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家庭教師ファースト教育コラム社会・歴史の雑学

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【禁足地】絶対に入れない!日本で「立入禁止」の場所10選とその理由

  • 社会・歴史の雑学
  • 現役明治大生ライターT

皆さんは旅行が好きですか?旅行とは様々な場所で楽しい思い出を作る、大変すばらしいものです。毎年多くの人々が旅行を楽しんでいます。しかし、旅行に行けるからといって、どこにでも自由に行けるわけではありません。

日本国内には、一般人が足を踏みいれてはいけない「立ち入り禁止区域」が無数にあります。美しい景色、広がる自然、その土地にしかない特産物。そんな素晴らしいものがあるのに、様々な理由から立ち入ることが禁止されている場所があるのです。今回はそんな日本国内の立ち入り禁止区域について、幾らか紹介したいと思います。

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日本の立ち入り禁止区域

日本の立ち入り禁止区域

私たちは普段の生活圏内でも、立ち入り禁止の文言が入っている看板を目にすることがあります。それは工事現場であったり、建物の扉に書かれていたりしています。もちろん立ち入り禁止が書かれているのにはそれ相応の理由があります。例えば、危険なものがあったり、触られてはいけないものが保管されていたりです。

通常そのような場所には、特別な許可がなければ入ることができません。なので、一般人にとって立ち入り禁止と書かれている奥は未知の領域で、その先を知るのは背徳感を感じることでしょう。今回はそんな立ち入り禁止区域の紹介と、そこがどのようなところなのかを説明していこうと思います。

日本の立ち入り禁止区域①東京都 南硫黄島

南硫黄島

多くの人が住んでいる日本の首都、東京は本州の土地だけでなく、広大な海やそこに浮かぶ島々から構成されている場所です。そんな東京から遥か南南東に位置している海上に、南硫黄島という島があります。実は、この島は一般人の立ち入りを制限している立ち入り禁止区域なのです。

では何故、南硫黄島は立ち入り禁止区域に指定されているのでしょう。その理由は古来からの自然を保っているから、とされています。南硫黄島は南硫黄島原生自然環境保全地域(みなみいおうとうげんせいしぜんかんきょうほぜんちいき)に指定されています。これは1972年に自然環境保全法によって制定された法律の下指定されたもので、その名の通り自然環境を後世まで保全してくことを目的として作られたものです。

南硫黄島は、過去にほとんど人を寄せ付けませんでした。というのも、海岸沿いには断崖絶壁が続いており、入島することだけでも困難でした。加えて、比較的小さい土地にそびえ立った山、そして食料の安定的な供給の難しさによって人間が上陸することが難しかったようです。

これまで幾度と島の開発の話が上がっていたようですが、どれも島に上陸し、開発するコストやリスクとそのリターンの採算が合わず、計画が頓挫していきました。しかし、そのお陰で人間の手が加わっていない大自然が広がっており、保全するべき対象とされました。このような理由によってこの島は立ち入り禁止区域に指定されています。

日本の立ち入り禁止区域②青森県 猿ヶ森砂丘

皆さんは日本の砂丘と聞いてどんな場所を思い浮かべますか?多くの人は鳥取県にある「鳥取砂丘」を思い浮かべるかと思います。観光地としてもとても人気な場所で、この記事を読んでいる方の中にも訪れた人がいるかもしれません。

日本最大級の砂丘として知られている鳥取砂丘ですが、鳥取砂丘のほとんどの説明において“日本最大級”という説明がされています。そう、最大と言い切っていないのです。実は、日本最大の砂丘は鳥取砂丘ではなく、青森県にある猿ヶ森砂丘が最大の砂丘なのです。しかし、ほとんどの人は猿ヶ森砂丘の名前を知りません。それはどうしてなのでしょう。

その答えは猿ヶ森砂丘の土地を所有している組織にあります。その組織とは防衛装備庁という組織で、日本の軍需品などの危険物を開発、管理をしています。その組織は広大な猿ヶ森砂丘を所有し、その土地で開発した軍需品の仕様を試しているのです。

当然、軍需品なので危険物です。そんな試験をしている場所に一般人を入れるわけにはいきません。もしそんな場所に立ち入ってしまえば、怪我だけでは済まないかもしれません。それ故に、観光地化されることがなく、また知名度も低いというわけです。

私たちが立ち入れる砂丘として最大であるのが鳥取砂丘であり、日本全体を見て最大の砂丘は猿ヶ森砂丘ということになります。

日本の立ち入り禁止区域③東京都 第六台場

東京の中心部にお台場という場所があります。某有名なテレビ局があり、レインボーブリッジや大型商業施設などが多数あるこのお台場ですが、実はこのお台場に立ち入り禁止区域が存在しているのです。

お台場とは、1853年の「ペリー来航」を機に江戸防衛を目的に建造された砲台に由来されます。その台場は計6台建造され、現在でもその名残を見ることができます。そんな歴史のあるお台場は、品川沖に半島や島として建造されました。現在では第三台場が公園として開放されていて、そこにある自然とお台場の景観を堪能できる観光スポットとして知られています。

しかし、一方で第六台場に関しては観光スポットはおろか、一体どこに存在しているのかさえもあまり知られていません。第六台場はレインボーブリッジに程近い品川沖に浮かんでいる島であり、陸路で第六台場まで行く手段がありません。しかし、島に渡る手段がないから立ち入り禁止というわけでもないのです。

お台場は都会という性質を持ちますが、一方でとても自然豊かな場所です。川には魚が住み、それを食べる川鳥が多く生息しています。一つの大きな生態系を確立しているお台場は生き物たちのゆりかごの役割を果たしています。

生き物には当然獲物を狩猟する場所、寝るための場所、というような生きるための環境が必要です。川鳥たちにとってもちろん川が狩猟する場所です。では、寝床はどこにあるのでしょうか。その答えこそが第六台場なのです。第六台場は、お台場の貴重な生態系を保全するための土地としての側面を持っています。

第六台場はコサギなどの中型の鳥が多く住んでいる島で、数百羽にも及ぶ数の鳥がこの第六台場で休み、子育てをしています。鳥たちにとって島という特性上、外敵が入ってこないので楽園のような場所なのでしょう。

もちろんそれだけではなく、歴史的な保全としての役割もあります。ですが、都内でもここまで野生の生き物が独自の生活圏を確保している場所も少ないようで、海外から研究者が訪れて土地の観測をすることもあるようです。

私たち一般人は通常立ち入ることができませんが、公園として開かれている第三台場には第六台場を覗くための望遠鏡が無料で開放されているので、もし訪れることがあったら覗いてみてください。おそらく多くの川鳥とその巣が見えると思います。

日本の立ち入り禁止区域④沖縄県 入砂島

沖縄県 入砂島

入砂島は別名出砂島とも呼ばれていて、沖縄県の渡名喜島から程近い場所に位置している島です。渡名喜島は有人島であり、渡名喜村という集落が存在しています。一方で入砂島は無人島であり、基本的に一般人は出入りすることが許されていません。

入砂島の歴史は古く、今から約3000年前には人間が住んでいたとされています。しかし、その後に入砂島は神の宿る島だという共通認識を持たれ、渡名喜島の住人に畏怖されてきました。

入砂島は緩やかな山を形成していて、その頂上には琉球神道で祭事を行うための御嶽(うたき)という場所が計4つあり、そこで三人の神を祀っています。琉球神道のなかでもとても重要な場所であり、麦穂祭という祭祀も執り行われてきました。

これだけでも「神聖な土地柄故に立ち入り禁止なのだろう」という理由として十分だと思うかもしれませんが、実は立ち入り禁止の最大の理由は御嶽があることではないのです。

現在の入砂島は無人島でありますが、誰も定住していないという意味で、無人島というわけではありません。1945年に第二次世界大戦が終戦を迎え、その後に沖縄を含む琉球の多くの島々がアメリカ軍に接収されてしまいました。

現在は沖縄返還というターニングポイントを経て、沖縄は日本に復帰しています。しかし、現在は日本の航空自衛隊とアメリカの海軍との合同演習の舞台とされていて、一般人の立ち入りに制限が掛けられています。

しかし、全く入れない、というわけではないようです。合同訓練は基本的に日曜日には実施されておらず、その間だけは入島が許可されていて、名産品であるアオサノリの収穫が認められているようです。

日本の立ち入り禁止区域⑤三重県 伊勢神宮正殿

日本の神社の中でも最も由緒正しく、規模や歴史的に見ても重要な神社の一つに伊勢神宮という神社があります。伊勢神宮は「神社本庁」という日本各地にある神社をまとめた宗教法人の代表として位置付けられており、日本の神話に登場する数々の宝物を保管している場所でもあります。

この伊勢神宮には、皆さんも一度は聞いたことがあるであろう三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)が収められています。そんな霊験あらたかな品が収められている伊勢神宮には、誰も立ち入ることが許されない場所が存在するのです。それは伊勢神宮正殿です。

御正殿とは大御神が祀られている場所で、先ほど紹介した八咫鏡もここに祀られているとされています。厳密に言うと、初穂料と言われる寄付のようなお金を伊勢神宮に支払えば正殿の中を少し入ることができるようですが、一般人が入れる最も奥とされている内玉垣南御門外までいくためには、なんと100万円もの初穂料を支払わなければいけません。しかも当然それが最奥というわけではないのです。

八咫鏡は日本の神話の中でもとても有名な存在です。そして日本神話において切っても切り離せないのが天皇という存在でしょう。天皇は神の血筋を代々受け継いでいっており、八咫鏡とも深いつながりを持っています。しかし、伊勢神宮正殿にはこの天皇さえも入ることが叶わないのです。

その理由は諸説ありますが、一説には既に三種の神器は焼失して存在しておらず、誰も三種の神器を保管しているとされている箱の中身を見てはならないと定められているから、という説が囁かれています。実際は三種の神器を保管した箱の中身を見た人はおらず、その真偽のほどは不明です。

伊勢神宮正殿は日本のルーツにも深く影響している場所であり、数々の謎が眠っている土地でもあります。そこは一般人はおろか、天皇さえも入ることができない場所なので、とても神秘的な気がしてきます。

しかし、正殿の中に入ることは叶いませんが、正殿の中に収められている八咫鏡の入っている箱はメディアで見ることができます。新たな天皇が即位するときには、天皇が箱に巻かれている紐を巻く“お搦めの神事”という儀式が行われます。そのときに八咫鏡が収められている箱が外部に持ち出され、天皇が直々に儀式を行います。

伊勢神宮正殿内部には入ることができませんが、その中に収められている物の一部は確認することができますので、是非ネットで探してみてください。

日本の立ち入り禁止区域⑥千葉県 八幡の藪知らず

千葉県 八幡の藪知らず

皆さんはオカルトを信じますか?妖怪や幽霊といった古くからその存在が囁かれている超自然的な存在は、いつの時代においても人々の話題の中心にありました。そんな話題の中でもよく聞かれるのは“入ると神隠しにあう場所”でしょう。夜の神社に一人で行くと神隠しにあう、という話は古今東西どこからでも聞かれます。

そのような場所のことを神域、あるいは禁足地と称されます。今回紹介する八幡の藪知らずという場所は禁足地と考えられていて、多くの曰くが残されている場所なのです。

八幡の藪知らずとは、千葉県市川市の八幡という場所にある森のことを指します。一般的な呼び名は八幡の藪知らずですが、市川市側の呼称は「不知八幡森(しらずやわたのもり)」となっています。この森には不知森神社(しらずもりじんじゃ)と呼ばれる神社があり、その一区画のみの立ち入りが許されています。しかし、これは裏を返せばその区画以外の立ち入りは禁止されているのです。

では何故八幡の藪知らずは立ち入り禁止区画に指定されているのでしょう。八幡の藪知らずの伝承は古く、江戸時代には既に禁足地として考えられていたようです。その伝承とは、「藪の中に入ると二度と藪の外には出ることができなくなる」というものでした。

しかし、そのように伝承が伝えられているのにも関わらず、藪の中に何があるのか、どうして出ることができなくなるのかということは全く定かではありません。この藪もあまり広くはなく、約18メートル四方の小さな土地であり、その中で迷うということはあまり考えられません。

現在でも様々な説が唱えられており、現地の人々からは恐怖の対象となっています。妖怪や怨念による呪い説から底なし沼説、有毒ガス説といった様々な説が上がっていますが、そのどれもが憶測の域を出ません。伝承にはかの有名な水戸光圀公(水戸黄門)がこの藪で迷い、妖怪の大将と交渉の末に命が助かったという逸話まで残されています。

確かなことはこの八幡の藪知らずは立ち入り禁止であることだけです。しかし、二度と戻れない理由が伝承の中に残されていないというのは、逆に信憑性が増してくるような気がします。誰も戻ってこないから明確な伝承も残らない、ということなのかもしれません。

日本の立ち入り禁止区域⑦福岡県 沖ノ島

禁足地とされている土地は他にも多くあります。その中でも沖ノ島という場所は、多くの人々の間でも有名な禁足地です。沖ノ島は福岡県沖に存在する島で、別称「神宿る島」と呼ばれます。2017年に国際連合の専門機関である「ユネスコ」によって世界文化遺産に認定されました。そのお陰で名前を聞いたことがある人もいるかもしれません。

この沖ノ島は昔からの伝統で女人禁制を守っていて、現在でも女性は上陸することができないという決まりがされています。男性も原則上陸が禁止されていて、祭祀の際のみの上陸が認められていました。

しかし、先ほど紹介したユネスコの世界文化遺産の認定によって一部の研究者や神職の人以外の立ち入りを禁止してしまい、現在では女性も男性も入島することができない状況です。2017年以前でも人数制限をしていたようですが、現在では誰一人一般人として入れないのは少し残念ですね。

この沖ノ島にはとある伝承が残されています。それは「不言様(おいわずさま)」というものです。これは、沖ノ島内部にある神社の鳥居より先の様子を一切口外してはならない、というものです。島の外観のみや鳥居までの様子を口頭で言ったり、写真に収めることは問題ないようですが、鳥居より先のことを島外に持ち出してはならないようです。

また、島内全体での物の持ち出しが禁止されており、他にも殺生(殺し)をしてはならないなどの制約も存在しています。これはこの島自体が神として神聖視されており、それを犯してはならないと考えられているからだとされています。

他にもこの沖ノ島では、縄文時代や弥生時代の遺物が多く出土しているようです。この出土した品々もとても重要な物と考えられており、国宝に指定された物や重要文化財に指定されたものまであります。現在でも遺物の全てが発掘されたわけではなく、島の宗教上の特性と折を合わせつつ慎重に発掘しているようです。

この沖ノ島は縄文時代などの古代の文明を始めとして、とても長い時間の間絶えず人々にとっての重要な場所として機能していました。そんな歴史的だけでなく宗教的に見ても重要な沖ノ島だからこそ、現在は立ち入り禁止区域に指定されているのでしょう。

日本の立ち入り禁止区域⑧福島県 福島第一原発

2011年の3月11日に日本で後世に残る天災が襲い掛かりました。それは東日本大震災という巨大な地震です。少しずつ時間が過ぎていき、高校生以下の方はあまり覚えていないかもしれません。しかし、今現在でもその傷跡は深く残り、影響を受け続けています。

東日本大震災よりも以前、日本では原子力発電がとてもクリーンな発電方法だとされていました。クリーンとは有毒ガスを出さないエコな発電、という意味です。現在ではありえないと感じるかもしれませんが、当時は中学受験の参考書にまで原子力は未来のエネルギーと書かれていたくらいです。

しかし、件の大震災を皮切りにその認識は大きく変わりました。地震による福島にあった原子力発電の設備の破損、メルトダウンを起こし放射線が辺りに飛び散ることになりました。この放射線とは生物が浴びると人体の設計図とされるDNAを破壊されてしまい、最悪の場合命を落としてしまう恐ろしいものです。

現在では懸命な除染や福島原発の小康状態を保つ働きによって、多くの土地が立ち入り禁止を解かれています。しかし、その全てではありません。10年以上の年月が経ってもなお、福島原発周囲の土地は立ち入りが禁止されています。

立ち入り禁止区域にも幾つかの種類があり、全面的な立ち入り禁止区域に制限時間ありの立ち入り禁止区域、そして立ち入り禁止が解除された区域があります。このように未だ解決していない福島原発事故は実際には風化することなく残り続けています。

もしこの記事を読んでいる方に当時のことを知らない人がいましたら、この記事を読んで「福島の品は放射線に汚染されている」のような考えは抱かないでください。未だに立ち入り禁止区域は残されていますが、市井で流通されている品は厳格な審査の元出回っている物なので、危険はありません。

日本にも以前にそのような事件があり、現在でもその傷跡が残り続けていることを忘れてはいけません。

日本の立ち入り禁止区域⑨地下軍需坑道

地下軍需坑道

皆さんは洞窟を見たことがありますか?山道を進んでいたり、川沿いの壁面を見てみると穿っている洞窟を目にすることがあるかもしれません。多くの洞窟は雨風や水流によって作られた天然物の洞窟です。しかし、その中には人間が目的をもって掘り進められた洞窟があります。

20世紀前半、日本は国際的に大規模な戦争に参加していました。そう、第二次世界大戦です。その中で日本はアメリカと熾烈な戦いを繰り広げてきました。戦争初期は日本が優勢とみられていましたが、次第にその勢いが衰え、アメリカ軍に押され始めました。そして各所の重要拠点を失い、アメリカが本土の方へと進軍してきました。

アメリカ軍の進軍作戦には日本の軍需品開発拠点を爆撃機で空爆する、というものがありました。そのため、日本各地にある工場が狙われ、そこにいる多くの人の命が奪われました。しかし、工場を攻撃され、軍需品が作れなくても戦争自体は終わりません。

そこで工場の人々は工場付近の山の側面に横穴を掘り、その中で軍需品の開発を進めました。それが地下軍需品坑道です。工場と言っても山の側面に掘られた横穴です。穴の大きさはとても小さく、細く暗かったようです。

加えて、ほとんどの穴は手掘りやつるはしのような簡易的な作業で掘られていて、その耐久性や安全性はとても低くなっています。敵に見つかりづらいという理由で掘られた坑道は、戦闘機などの翼部分の開発という重要な仕事を任されていました。

現在でもこの地下軍需坑道が日本各地の山中に残されています。その多くは元々機密情報の一つとして扱われていたことを理由に忘れ去られています。一方で、坑道を観光名所として公開している場所も一部あります。

しかし、戦争終結から数十年経っている現在、地震やその他の自然災害が起こりやすい日本において、即席の行動は安全面に大きな問題を抱えています。それ故に、福井県や愛知県にある地下軍需坑道では以前まで一般公開されていた坑道を期限未定の立ち入り禁止区域に指定され、保存活動に注力しています。

立ち入り禁止区域に指定されている坑道は基本的に入り口が施錠されているために中に入れません。しかし、未だ発見されていない坑道も数多く残されています。当然それらは管理されていません。危険な坑道だと気付かずに中に入ってしまい、そのまま事故に巻き込まれることも想定できますので、洞窟ないしは坑道は基本的に立ち入り禁止だという認識を持った方がいいでしょう。

日本の立ち入り禁止区域⑩東京都 西之島

日本は国土の全体が島で構成されている島国です。本州だけではなく、四国や北海道、九州、そしてその周辺に位置している比較的に小さな島が無数に存在しています。無数にある島は島民の住む有人島もあれば無人島も存在しています。過疎化が進行している島では、有人島だった場所が無人島になりつつある場所もあります。

しかし、日本には元から島民が存在しておらず、尚且つ一般人が入島することを禁止している島があるのです。その島が「西之島」という島です。この島は小笠原諸島の中に位置している島で、現在島の大きさは4.1㎢となっています。ここで重要なのは“現在”という点です。この島は時代によって少しずつ大きくなっているのです。

記憶にある人もいるかもしれません。2013年に日本の太平洋の一角で一つの小さな島が火山活動によって出現しました。当時のメディアでは「新島」や「新西之島」と呼ばれていたその島は地下深くの火山活動の影響で元々存在していた西之島から程近い場所に現れました。そして新島は旧西之島と一体化して、現在の西之島となっています。その火山活動によって隆起した場所が島を形成したのです。

元々存在していた西之島は有史以前から幾度となく噴火を繰り返して、その規模を大きくしてきました。簡単に言えば、活火山をそのまま島にしたような場所が西之島なのです。火山が比較的活性化されていない期間では、島にも植物や生き物の存在も確認されてきました。しかし、先ほど紹介した2013年の新島の出現によって、その火山灰などによって姿を消しました。

そのため人間が住めるような環境ではなく、常に危険が伴っている西之島では人間の上陸が困難です。火山活動が小康状態であっても、火山ガスややせた土地、水源の少なさが原因で人間にとっては常に生命の危険に晒されてしまいます。

歴史的に見ても西之島に定住した人間はおらず、遠洋から島の姿を目撃したり、難破した船から脱出した難民が西之島に漂着したくらいの関係でした。

これらの理由により、西之島では一般人がこの島に上陸することができません。つまり、立ち入り禁止区域に指定されているというわけです。万が一研究目的で入島できたとしても、孤島としてのサンプルを守るべく、体の厳重な除染作業をする必要があるようです。

まとめ

日本は私たちが知らないような場所に数々の立ち入り禁止区域を形成しています。それは工場や建設現場などの危険作業をするような場所だけでなく、風俗であったり、宗教、研究を理由に立ち入りを禁止している場所が多数あります。

立ち入り禁止区域に指定される場所にはそれ相応の理由があります。しかし、その理由の大体は危険な場所から私たち一般人を守るためや、一度失われたらに二度と元通りになることがない歴史を守るためです。そのことから、怖いもの見たさに立ち入り禁止区域に侵入することは絶対にしてはいけません。

なお、お勉強の事でお困りごとがありましたら、是非私たち家庭教師にもご相談ください!また、家庭教師の仲間も募集中です。ご興味のある方は下記リンクより是非ご検討ください。

この記事を書いたのは

現役明治大生ライターT

家庭教師ファーストの登録家庭教師。明治大学 国際日本学部在学。英検準1級合格しています。

著作・制作

家庭教師ファースト/株式会社エムズグラント

『質の高いサービスを、良心的な価格で』をモットーに、全国で20年以上家庭教師を紹介しています。実際に担当する教師による体験指導受付中。教育に関する相談もお気軽に。

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