようで、月を眺めるなら九段坂といわれていました。

時代が過ぎて区画整備が行われたことで、幅が拡張され、都心部に向かう重要な拠点となりました。もともとの名前は飯田坂だったようですが、その名前とともに町名も合併し、九段一丁目となりました。現在九段坂は神田・両国方面と新宿・渋谷方面を東西に結ぶ道路です。

九段坂は「歴史的な意味を持つ場所」として名前が挙がることもあります。江戸時代に武士の時代が終わることに反対した人々が反乱を起こした、戊辰戦争というものがあります。九段坂は靖国神社につながっている場所であるため、戊辰戦争で活躍した偉人の銅像が建てられています。明治維新の風を感じることができる場所でもあるのですね。

逢坂(新宿区)

逢坂(おうさか)を聞いたことはありますか。逢坂は別名、大阪、美男坂といいます。ここには古くから言い伝えがあります。それがこの別名にかかわってくるのです。ここでは別名に隠された物語を見ていきましょう。逢坂にある伝説は以下のようになっています。

昔、小野美作吾という人が武蔵守となり、この地にきた時、 美しい娘と恋仲になり、のちに都へ帰って没したが、娘の夢によりこの坂で再びあったという伝説に因み、逢坂と呼ばれるようになったという

という言葉が逢坂を紹介する石碑の裏に書いてあります。美しい娘の名前は「さねかずら」と言いました。さねかずらは整髪料に使われた常緑つる性植物で、その茎からとれる粘液を使うと美しくなることができるといわれてきました。そのため、さねかずらは別名「びなんかずら」というようです。このびなんかずらという名前を聞くと、逢坂で恋人と再会したさねかずらという人の名前と坂道の名前の関係が見えてきますね。

ちなみに逢坂とさねかずらがどちらも含まれる百人一首の歌もあります。「名にしおはば 逢坂山の さねかずら 人にしられで くるよしもがな」という歌です。逢坂山はまた別の場所ですが、意味を連想させる働きがあるようです。

逢坂のもう一つの名前、大阪は地名のように見えますが、大きな坂、長い坂という意味があります。長いだけでなく、傾斜もあるということでこの背景は何があるのでしょうか。実はこの周辺にはもともと牧場があったようです。坂の下のほうには水路があったというのが古い地図からわかります。逢坂を下り坂として荷積みをしていたためにこのころの坂道は苦労の種とはなかったようです。

坂道にある伝説や、過去の利用方法、現在までのつながりが見えて興味深いですね。

富士見坂(目黒区)

お次は富士見坂です。富士見坂は最も多い坂の名前でした。というと疑問に思うかもしれません。実は富士見坂というのは、もともと坂の分類名のようなものでした。富士山をよく見ることのできる坂道をそのように呼んでいたようです。

風景による分類には他の坂の呼び名の例もあります。例として挙げると、細い道で両側が木々に覆われて日中でも薄暗く細い道には幽霊坂、暗闇坂、鼠坂という名前があります。薄暗さのイメージや恐怖のイメージを持つ言葉が選ばれていますね。ほかにも大名屋敷由来には紀伊国坂、紀尾井坂があります。新しくできると新坂と名づけたようで、新坂は多く存在し、増えていました。

はじめに「最も多い坂の名前でした」というように過去形で書きましたが、これには理由があります。それは現在の建物の高層化が急速に進んでいるということです。以前は、建物の高さが低かったために少しの高台であれば富士山を見ることができたようで、その場所に○○富士見坂という名前を付けていました。これでは、ほとんどの坂が富士見坂と呼ばれていそうですよね。富士山が見えなくなったためにほかの名前に変えた例も、そのままの名前になっている例も、どちらもあります。近くで富士見坂を見つけたら、それがどちらの例なのか調べてみるのも面白いかもしれません。

また富士見坂が多かった要因として、江戸時代の風潮である富士山信仰があります。富士山は神聖な場所として、古来より大切にされてきました。古文においても、噴火を繰り返すことから、人々を畏れさせ、神や仏が住んでいるとされていたようです。

この項で上げているのは、目黒区にある富士見坂です。移り行く時代の中で、都心部でありながらも唯一富士山を綺麗にみることのできる場所とされています。坂道の風景は、坂の下の雰囲気も併せてみることができ絶景です。ぜひ富士山と一緒に見えるこの場所は残っていってほしいなと感じます。

おわりに

坂道のでき方や、地学や地理的な観点から見た坂道、そして東京にある名前のある坂道を見ていきましたが、いかがだったでしょうか。坂道というものは無限にあるのではないかというほどに多く、あまりに身近すぎて、逆に気にしないようなものかもしれません。

しかし、その一つひとつの背景や、名前に含まれた過去の人たちの想いを確かめていくと、ただ通行に不便、ときに便利なものというだけの認識も変わるかもしれません。写真のスポットとしてもあげられることがあるほど綺麗で、歴史もあるというのはロマンがある気がしませんか?日本坂道学会というものも存在するほど、その魅力にはまっている人もいます。ぜひ自分の身近な地形にも目をむけてみてください!見える景色が変わるきっかけになっていたら幸いです。

なお、お勉強の事でお困りごとがありましたら、是非私たち家庭教師にもご相談ください!また、家庭教師の仲間も募集中です。ご興味のある方は下記リンクより是非ご検討ください。

この記事を書いたのは

現役中央大生ライターK

家庭教師ファーストの登録家庭教師。中央大学法学部在籍。優しく丁寧に教えます。

著作・制作

家庭教師ファースト/株式会社エムズグラント

『質の高いサービスを、良心的な価格で』をモットーに、全国で20年以上家庭教師を紹介しています。実際に担当する教師による体験指導受付中。教育に関する相談もお気軽に。

記事を検索

カテゴリー

新しい記事

人気の記事

  家庭教師の登録、大募集 TOPへ戻る