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家庭教師ファースト教育コラム社会・歴史の雑学

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【昭和の常識20選】今では考えられない!?昭和のヤバい常識20選

  • 社会・歴史の雑学
  • 現役一橋大生ライターY

令和になって、あっという間にもう数年が経ちました。令和の2つ前の昭和の時代はもうかなり昔のことのように感じますね。時代が経つにつれて当然常識と思われていることも変わってくると思います。最近では「不適切にもほどがある!」というドラマが流行りましたが、皆さんは昭和の時代についてどれだけ知っていますか?

今回は、今では考えられないそんな昭和の時代の常識について20個紹介していきたいと思います。学校生活から日常での生活まで、昔と今とではだいぶ変わっている常識を集めました。生徒さんの世代にとっては新鮮に映ると思いますが、保護者さん世代にとっては懐かしいと感じる方もいるのではないでしょうか。どうぞ最後までお付き合いください。

なお、勉強の事で困ったことがあった際には、是非私たち家庭教師にもご相談ください!

昭和の常識①写真を撮るときは基本カメラ

写真を撮るときは基本カメラ

今の時代でも写真が好きな人はすごい大きくて高そうなカメラ(一眼レフカメラなど)を首からぶら下げて持ち歩いていますが、ほとんどの人はスマートフォンで写真を撮るようになりましたね。スマホでもとても綺麗な写真や動画を、手軽に撮ることができます。

でも昭和の時代ではスマホはもちろん、携帯電話もありません。写真を撮るときはみんな必ずカメラを使って撮ります。だから、どこかへ出かけるときはカメラが欠かせません。インスタントカメラがヒットしたのも90年代(平成)ですからね。カメラが好きな人はなんとも思わないかもしれませんが、私にとっては毎回あの大きいカメラを持ち歩いているのかと想像すると、すごく手間に感じます。

そして当然写真はデジタルではなくフィルムを使ったもの。その場で撮影したものを見ることができないので、大事な一枚がピンボケしていた…なんてこともよくあったようです。デジタルの時代に感謝ですね!

昭和の常識②給食に「ミルメーク」という物が出てくる

今の時代での給食では牛乳がそのまま出され、私たちは牛乳の入ったパックにそのままストローを差して飲みますが、昭和の時代では牛乳に少し工夫をして、より美味しくなるようにしていたようです。一説では美味しくない牛乳替わりの「脱脂粉乳」のを残す子供への対策であったとする説もありますが…とにかく、牛乳に美味しい味を付ける粉!それがミルメークです。

ミルメークとは、牛乳に入れるための粉です。この粉を牛乳に入れてかき混ぜるとコーヒー牛乳になるのです。コーヒー牛乳になるのはコーヒー味のミルメークですが、ほかにもいろいろの味のミルメークがあります!ココア味ではココアになったり、いちご味はいちごミルクになったり、紅茶味ではミルクティーになったりと、すごく不思議ですね!でも、給食に出されたのは主にコーヒー味かココア味だったみたいです。

給食にミルメークが出てきたら、牛乳が嫌いな人でも味をいろいろ変えながら飲むことで、牛乳が好きになりそうですね。

昭和の常識③電話をすると相手の親が出ることがある

今の時代では友達に遊びに誘うときはスマートフォンを使ってlineをするだけでいいのですが、昭和の時代では、相手を遊びに誘うだけで結構緊張しそうです。なぜなら、昭和の時代では携帯はもちろんなく、家に電話が一台しかないからです。

みなさん想像してみてください。なんらかの事情で相手のスマホが壊れて、相手の家に電話をしなければならなくなったとき、相手の家に電話をしたら親が電話に出たら、どのように接したら困りませんか?私なら一回フリーズして、そして何秒か経ったあとに声のトーンをあげて「もしもし、○○(フルネーム)さんはいらっしゃいませんか?」とめちゃくちゃ丁寧な言葉を使います。そしてめちゃくちゃ緊張します。

普段仲がいい友達を遊びに誘うだけなのに、こんなにも緊張しながら電話をしなければならないと思うと昭和の時代は大変ですね。ましてや恋人や異性に連絡するとなったら…。

さらに、一家に一台しか電話がないから、電話をめぐって喧嘩をすることもしばしばあったそうです。

昭和の常識④電話がダイヤル式

電話がダイヤル式

またまた電話つながりで、昭和の時代の電話は今のように、ボタンを押すだけで電話をかけることができる仕組みではなく、ダイヤルを回さなければいけません。

ダイヤル式の電話を使うときは、まず、受話器を取って、耳に当てて「プー」という音が鳴っていることを確認します。そして、電話番号を入力していきます。入力したい番号の数字の前の穴に指を入れます。そして、指を入れたまま銀色の金具があるところまで回します。

指を離すとダイヤルはもとの位置に戻りますから、また入力したい数字の穴に指を入れて回していきます。このように何回か繰り返して、入力したい番号を全部入れたら電話がかかります。

家にダイヤル式の電話がある人はぜひ試してみてください。

昭和の常識⑤電話番号は暗記orメモする

昭和の時代は携帯電話がないから、当然lineなどでやり取りをすることはできません。上では言ったように、友達と連絡をとるときは基本電話を使います。だから、友達の電話番号を知っていないといけません。

携帯電話やパソコンがないから、当然どこかに保存しておくことも難しいです。そのため、友達から電話番号を聞いたあとは、その電話番号を覚えたり、ノートや手帳などにメモしたりして、忘れないようにしなければなりません。相手に紙で書いて渡すこともよくあったようですね。

覚えるのはあまり得意ではない人や、ノートなどを頻繁になくすような人は、何回も友達に電話番号を聞くことになるから大変そうですね。

昭和の常識⑥駅の改札では切符を買う

昭和の時代では、今のようにSuicaやPASMOなどの交通系ICカードはなく、電車を乗るときは毎回切符を買う必要があります。なんだか面倒くさいですね。

さらに、今のように切符を買うための機械や自動改札機もないから、切符を買うときはわざわざ駅員さんがいる窓口に行って「どこどこまでの切符をください」と言って切符を買う必要があります。また、改札では駅員さんが切符一枚一枚を確認して切り込みを入れていました。

今ように交通系ICカードをタッチするだけで電車に乗れるのではなく、切符を買ったり、駅員さんに確認させたりして、電車に乗るまで時間がかかりそうですね。また、駅員さんが仕事が多くて大変そうですね。

昭和の常識⑦トイレは和式便所ばかり

今の時代では洋式便所が主流だが、昭和の時代では和式のトイレが主流だったようにです。和式トイレだと、特に大便をするときは長い時間しゃがんでいないといけないから結構疲れそうですね。足腰鍛えられそうです。(笑)

しかも昭和の和式トイレは、ちょっと変わった形をしているものもあるようです。

それは、和式トイレが設置されている場所が二段になっていて、高さが異なっていたのです。これは、小便をするとき(男子)は下の段に立ってすることができ、大便するときは上の段に座ってできるという仕組みのようです。

なんだかちょっと汚い話になってしまいましたが、和式トイレといっても色々工夫がなされていますね。

昭和の常識⑧テレビが映らないときは叩いて直す!

テレビが映らないときは叩けばなおる

これはアニメでよく見る光景ですね!昭和の後期ではテレビが普及しはじめたのですが、普及しはじめたばかりなので、テレビの性能があまりよくなく、映らないときがしばしばあったそうです。

そこでテレビを叩くとなぜか映るようになったので、テレビを叩くとなおると言われるようになりました。実はこれは単なる偶然ではなく、ちゃんとした根拠があるそうです。

昔のテレビが映らなくなる理由として考えられるのは、接続がうまくいっていなかったら、ほこりがついていたりからと考えられているそうです。だから、テレビを叩くことで接続がうまくいき、ほこりもとれるので直るとという事のようです。

ただ、今は当時に比べてテレビもより精密になっています。叩くとむしろ余計に壊れますので、今もしおうちのテレビが映らなくなったら、叩くことをせずに、すぐに電気屋さんなどに修理を出すようにしましょう。

昭和の常識⑨テレビから流れる音楽は息をひそめて録音

1970年(昭和45年)から、テレビやラジオで流れる音楽を録音することが流行りました。これを「エアチェック」といいます。この時代は現在のように、好きな音楽を携帯電話にダウンロードしていつでもどこでもきくことができません。

テレビやラジオで自分の好きな音楽が流れると、これをカセットテープに録音して、あとからも聞けるようにしました。しかし、録音するときは周りの生活音も入ってしまうため、録音する前に周りに「静かにしてね!」と注意をする必要があります。

しかし、自分も録音している間に静かにしなければならないため、咳やくしゃみが出そうになったらそれ我慢しなければなりません。また、お母さんの声が入ってしまうこともしばしばあったそうです。好きな音楽を聴くためだけでこんなにも大変だったのですね。

昭和の常識⑩一般人にドッキリを仕掛けるTV番組

今のテレビで見るドッキリ番組のほとんどは「芸能人」にドッキリを仕掛けていますが、実は昭和の時代では一般人にドッキリを仕掛ける番組もあったそうです。

それは、1969年に放送された『なんでもやりまショー』という番組の『元祖どっきりカメラ』というコーナーでやっていました。このコーナーでは、仕掛人がターゲットである一般人をだます様子を、人目のつかない場所にカメラを隠して撮影し、ターゲットが驚いていたところに、「どっきりカメラNTV」と書かれたプラカードを持って現れ、ネタばらしをするという内容でした。

今では外国の番組でしか見たことのない一般人をターゲットにしたドッキリが、昔では行われていたことにびっくりです。ドッキリを仕掛けられた人には、怒ってしまう人ももちろんいたと思います。番組のスタッフさんも大変そうですね。というか、今だったら確実に炎上していますね…。でも自分も一度だけでいいからドッキリを仕掛けられてみたり、自分から仕掛けてみたりしてみたいです。

昭和の常識⑪公衆電話がたくさんあった

公衆電話がたくさんあった

携帯電話が普及していない昭和の時代では、外で連絡をとる手段が限られるため、公衆電話が非常に重要なものとなっていました。

1953年(昭和28年)から、公衆電話であることを分かりやすくするために、公衆電話全体が赤く塗られたものが登場しました。これは通称「赤電話」と呼ばれいます。そして、公衆電話はその後、用途ごとにカラフルなものが増えていきました。

たとえば、1968年(昭和43年)に登場した「青電話」があります。文字通り、この電話は青色に塗られています。この電話は電話ボックス専用の電話となりました。

1972年(昭和47年)に登場した「黄電話」もあります。これは黄色に塗られた電話であり、100円玉が使える電話です。今までの電話は10円玉しか使えませんでしたが、100円玉も使えるようになることで、長時間の電話もしやすくなったそうです。

さらに、1982年(昭和57年)には、テレフォンカードが使える電話も登場しました。この電話は緑色をしていました。そして、限定デザインのテレフォンカードが高額で販売されるようになり、社会現象にもなったそうです。

公衆電話といっても、昔は色々な種類の公衆電話があり、私も調べてみてびっくりしました。

昭和の常識⑫給食にはソフト麺が出てきた

ソフト麺は昭和40年ごろから登場していました。うどんに似ているがうどんではない、もちもちしていて、やわらかいのが特徴でした。このソフト麺は牛乳に合う麺として開発されていたそうです。そしてこのソフト麺は現在の30代、40代の人たちが学生の頃に人気が高かったメニューの一つです。

しかし、このソフト麺も現在の給食ではほとんど見られなくなりました。その理由としては、給食でごはんが出される機会が増えたからと言われています。ソフト麺はごはんよりもつくるのがかなり手間がかかるそうです。めんが学校に届くその日の朝に、およそ90度の熱湯で40分間麺を殺菌する必要があります。そのため、手間がかかるから、ソフト麺をつくる会社も減ったそうです。

そんなソフト麺ですが、今でもスーパーなどで売っていることがあるようです。また、昔の給食を食べられるような飲食店もあるようなので、興味がある方は探してみてはいかがでしょうか。

昭和の常識⑬個人情報がガンガン公開されていた

昭和の時代では今と違って、プライバシーをあまり気にしていないようです。

たとえば、個人の名前、電話番号、住所がすべて書かれている分厚い電話帳がありました。テレビで一般人の住所を事細かに紹介されることもしばしばあったようです。また、昔の本の最後には、作者の住所や電話番号も書かれてあったようです。芸能人の住所が載った本などもあったようですね。

さらに、公立高校の合格者一覧がテレビなどに放送され、新聞にも載っていたらしく、それをみて、親戚一同からおめでとうの電話がくることもしばしばあったそうです。ローカルなラジオ番組では、公開告白をする番組もあったそうです。そこでは、相手の学校の名前や学年、何組に所属していたのかを、フルネームとともに全部公開した上で、「大好きです」と伝えます。

現在では完全にアウトな情報も、昔では平気で公開されていたことを思うと、本当に驚きですね。

昭和の常識⑭ご近所付き合いがすごい

昭和の時代では、ご近所付き合いがすごく濃密だったそうです。

宅配が届いたときに、ご近所が留守だと、かわりに宅配物を預かるのがあたり前。同じく、自分が留守にしているときに宅配が届いたときは、ご近所の人が預かってくれていたそうです。現在では、宅配が届いたときに留守だった場合は、宅配の人が荷物を一旦持ち帰って、あとから伝票をみて再配達を頼むことが当たり前ですが、どうやら昔はそうじゃなかったみたいですね。宅配のドライバーさんにとっては昔の方が働きやすかったのかもしれません。

そして、宅配だけではなく、洗濯物を干したのに、雨が降ったときは、留守だった場合でもご近所さんが洗濯物を取り込むのをやってくれることもあるそうです。

現在では、近所に住んでて仲が良かったら、ご近所さんがお料理などのおすそ分けをしてくれることも…。昔のようにご近所さんが留守中の家の荷物を受け取ったり、留守中に家の中に入ってきて、洗濯物を取り込んでくれたりするなんて、今では信じられませんね。

昭和の常識⑮子どもでもお酒やたばこが買えた

子どもでもお酒やたばこが買えた

昔も今も、こどもはお酒を飲んではいけない、たばこを吸ってはいけないという法律はありましたが、昔は今と違って、こどももお酒やたばこを買うだけならできました。また、お酒やたばこの自販機も街中にあって、誰でも自由に買う事が出来ました。ちょっと危ないですね。

今では、どこの店も、お酒やたばこを買うときは必ず自分の年齢を証明できるものの提示が求められて、20歳未満の者にはお酒やたばこを売らないというルールがあります。これを書いている筆者は20歳を超えているのにも関わらず、しばしば年齢の確認を求められることがあります(笑)

昭和の常識⑯給食でくじらの肉が出てきた

昭和20年代から40年代までは戦後ということもあり食糧難だったため、豚肉や鶏肉があまり市場に出回っていなかったこともあり、くじらの肉は、栄養が豊富で、かつ安い食材として庶民の食生活を支えていました。そのため、昭和45年前後まで、学校の給食でもクジラの肉が出されていました。

給食として出された当時は、竜田揚げにして食べていたそうです。くじらの肉の味は好評だったそうですが、一方で「生臭い」「嚙み切れない」などといった声もあったようです。

しかし、くじらの捕獲を禁止する運動が昭和45年頃からヨーロッパやアメリカを中心におこり、昭和62年から、くじらの肉の販売を目的としてくじらを捕獲することが禁止されました。

現在では、くじらの調査捕獲は再開されていますが、くじらは高級食材として庶民の食卓から遠ざかっていました。私はくじらの肉を食べたことはないので、どんな味がするのかすごく気になります。

昭和の常識⑰学校の先生が恐かった

学校の先生

昭和の時代では、学校で先生にゲンコツやビンタされても問題にはなりませんでした。現在ではこのようなことを先生にされたら体罰で問題になります。冒頭で紹介した「不適切にもほどがある!」の主人公は昭和の教師という設定ですが、まさにそれを体現していましたね。

これはちょっとネタっぽいですが、先生が話を聞かなかったりするとチョークとか黒板消しとかを投げてきたりしてくることもあったようですね。また、理科の先生が大きい三角定規をうるさくしている男子に向かって投げつけて、関係のない女子に当たってしまって、女子を泣かせたという話もあったそうです。

現在では体罰とされるこのようなことができたのは、当時はこのような行為は「教育のための愛あるムチ」とみなされていたからだと考えられます。

さらに昔は教室でたばこを吸うことも許されており、教室でたばこを吸う教員もいたそうです。そのため、生徒たちはたばこの煙が充満された教室で給食を食べなくてはならないことになりました。

昭和の常識⑱部活動や体育の授業がキツイ

昔の学校では熱中症という単語やその危険性をあまり認識していませんでした。当時は「日射病」等と呼んでいたようですね。そのため、運動部や体育の授業は今よりも結構しんどかったようです。

部活動や体育では水が飲めず、休憩もまともにとらせてもらえないことがほとんどでした。また、上下関係が厳しく、低学年は水を飲む回数や量が制限されていたようです。夏休みでの屋外競技の練習中に、スポーツドリンクを一杯飲めるのは3年生だけで、1年生2人でコップの3分の1を半分こして飲み、しかも、それが飲めるのは午前と午後で一回のみ…という話あったようです。

夏の暑さは昔より厳しさを増しています。特に運動部に所属しているみなさんは、このようなことをまねしないで、しっかりと水分補給をして、特に夏場は熱中症に気を付けるようにしましょう。

昭和の常識⑲消費税がなかった

現在では何か物を買うと消費税が10パーセントかかるため(食料品等は8%)、100円の物を買うとその10パーセントである10円分も多くお金を払わなくてはなりません。しかし、昭和の時代ではこんなことはなかったのです。

消費税が導入されたのは今から30年以上前の1989年です。この年はちょうど平成元年だったため、昭和の時代は消費税という概念はなかったのです。

消費税が導入された当時はわずか3パーセント(つまり百均ショップに行って品物を1個買うと103円)でしたが、それでも物を買うと必ずかかってくるお金なので、毎日の暮らしに影響を与えるのであろうその税金に対する拒否反応はすさまじく、各地で反対運動が起きたそうです。

消費税はその後国民の反対を受けながらも、1997年には5パーセント、2014年には8パーセント、2019年では10パーセントに引き上げられました。

昭和の時代では消費税がなかったため、百均ショップに行って商品を1つ買っても100円しかかからないので、ワンコインで済ませることができて楽そうですね。

昭和の常識⑳色々な場所でたばこが吸えた

今の時代では禁煙が進み、たばこは決められた場所以外では吸うことはできませんが、昔では、今では考えられないような場所も含めて、色々な場所でたばこが吸えました。

たとえば、バスの中や電車の中だったり、飛行機の中だったりと、色々な乗り物のなかでもたばこが吸えたそうです。特に飛行機の中でも普通に吸えていたことは驚きますね。

また、病院の待合室でたばこを吸っている人もいたようで、ほかの患者さんの迷惑にならなかったのか気になります。上でも述べたのですが、学校の教室でもたばこを吸っていた先生もいたみたいです。学校だけに限らず、会社の中でもたばこを吸いながら仕事をし、映画館でも映画を見ながらたばこが吸えたようです。

終わりに

今では考えられない昭和の常識20選はいかがでしたか?ほかにも、バイクを乗るときはヘルメットをしなくてもよいだったことや、車の運転はシートベルトをしなくてもよかったことなど、たくさんあります。

私も平成生まれで、改めて昭和の時代の常識について調べてみると非常に驚きました。特に驚いたのは携帯電話がなかった時代ですから、みんな様々な手段を使って工夫しながら友達と連絡を取っていたことです。そして、今の時代はスマートフォン一つで色々な人をつながることができ、本当に恵まれているなと感じました。

昭和の時代での驚くべき常識はほかにもたくさんあります。興味ある方はぜひ自分で調べてみてください。また、ご家族内で話をしてみてコミュニケーションの一環にしてみてはいかがでしょうか。

なお、勉強の事で困ったことがあった際には、是非私たち家庭教師にもご相談ください!

この記事を書いたのは

現役一橋大生ライターY

家庭教師ファーストの登録家庭教師。一橋大学法学部在籍。文系科目ならお任せください!

著作・制作

家庭教師ファースト/株式会社エムズグラント

『質の高いサービスを、良心的な価格で』をモットーに、全国で20年以上家庭教師を紹介しています。実際に担当する教師による体験指導受付中。教育に関する相談もお気軽に。

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