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家庭教師ファースト教育コラム社会・歴史の雑学

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【日本の食の歴史】「和食」とは何か?食事で紐解く日本の歴史

  • 社会・歴史の雑学
  • 現役家庭教師ライター T

2013年、ユネスコは日本食を「和食」として無形文化遺産に登録しました。和食は、日本人もしくは日本国の伝統的な食に関する文化であり、世界に誇る文化遺産です。「和食」の特徴として以下の要素が挙げられています。

  • ・新鮮かつ多様な食材を様々な工夫を凝らして、使用する点
  • ・栄養のバランスに優れた、健康的な食である点
  • ・自然の美しさや季節の移ろいを表現した盛り付けを行う点
  • ・正月などの年中行事と関わりを持っている点

この4点を見ると、和食の特徴や優れている点を象徴していますね。しかし、このような「和食」は古来の日本から存在したのでしょうか。また、そもそも「和食」とは何なのでしょうか。今回は、日本の先人たちが紡いできた「食」について歴史的に解説していきます。

なお、勉強の事でお困りの際には、是非私たち家庭教師にもご相談ください!

時代区分について

本題に入る前に少し、時代の区分についてお話ししておきましょう。歴史研究においては、すべての時代を取り扱ったり、研究していったりすることはできませんから、一定の根拠をもって時代をカタマリごとに区分します。その際に出てくる概念が「時代区分」ということとなります。時代区分をめぐっては、便宜的に古代・中世・近世・近代・現代と区分されていると考えてください。

前置きが長くなりましたが、まずは古代における日本人の食事についてみていきましょう。

日本人の食の歴史①「古代」の日本食

A:古代の日本食

古代の日本人たちは何を食べていたのでしょうか。現在でもそうですが、食事については一律に論ずることはできません。たとえば、金持ちの食事と貧しい人たちの食事は全く異なるものだからです。それを念頭におきながら、本記事で取り上げていきましょう。

原始の日本の食事

まだ、日本が日本と呼ばれず、また日本に人間がやってきたばかりの時代においては、世界のほかの地域と違わず、狩猟や採集によって生計が立てられていました。大型の動物も多く、食料に困らなかったからです。また、植物性の食料についても採取した木の実などを食していました。みなさんも一度は聞いたことがある、縄文土器の使い方の1つには硬い木の実などを煮炊きして食べられるようにするというものがありますよね。さらに、調理法としては煮る・焼くなどの原始的なものでした。このようにして、いわばワイルドな食事をしていたのが、古代ということになるでしょう。

ただ、狩猟や採集では安定性に限界があります。農業などとは異なり、定期的に手にできるわけではないですし、量も安定していません。そこで、農業を中心とする食料の供給体制が求められたのです。

弥生時代の食事

弥生時代以前の縄文時代においても、米作りの方法はあったことが知られていますが、本格的に稲作がスタートしたのは弥生時代であったと言われています。

なお、最新の研究によると日本の古代イネの遺伝子分析により、稲作は朝鮮半島を経由することなく、長江流域から直接日本に伝来したことがわかっています。「大陸からやってきた渡来人たちによって、米作りの方法がもたらされた」と学校で習ったかもしれませんが、そもそも「弥生の渡来人」がいなかったという説もあります。歴史とはこのように最新の研究で日々変わっていくものなのです。

ともあれ、この頃より日本は米を主食とする文化となっていきました。

古墳時代の食事

古墳時代

弥生時代から、古墳時代となったときの変化としては、米の生産量が増大したことです。農作業の道具や田んぼを作る技術が高まったことがその理由です。

さらに、この時代の特徴として指摘できるのは「カマド」です。米の調理道具として、「カマド」が普及したことで、米が食べやすくなり、米食が普及して行ったというわけです。

主食として、米が普及したわけですが、おかずとしてはどのようなものがあったのでしょうか。おかずとしては、私たちとあまり変わらないものを食べていたようです。もちろん、食べ方などは異なり、現代のように1年中食べられるものはなかったわけですが。つまり、春から秋にかけては、海や川で採れる魚(スズキやタイ、アユやナマズ、コイなど)を食べ、冬には山に入り、脂ののったイノシシやシカなどを採取して食べていました。

飛鳥時代と奈良時代の食事

聖徳太子(厩戸皇子)などが活躍したり、聖武天皇が活躍したりした飛鳥時代と奈良時代での食事はどんなものだったのでしょうか。

基本的な部分としては、以前と変わりません。米・塩わかめの汁など、食事の内容自体はあまり変わりませんでした。ただ、徐々に身分制が発生し、貧富の差から食事の内容にも差が出てきます。身分の高い人の食事ともなると、質素な食事に魚や肉などのおかずがつきました。

そして、この時代での特徴として指摘できるのは、「箸」の普及です。3000年前の中国で生まれた箸は、遣隋使(※)で中国からもたらされます。以後、日本では箸で食事がなされるようになります。この時代の箸は木製ではなく竹製の丈夫なものでした。ちなみに、使いすての「割り箸」などはありませんでした。生産量や技術が乏しいなかで使うたびに捨てていては、なくなってしまいますからね。

※遣隋使:推古天皇と聖徳太子の時代に進んだ技術や技術を学ぶために中国「隋」に派遣した使いのこと。この遣隋使に参加した者として、小野妹子は有名ですよね。

平安時代:貴族の場合

平安時代にまでなってくると、固定された身分制がはっきりと看守されます。ただし、京の都では、伝来した仏教の影響から食事の内容に規制が入ります。すなわち、肉は食べるべきではないとか、この時間に食べるべきだとか、そういうタブーが入ってきます。これによって、貴族たちの食事は制限され、栄養が偏ったものとなっていたようですね。また、当時の貴族たちは自分のことすら自分でやるべきではないと考えられていました。自分で着替えもしないし、移動には牛車を利用します。偏った食事と過度な運動不足によって、生活習慣病が蔓延していたとされています。

食事の内容や量自体は庶民と比較すれば、豪華なものでした。まず、主食となる米は変わりません。しかし、米も今とは異なり、「炊く」以外の方法でも食べられていました。たとえば、おかゆのように柔らかく煮たものやおこわ、そして普通に炊かれた米などが食されていました。混ぜご飯のようなものもあり、白米のみではないことから忌避されましたが、雑穀ご飯もあったと言われています。

また、おかずとしては野菜が中心で、魚も食べられました。肉(特に、牛や豚はタブーとなりました。)は仏教の影響から、貴族たちが食すことはなくなりました。食された魚としては、コイやアユなどの川魚が中心であり、魚のなかにも上品とされた魚とあまり好まれない魚もあったようですね。

これらのおかず類の食べ方ですが、現在のように、台所で味付けを完結させるものではなかったと言われています。つまり、卓上で味付けをするということです。金はある貴族たちは卓上に置かれた塩や酒、酢などにつけて食べるという形式が一般的であったようです。

蘇とは?

蘇

現代でも少し前に話題となった「蘇」も、飛鳥時代から平安時代にかけて食されたものです。製法については不明なものも多いですが、乳を加工した製品で、上流の貴族たちしか口にすることはできなかったようですね。

平安時代:庶民の場合

平安時代の庶民たちはどのような食事をしていたのでしょうか。貴族たちとは異なり、金もない庶民たちが考えるのは、「腹持ち」です。たとえば、主食であった米も硬く炊くことで、腹持ちをよくさせるように工夫していました。また、調味料としても貴族たちのようにたくさん用意することはできませんから、塩が基本でした。

おかずも、魚などの高価なものはなく、質素なものしかありませんでした。

また、庶民ではありませんが、地方の実力者である豪族たちも食事について指摘すると、中央の貴族たちが仏教の影響から食事に関するタブーが決定されていったのに対して、豪族たちは仏教の影響をあまり受けませんでしたから、肉なども食すことがあったようですね。 最後に、平安時代の人たち全てに共通するものを指摘すると、1日の食事の回数です。現代人は一般的に3回と言われていますが、平安時代の人たちは2回でした。

日本人の食の歴史②「中世」の日本食

B:中世の日本食

鎌倉時代と室町時代などの次第に武士たちが台頭してくる時代においては、どのような食事だったのでしょうか。

鎌倉時代の食事

鎌倉時代ともなると、農業の技術やシステムは従来のものとは比べものにならないほど進化していきます。まず、農具1つとっても、旧来は木製などでもろかった道具が金属(鉄製)となります。これによって農業生産は飛躍的に増大しました。また、二毛作という農業のスタイルも一部の地域で開始されます。二毛作とは、簡単に言ってしまえば、1つの土地で季節ごとに異なる作物を育てるというものです。たとえば、春から夏にかけて米を作り、米の収穫が終わり次第、夏から秋にかけて麦を作るというものです。これによって、生産量は飛躍的に増大することとなります。

また、鎌倉時代といえば、武士の台頭です。鎌倉時代から新たに現れた武士たちはどのような食生活を持っていたのでしょうか。

武士たちは、既存の仏教や習俗に囚われていた貴族たちと比較して、そういう食事に関するタブーをあまり気にしていませんでした。よって、普通に動物(牛は除く)を殺して、肉として食べていたようです。貴族が中心の京都以外では、武士の影響から肉が食べられていたようです。

また、精進料理もこの時期に誕生します。精進料理とは、仏教に基づいて生活している僧たちが、野菜や植物性の食材のみで作って食べていた料理のことです。現代でも、寺などに行けば、食べられることがあります。肉やお菓子などが普及した飽食の現代では精進料理はあまり人気があるとはお世辞にはいえませんが、この時代の精進料理は革新的な部分がありました。それは、最初から料理に味がついているということです。平安時代で書いたように、以前は自分のお盆などでつけて食べるというのが一般的でした。これに対して、精進料理は最初から味がついているため、とても美味しく食べられたということです。

さらに、鎌倉時代には私たち現代人が欠かすことができない調味料が発明されます。それが、醤油です。すでに中国から伝わっていた味噌を、作っていた過程で偶然に発見されたと言われています。

このように、鎌倉時代には、食についても大きく進歩した時代であったと言えるでしょう。

室町時代の食事

室町時代の食事

室町時代では、どのような食生活が育まれていたのでしょうか。

室町時代では、鎌倉時代からさらに農業技術が進歩していきます。日本各地に存在した守護大名たちが、新田開発などを行ったり農業開発に励んだりしたからです。たとえば、今まで二毛作であったものが三毛作と変化し、米・麦・蕎麦の三種類の作物を生産することができるようになりました。このように、主食が安定した結果、生産力に余剰が発生し、腹を満たす以外の目的の食物も生産されるようになります。つまり、商品作物の生産ですね。たとえば、お茶なんかは商品作物の典型です。お茶はそのまま食べるものではないですから、自身の直接の栄養とはなり得ません。しかし、食糧生産に余裕が出ていれば、お茶などを楽しむこともできるでしょう。このように、主食生産力の向上は、農業生産における余剰を発生させ、商品作物の生産も盛んになるということです。お茶以外の商品作物といえば、いろいろありますが、和歌山のみかんや薩摩(鹿児島)の黒砂糖などです。

また、武士以外の階級では、一日三食が一般化します。この時代、商品作物が生産されていたと述べましたが、それは植物性の油も含まれます。油などの照明に利用できる器具が多く普及したことは、人間の活動時間を増大させることにつながります。たくさんの時間起きて、活動しているということはそれだけお腹が減ることにもなりますから、1日三食の文化が浸透したということですね。一方、武士たちは1日に二食でしたが、主食となる玄米を五合食べていたと言われています。戦のときは、1升支給されていました。おかずが乏しかったとはいえ、とんでもない量食べていたんですね。 

さらに、本膳料理も発生します。本膳料理とは客と饗宴する際に、儀式的な意味合いを持たせた料理の形態です。簡単にイメージするならば、お膳にのった豪華な料理のことです。鎌倉時代の武士たちとは異なり、豪華な文化が求められるようになった室町時代の武士たちが開発したものです。単純に食事をすればよいというものではなく、礼儀作法も求められるものでしたので、戦国時代になって、だんだんと衰退していきました。

日本人の食の歴史③「近世(戦国時代)」の日本食

ここからは、近世の食文化を見ていきましょう。戦国時代(安土・桃山時代)には、どのような食事があったのでしょうか。

2、近世・近代の日本食

安土・桃山時代の食事

織田信長や徳川家康などの戦国武将たちが活躍した安土・桃山時代ではどのような食事があったのでしょうか。

この時代に最も特徴的な食文化は、何と言っても、南蛮料理でしょう。大交易時代において、スペイン人やポルトガル人が来航するようになり、南蛮の食材や調理方法が広まるようになります。たとえば、日本食として有名な「天ぷら」は、ポルトガル語の「テンポーラ」に由来するものです。ポルトガルでは、「テンポーラ」という斎日に、肉を断ち、祈りを捧げるという習慣がありました。そこで、肉を食べる代わりに、野菜や魚を油で揚げたものを食したようです。ポルトガル人が日本にやってきた際に、野菜や魚を油で揚げる料理が伝来し、「テンポーラ」がなまって、天ぷらとなったというわけです。それ以外で伝わったものとしては、カステラやコンペイトウが挙げられるでしょう。さらに、食材においても、南蛮から渡来したものがあります。列挙すると、かぼちゃ、スイカ、唐辛子やさつまいもがあります。ただ、これらの食材はすぐに日本各地で食べられたり、生産されたりした訳ではありません。

一方、それ以前の本膳料理が発達して、懐石料理が誕生します。それ以前のフォーマル(※)な食事では、食べきれないほどの量がいっぺんに出てきました。確かに、とても豪華であり、お客さんを歓迎する際にはとても適しているといえますが、いっぺんに食べきれない料理を出すのは不合理とも言えるでしょう。というのも、食べきれないというのはもちろん、いっぺんに出しては料理が冷えてしまいます。このような不合理な点を解消したのが懐石料理です。懐石料理では、暖かい料理を出すために、いっぺんに出すという方式をやめ、順番に料理を持ってくる形式となりました。また、食べきれない量を出すのではなく、食べきれる料理を出すというのがスタンダートとなります。

さらに、今に伝わるもので言うと、茶の湯の文化もここで広まることとなります。千利休が開発した、侘び寂びの精神を体現する茶の湯文化も「和」をあらわす食事の一種と言うことができるでしょう。

※フォーマル:公式、格式ばっているもの

日本人の食の歴史④「近世(江戸時代)」の日本食

B:江戸時代の日本食

江戸時代はとても長いですし、また町民や武士などがたくさんありますから、それぞれで分けて考えていましょう。

江戸時代の食事:現代に通ずる食文化

江戸時代には、現代につながる日本食が開花した時代です。

まずは、スシです!やっぱり、海外でも大人気のスシから取り上げましょう。スシが発生したのは、1800年ごろです。江戸時代が関ヶ原の戦い(1600年)からスタートしていると考えると、かなり終盤の頃となります。ただ、私たちがイメージする握り寿司が生まれたのが1800年であるというだけで、関西では押し寿司がありました。この頃に大都市江戸において生まれたのが、握り寿司であったということです。また、今のように冷凍させたり、各地に新鮮なまま運搬したりすることはできなかったので、酢で〆るなどして運搬されたようです。よって、ネタが酸っぱかったことから「酢し」となったようですね。(諸説あり)

当時のスシは、現代とは異なり、わさびを使用することはなかったようです。そもそもわさびは水が綺麗なところでしか生産できず、生産量も限られていたために、あまり使われませんでした。代わりに使用されていたのが、からしです。スシにからしとなると、あまり合わないように思われますが、当時はそのような形で親しまれていたようです。

次にうなぎの蒲焼です。今でこそ、高級な料理として知られるうなぎですが、当時は高級なものという認識はあまりありませんでした。というのも、隅田川や江戸周辺の湿地などにうなぎがたくさんいたため、安価に提供することができたからです。正確に値段は提示できませんが、だいたいそば一杯と同じくらいの値段だったようですね。

そばも、この時代に育まれた有名な日本食です。江戸周辺の長野や山梨の人たちが江戸に流入するようになると、そばの文化を普及させることとなります。これは、長野や山梨が山がちな地形のせいで、あまり米が作れず、そばを食べていたことに起因します。そして、いつでもサクッと食べられるそばは、江戸の人間たちの気質にあったようで、どんどん普及しました。

さらに、江戸の天ぷらも有名ですよね。天ぷらは、先ほども述べたように南蛮から伝来した「テンポーラ」に由来します。これが日本風に改良され、今のものに近づいたのが江戸時代の中期くらいと言われています。そばと同じように、サクッと食べられるものでとても人気になりました。ただ、今の天ぷらとは異なる部分を指摘するならば、黒っぽいということが挙げられます。さらに、天ぷらのネタについてもあまり新鮮ではありませんから、しっかりと火が通るように、揚げたようですね。

江戸時代の食事:将軍

江戸時代、頂点に君臨した将軍はどのようなものを食していたのでしょうか。

当然、時代や将軍によっても異なりますが、将軍たちの食事はとても大変でした。まず、将軍ともなれば、万が一でも食あたりで倒れるということはあってはならないですし、また、暗殺でもされたら大問題です。そこで、厳重な毒味体制が整えられていました。

まず、将軍の食事は一人前ではなく、十人前ほど作られます。これは十人前作ることで、どれを将軍が口にするのかわからなくして、暗殺を防ぐという作戦です。十人前の料理のうち、1つを毒味して、30分ほど待ちます。安全が確認されたのち、念のためもう一度毒味を行います。そして、将軍のもとにようやく運ばれることとなりますが、将軍の周りに仕えるものたちが再度の毒味を行い、将軍が食べるということとなります。よって、将軍に料理が届くのは、料理の完成から2時間が経過したのちとなります。料理はパサパサとなっており、全く味わえるというものではなかったでしょうね。

また、そこまでしてようやく運ばれてきた料理も、それほど豪華なものではありません。なぜなら、将軍は武士の頂点の存在であり、将軍には武士の鏡としての文武両道・質実剛健が求められたからです。基本的に将軍の食事は日に2度か3度であり、内容も一汁二菜を基本としていました。一汁二菜とは、おかずが二品、汁物と漬物、ご飯です。おかずも、将軍が食べて良いものと食べてはいけないものに細かく分けられており、とても窮屈な食生活を送っていたようですね。当然、そばや寿司などの庶民の食べ物を食べることは許されず、肉なども基本的にはNGとなります。なんというか、イメージとは全く異なりますね。

日本人の食の歴史⑤「近代」の食事

C:近代の食事

江戸時代が終わり、明治や大正ともなれば、食事の内容や作法などは現代ともとても近いものとなります。

明治時代の食事

明治や大正時代の特徴は、何と言っても、文明開化でしょう!西洋の文明が流入した影響から、西洋の「料理」も広まることとなります。ただ、西洋料理がそのまま日本で受け入れられたわけではなく、日本風にアレンジされた西洋料理、すなわち「洋食」が生まれます。

まずは、牛鍋でしょう。仏教などの影響から一般的ではなかった肉を食べることで、肉食が基本の欧米人に体格で負けないようにするため、明治政府が肉食を推奨したのです。もちろん、最初から受け入れられたわけではなく、だんだんと食べられるようになります。その代表として有名なのが牛鍋でしょう。東京では牛鍋と呼ばれていましたが、関西では鍋で肉を煮込む前に焼いてから野菜などを投入する食べ方である、「すき焼き」が普及しました。だんだんとすき焼きで統一されていくこととなりますが、うな丼や天丼と同様に牛肉の煮込みを飯の上に置く、牛めしも誕生しました。当時は、牛鍋ぶっかけと呼ばれていましたが、1899年に魚市場にあった吉野家が「牛丼」として売り出したのがきっかけで、牛丼と統一されました。

次に、西洋のパンのなかにあんこを入れた「あんパン」です。お菓子感覚で食べることができることや冷めても美味しいなどの理由で大ヒットし、あんパンもとてもポピュラーな食べ物となります。また、パンのなかに何かを入れるという考え方に着想を得て、クリームパンやジャムパンなどの菓子パンも生まれることとなりました。

大正時代の食事

さらに、大正時代ともなると、食生活の西洋化が進みます。特に、トンカツ・コロッケ・カレーは大正時代に普及した三代洋食であり、現代でもポピュラーな洋食として市民権を得ています。

まず、トンカツです。肉食を奨励した政府でしたが、牛肉が盛んに食べられるようになり、牛肉の供給量に問題が発生します。そこで、新たに豚肉を食べるように国民に奨励を出しました。しかし、現在のように豚は血抜きもうまくされておらず、美味しくなかったようです。そこで油でカラッと揚げることで血の臭さを軽減することが考案されたのです。これによって、豚カツが普及するようになりました。

次にコロッケです。当時、あまり人気がなく、生産量が低かったジャガイモですが、この安さに目をつけた商人たちが開発したのがジャガイモに衣をつけてあげたコロッケです。これによって、ジャガイモは日本の芋のなかでもっとも生産されるようになり、サツマイモの人気を越すこととなりました。

最後に、カレーです。カレーは洋食のなかで最も有名かつ日本人に好まれるものでしょう。カレーはみなさんもご存知の通り、インドの料理です。インド植民地支配したイギリスが自国に持ち帰り、それが日本に伝わったということとなります。さらに日本風にアレンジされてできたのが、いわゆる日本のカレーとなります。そして、カレーを日本の主食である米にかけて食べるようになります。当初は、カレーライスではなく、ライスカレーと呼ばれていましたが、実態としては全く同一です。カレーと洋食レストランを中心に広まり、大正12年にはカレー粉の製造が成功し、家庭でもカレーが普通に食べることができるようになりました。

このように、日本の食卓は近代以降では多分に他の文化圏の影響を受けていると言えます。

終わりに

今回は、食をめぐる文化を見てきました。「文化」とは、2000年から3000年などの長いスパンで考えたときに、それが全く変化しないなどあり得ません。その時代の特徴を踏まえて変化したり、外国からの影響を受けたりしてだんだんと変化していきます。それは、「文化」が洗練されていくとも言うし、あるいは変質したとも言うでしょう。日本の食文化も、長きにわたって大なり小なり変化を遂げています。そして、現在に至り、「和食」となっているのです。

皆さんも日々のご飯を食べる際には、作ってくれた親御さんに感謝しつつ、先人達が紡いできた「食の歴史」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

この記事を書いたのは

現役家庭教師ライター T

家庭教師ファーストの登録家庭教師。青山学院大学 文学部在学。家庭教師だけでなく塾講師の経験もあり。

著作・制作

家庭教師ファースト/株式会社エムズグラント

『質の高いサービスを、良心的な価格で』をモットーに、全国で20年以上家庭教師を紹介しています。実際に担当する教師による体験指導受付中。教育に関する相談もお気軽に。

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