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家庭教師ファースト教育コラム社会・歴史の雑学

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【地理】富士山は日本一じゃなかった⁉地図の歴史と昔の地図の不思議

  • 社会・歴史の雑学
  • 現役中央大生ライターK

初めていく場所の事前準備、遠方へのドライブ、ふとした時にみる地図というものは私たちの生活に密着しているといえます。現在では、スマホにマップアプリが入っていることがほとんどで、だれでも気軽に世界を見渡すことができます。しかし、その地図は誰がどのように作ったのか考えたことはありますか?現在の地図が世界を旅行する疑似体験ができるようなほど正確ですが、その起源はどこにあるのでしょうか?

この記事では、普段何気なく使っている地図の歴史と、昔と今の地図からわかる不思議を解明していきたいと思います。ぜひ最後まで読んでみてください!そしてさらに余力があれば、ひとびとのあゆみをより深く感じられる古地図や紙の地図を手に入れてみてください!

なお、お勉強の事でお困りごとがありましたら、是非私たち家庭教師にもご相談ください!また、家庭教師の仲間も募集中です。ご興味のある方は下記リンクより是非ご検討ください。

最古の地図と「地図の歴史」

人々の思想や文化を大きく反映するものは多くあるといわれています。中でも代表的なものが地図だといえます。みなさんは日本以外の国で使われている地図というのを見たことはありますか?おそらく最初に頭に浮かぶのは日本が中心にあり、太平洋がほぼ地図の中央を全部占めているものだと思います。しかし、ほかの国々での地図はそれと全く異なります。

例えば、イギリスで売られている地図はイギリスが中心となり、日本は地図のほんの端っこに位置しています。日本が極東の国といわれることがあるのは、この地図の位置関係に由来しているのです。またニュージーランドをはじめとする南半球の国の地図も非常に興味深いと感じられると思います。私たちが普段使っている世界地図が上下逆転したものが通常使われているのです。つまり、その国あるいは地域が中央に来るようになった地図がその国の「普通」なのです。

では、世界の全貌がわからなかったはるか昔はどんな地図だったのでしょうか。

最古の地図

現在調査されている中で現存していて最古だとされるのは、大英博物館に所蔵されているバビロニアの世界地図です。これは紀元前700年ごろと想像もつかないほどに昔のもので、残っているというのもすごいですよね!

バビロンで、粘土板に描かれた物語に挿入されている地図で、円の中に楔形文字(くさびがたもじ)で情報が記されています。バビロンとバビロニアという、にたような言葉が出てきました。バビロンは現在のイラクの首都バグダットから南に85㎞ほどいったところにかつて存在した町で、バビロニアはイラクのティグリス川とユーフラテス川にはさまれたメソポタミアの下流域の地域で、バグダートからペルシア湾までの南北の範囲と、ザクロス山脈からアラビア砂漠までの東西の広い範囲を指しています。バビロニアの地図ということでかなりの広範囲ですがどのようにあらわされたのでしょうか。この上記の範囲を参考に現在の地図と比べながら先を見てみてください。

まずはきれいな円が描かれています。中央には穴が開いており、現在のコンパスと同じような道具を使ったとされています。円の外側には「にがい河」が広がると示され、これは海を指していると推定されています。中央には縦に2本線があり、これがユーフラテス川を示し、そこにまたがるように中心の首都バビロンがあるとされました。円の上の部分には山地、下の部分には湿地と大きく分けられ、海より内側にはそのほかの何らかの都市というようにほんわかと示されています。この当時空は球状であるとされており、それを支えるための柱のような7つの想像上の山地「彼岸の地」が海の外には広がっているとされました。

現在の地図と比べるととんだ地図であるように思われますが、これがこの当時の当たり前だったようです。地図というにはあまりにも漠然としていますね。世界のとらえ方が、平たんであるとされたために、球体だなんて考えられもしなかったのです。

古代ローマ時代になり、のちに現れたプトレマイオスの世界地図はこの地図に革命を起こし、球体としての世界を確立させました。これは地球儀を半分切り取って立体的に広げたような見た目をしており、現在の地図に近づいたように思われました。しかし、その後世界の真実よりもキリスト教の世界観を地図に示そうという風潮になり、キリスト教の聖地エルサレムを中心として、TとOで外周と川や海を示しただけの地図になりました。これはそのままTOマップと呼ばれています。

TOマップの特徴としては、一般的な北が上に来る地図と異なり、神が楽園、エデンの園をつくったという旧約聖書に基づいて東を上にしていることや、古代科学を異端であるとし、地球球体説を否定したことが挙げられます。TOマップが衰退すると再び事実に基づいた地図の作成に目が向けられるようになります。そしてのちの時代にコロンブスが大西洋横断を果たすことになりました。

世界の地図の発展を抑えられたでしょうか。それでは、日本の地図に目を向けていきましょう!

日本の最初の地図

日本でも制度の導入にあわせて全体を把握するために正確な地図が求められました。現在教科書にも多く取り上げられる伊能忠敬は、歴史上はじめて、科学的な測量を全国渡り歩いておこなったということで有名です。伊能忠敬の生きていた時代は江戸時代ですが、その時代のギャップを感じさせないほどの正確な地図を彼は作り上げました。

伊能忠敬は49歳で天文学を本格的にはじめ、自分の疑問解決を求めて蝦夷地(現在の北海道)と江戸の距離を測りました。そのころに、ロシアが蝦夷地の視察を行っているところが目撃されはじめ、それを危惧した幕府が蝦夷地の地図を伊能忠敬に作らせました。日本全土の地図をつくりはじめたのは彼が55歳になってからのことです。

距離の計測にも、今のような歩きながら転がして手軽に距離が測れる計測器は存在しません。歩幅約69㎝で1日に約40㎞を移動することで計算して距離を測っていたのです。同じ歩幅で歩き続けなければならないのはかなり体力をとられそうです。こうして蝦夷地の地図を作成すると、そのあまりのできの良さにほかの地域も測量を依頼されることになり、まずは東日本に取り掛かります。ここからは間縄(けんなわ)という道具を用いたようです。約1mごとに金属輪でしるしをつけた縄で、現在のメジャーに似ています。これは米の取れ高を調べる検地においても使われたものであるといわれています。続いて西日本も測量が始まりますが、幕府の直轄事業となったために、事業にかかる人員も費用に対しても幕府が大きくかかわるようになりました。

そこから地図の編集作業が6年ほど続き、1821年に大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)が完成しました。1818年に伊能忠敬は74歳でその完成を見ることなく亡くなってしまいましたが、その地図への熱量と貢献から名前が後世に残っているのです。初めての測量に基づく日本地図は、測量が海岸線と主要な街道に限られたために、内陸部の記述は少なく、空白もあったのですが、その出来は素晴らしかったようです。

伊能忠敬の地図は大変有名ですが、実はもう1つの正確な地図があるのです。伊能忠敬の半世紀前に精度の高い日本地図を作り上げたその人は、長久保赤水(ながくぼせきすい・1717~1801)です。彼は地理学を深く学んでおり、日本に広く及ぶ情報を収集し、緯線と経線を使った地図を作り上げました。「改正日本輿地路程全図」として1779年に出版しており、これにより大衆に地図が広まったとされています。

伊能忠敬の地図は当初、安全の観点から門外不出であり、一部の人しか見られませんでした。そこで、多くの人々は赤水の地図を用いたのでした。伊能忠敬の地図が出回り始めてからも、一般に普及していたのは赤水のものでした。その精密さがうかがえますね。

日本一の変化~富士山~

ここまでの項で地図の歴史についてみてきました。ここからは昔の地図と現在の地図を比べた時にうかんでくる地図の不思議を発見していきます。地図を見ているとおそらく多くのきになることが出てくると思います。ここで上げられているものはあくまで一例になるのでぜひ参考にしてみてください。

むかしから地図は存在していますが領土問題や日本の編成の変化はどのようになっているのでしょうか。これには興味深い事例があります。

日本の歴史の中で、ある時期において日本一高い山が富士山ではなかったことがあるのです。現在日本において最も高い山とされるのは、富士山だということは広く知られています。富士山は山梨県と静岡県にまたがり、3776mの高さを誇る日本の活火山で、2013年に世界文化遺産に登録されたことでも話題になりました。その眺望の美しさから、絵画に描かれることも多く、国の内外問わず人気があります。

そんな富士山ですが1895~1945年までは1位をほかに譲っていました。その理由は日本が台湾を統治していたために、台湾にあった「玉山(ぎょくざん)」が富士山よりも高い3952mの山であったからです。玉山は、それまで日本一高かった富士山よりも高いことから、明治天皇によって「新しい日本最高峰」という意味で「新高山」と名付けられて、大日本帝国(当時の日本を指す)の学校でも「日本一高い山は新高山」と教えられていました。

台湾にはほかにも富士山より高い山が多く存在します。標高3886mの「雪山(せつざん)」は「次高山」と命名されました。その他にも、玉山東峰(3869m)、玉山北峰(3858m)、玉山南峰(3844m)、秀姑巒山(3833m)、馬博拉斯山(3785m)などがあります。 

日本が台湾を統治した経緯について少し補足します。1894年日本と清(現在の中国)の対立である日清戦争が勃発しました。日本がこれに勝利し、次の年には日清間で講和条約の下関条約が結ばれます。この取り決めにおいて多額の賠償金とともに日本に渡されたのが、遼東半島、台湾、澎湖諸島でした。澎湖諸島も台湾に属する島の一つです。遼東半島はロシア、ドイツ、フランスの圧力(三国干渉)によって失いますが、ほか2つは占領が進められました。この3か所の位置もぜひ地図で見てみてください。

台湾は日本にとって初めての植民地であり、強力な近代化が推し進められたために反発も起こりました。一方で、医療、教育、衛生の面ではよい政策も多く、現在親日派の人が多いのはそのためのようです。

この変化を地図の中で見てみます。1990年に外国で出されている地図の中には、JapanEmpire(大日本帝国)と日本が記されており、そこには沖縄と台湾が別枠で追加されているものがあります。講和条約によって外国にも公示していたために、この変化も起こり、明治天皇もわざわざ日本一の山を変更するに当たったのです。

山の大きさに変化が生じることはなかなかないのに国の範囲が変わったために順位の変動があるというのは興味深いですね。

領土問題と地図 ①北方領土

日本では、東西南北それぞれの端とされる場所が規定されています。最東端は南鳥島(東京都)、最西端は与那国島(沖縄県)、最南端は沖ノ鳥島(東京都)、最北端は択捉島(北海道)です。最北端の択捉島はロシアに占領されていて、与那国島は人が住んでいますが、そのほか2つは一般人立ち入り禁止です。この端を定め、その範囲内は日本に当たるとしていますが、日本ではほかの国と領土をもめている場所が存在します。そのような場所はこれまでの地図でどのように見られているのでしょうか。

領土問題について、北方領土問題と竹島の問題を見ていきます。

北方領土問題は先ほど取り上げた択捉島がかかわってきます。日本側の主張としては、外務省ホームページより以下のようにあります。

(1)北方領土は、ロシアによる不法占拠が続いていますが、日本固有の領土であり、この点については例えば米国政府も一貫して日本の立場を支持しています。政府は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという基本的方針に基づいて、ロシア政府との間で強い意思をもって交渉を行っています。

(2)北方領土問題の解決に当たって、我が国としては、1)北方領土の日本への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期及び態様については、柔軟に対応する、2)北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益及び希望は、北方領土返還後も十分尊重していくこととしています。

北方領土は日本のものであり、帰属が認められればよしとするという意思が認められます。 北方領土や千島列島が描かれている地図としてもっとも古いものに、正保元年(1644)、松前藩主が幕府に献上した、「正保御国絵図」があり、そのなかには知床半島よりも東側に島々が描かれています。そこにはすでに「くなしり」「えとろほ」「うるふ」という現在の北方領土とほぼ同じ名前が付けられています。

一方でロシアは、第二次世界大戦の戦勝国として得た当然の領土であると、北方領土の領有権を主張しています。昭和20年(1945)2月、アメリカ合衆国、イギリス、ソ連が、ソ連にある保養地ヤルタに集まって取り決めた秘密協定であるヤルタ協定も理由に挙げています。日本に対する戦争に参加する代わりに、現在問題になっている北方領土はロシアのものとなるというのがこの協定です。日本は協定を知らなかったのですが、ロシアは取り決めに従っているだけという主張をしているのです。

ロシアや諸外国での地図はどうなっているのでしょうか。ロシアではスパンベルグが北方領土を体験し1739年に作成した地図が挙げられています。アメリカの出すBritannica WORLD ATLAS、イギリスのOxford Atlas of the Worldはロシアの領土であるとの記載をしており、国境の線引きは不明確としています。不明確になっているのは長い期間そのままであり、世界地図の中でも多くあります。ほかの場所にもぜひ注目していただきたいです。また北方領土の今後の展開にも注目していきたいですね。

領土問題と地図 ②竹島

続いて竹島を見てみます。竹島は韓国との対抗になっている状態です。日本側の主張では、歴史的事実に照らし、かつ国際法上も明らかに日本の領土であるというものです。現在は韓国によって占拠されているために、不法占拠であるとして、解決を求めています。

韓国側の主張では、多くの官撰文献に見える独島(竹島)の記録から韓国が昔から独島を自国の領土としていて、1454年 『世宗実録』「地理志」や1531年 『新増東国輿地勝覧』をその例としています。地図といえるほど正確なものではありませんが、島の位置関係を大まかに記した図のようなものも根拠に挙げられています。

近年、日本では江戸後期に作成された公的な航路図の中に竹島の記述が見つかり、当時の幕府が竹島を日本領と認識していた史料であると示しています。後期の長崎周辺では密貿易が横行し、密貿易の拠点や注意書きが地図上にあることから判断して、取り締まりに当たった長崎の奉行が1820~30年代に作成した可能性が高いとされています。地図には鉄砲伝来で知られる種子島や、屋久スギが有名な屋久島も描かれており、位置関係もはっきりとしていて精密なようです。韓国への渡航は1696年以降に禁止された一方で、竹島近辺は渡航に使っていることから、韓国の領との認識はなかったと推定されています。この航路図は日本の主張の補強になると価値が認められています。

日本側は国際司法裁判所で解決しようと呼びかけていますが、韓国側は応じていない状況です。時代が進むにつれて、過去の地図の解析が追い付いて、あらたな事実の発見や、現在の事実の証明ができるようになることもあるのですね。  

夢か現か…地図上から消えた島!?

「幻島(まぼろしじま)」と呼ばれるとみなさんは何が思い浮かびますか?昔の宝が存在する島でしょうか、それともどこかの国のどこかの民族にだけ伝わる秘境の地でしょうか。じつは幻島は定義があるのです。

それは、地図や海図に載っていて、その存在が長く信じられていたものの実在しない場所を示します。英語では、「phantom islands」と呼ばれています。昔の地図には載っていたのですが、そのほとんどが現在では削除されているのです。このような島が生まれたのは空港機や人工衛星がなかった時代に、孤島となっていた場所はそこに誰かが行きつかなければ発見されたためであるとされます。代表的なものは、ベルメハ島、中ノ鳥島があります。

ベルメハ島は1900年代にこつぜんと姿を消しました。その島は確認もされており、1700年ごろまでには面積は小さいものの陸地であると認定もされていました。位置としてはメキシコ湾にあり、メキシコとアメリカの海の境界や、油田をはじめとする海底資源の開発権を決定するうえでメキシコに有利な場所でした。しかし、近隣の大規模油田開発に関する条約が無効になった時期と同じくして姿を消してしまいました。

1669年の地図に掲載されていて、内務省の地図帳には1998年に記載されました。しかし、その前年に海軍が実施した調査ではその島の存在は否定されました。この件についてはさまざまな推測が出ています。海面の上昇が原因で島が沈んでしまったという環境的要因から、油田に関しての権利がかかわったために何らかの陰謀で消えてしまったのだといった人為的要因を示唆するものもあります。実際に今はないといえるのですが、その真相は謎に包まれています。

次に、中ノ鳥島です。こちらは日本にかかわっています。明治維新により大日本帝国(日本)はその領土をどんどん広げていきました。明治12年には琉球大国(現在の沖縄)も日本の圧力で崩壊し、県ヘと移行されました。前述のように日清戦争において台湾も受け取り、日露戦争では樺太の一部をロシアから受け取ります。

そんな中で、現在ではないとされている「中ノ鳥島」が日本に編入します。その概要は小笠原諸島の父島の北東約1200kmにある絶海の孤島というものです。1908年に編入され、その位置関係であるならば、日本の最東端であるとされました。教育の場にも組み込まれ、1950年代の高校生向けの地図帳にも記載があったようです。

一度確認された後に再び観測されることはなく、1946年に主な海図から削除されました。

中ノ鳥島の存在を肯定していた根拠にはある文献の存在がありました。明治時代の文献「小笠原島所属島嶼発見届」の中には、アホウドリが存在し、リン鉱石の採取が可能な島を発見したとしていたのです。アホウドリは当時羽毛布団の材料であり、海外でも高く売れるために乱獲されていました。そしてリンは、化学肥料の原料であり、こちらも貴重なものとされました。つまり、この島が現実にあるならば、そこは素材の宝庫だったのです。

その当時、その付近には「ガンジス島」と呼ばれる島があるとされていて、この発見された島こそその島であると仮定されました。政府にも支配地域から離れているものの帝国の支配地域に属すると推定するべきであり、ほかの国に取られてもいないとされていました。中ノ鳥島という名もこの時つけられたもので、アホウドリが多いことから名づけられています。しかし、その話は数年で消えてしまい、この島の発見者はそもそも実際にこの島を発見したのではなく、発見の手柄を横取りしただけだという話も出始め、中ノ鳥島は空想のものだとされるようになりました。それと同時に地図からも姿を消したのです。

現在の技術によれば、直接観測せずとも、衛生などにより島を発見することができるとされます。では、衛星でも観測できない、そんな島は本当にないのか。それを証明することはできません。そう考えると、世界には、あるいは日本にもまだまだ知らない場所はあるのかもしれませんね!

幻島のような、あるのかないのかわからないといったものは今消されているものが多いので、昔と今の地図を見比べることによって自分で探さなければ見つかりません。そう考えると、古地図をみて探してみたいと思えるような気がしませんか?

おわりに

現在当たり前に使っている地図がどのようにできてきたのか、どんな人の苦労があったのか理解できましたか?人々の考え、当たり前は時代によって変化していきます。それはその時代に生きる人々にのみしか共有されないもののように思われますが、実は地図などに形として載っているのです。昔の地図と今の地図には技術の発展により、新たに分かった事実や違いがたくさんあります。この記事に載っている謎だけではなく、自分で探してみてその謎を解明してみるのも興味深いと思います。ぜひチャレンジして地図により詳しくなってみてください!

なお、お勉強の事でお困りごとがありましたら、是非私たち家庭教師にもご相談ください!また、家庭教師の仲間も募集中です。ご興味のある方は下記リンクより是非ご検討ください。

この記事を書いたのは

現役中央大生ライターK

家庭教師ファーストの登録家庭教師。中央大学法学部在籍。優しく丁寧に教えます。

著作・制作

家庭教師ファースト/株式会社エムズグラント

『質の高いサービスを、良心的な価格で』をモットーに、全国で20年以上家庭教師を紹介しています。実際に担当する教師による体験指導受付中。教育に関する相談もお気軽に。

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